秦さんパート4

最後に繋がった神社に、
感動した・・・

やっぱり、そうだったのか。


辰砂のことを書いてましたが、
いろいろ深い話です。

不老不死といってもどういうものか
現代人にはわからないことですが、

秦氏は道教を重んじていたと言われます。

 

 

老子がひろめたとか。(水牛にのる老子図)

外丹、内丹という

「TAO(タオ)道」の世界とか言われたり。

かっこいいけど、わからん。

性(こころ)と命(からだ)という
気功のような話しで、生命力を高めることみたいです。

この「道(TAO)」なら知っているが・・・
(リック・スプリングフィールド)

 


なつかしっ~!デレデレ

中学生の頃から、外人かぶれと言われていた・・・。
今もそうですが、それがナニか?

もう飽きてきたから、
TAOを聴きながら妄想ス。カエル

そういえば、まほろば探訪も「道」がついているね。
全然、TAOじゃないけど。チーン


生命力を高めるための薬として、
辰砂があったかもしれません。→丹薬。


■民俗学の赤-----------------

印鑑で用いる朱肉。
もう、印鑑使うことがなくなってきたから、
どうなんかな。

あれが辰砂の色です。


朱色、という赤色がありますが、
秦氏の伏見稲荷神社の鳥居の色があるように。

 

 

鳥居がしつこいほど、ありすぎです。

赤色(朱色)は、丹生の色と言われ、
沖縄の首里城や「赤頭王」と言われた
エミシの悪路王なども。

民俗学では、赤色は魔よけや疫病を退治する色、
青は、死の色、
白は、差別の色とも言われます。

 

なぜ、赤が疫病退散除けになったか?

わかりやすい例が、山形県にあります。

山形県天童市に「若木山(おさなぎやま)

という小さい山があります。

麓に若木神社の疱瘡神を祀っていますが、
山頂にイワクラを祀ります。

 



由来では

「この山の麓に来ると全山が真っ赤に輝き、
その赤気が山頂にかかる雲に映して怪しげな状景を目にし~」


とあるので、疫病のことを伝えています。
この神社にお参りすると、疫病が治るという。

 



イワクラと疱瘡神は、深く結びついています。

石や岩は、「鏡石」となづけることが多く、
鏡=カカ=光るモノ。

カカの目から猿田彦命がイメージされ、
蛇信仰になったと思います。


たぶん、隕石の隕鉄からもあり、
タタラが信仰したことがあったと思います。


他にも、岩手県紫波町の志賀理和気神社(最北の延喜式内社)
に霊石としてあるのも、赤石明神と言います。

 



「1573年の頃、斯波孫三郎詮直公が北上川で遊覧の折、
川底に赤石の大石をみて紫色の水波に
漂うその美しさに感銘したという。」


なぜ、神功皇后が東北に多いのかは、
疱瘡神にあります。

疱瘡神を防いだのは、神功皇后である

との神話からで、
イボとり清水に由来するからです。

三韓征伐から帰ってくる時に、
顔を黒くぬって(男装して)帰った話があります。

顔を塗ったというのは丹生の顔料だったら
興味深いのですが、

顔に貝がついていたから・・・という話しは、
磯良でした。

そこからきているのですね。

なので、神功皇后はワタツミの一族であり、
もしかしたら、阿多族と関係し、

阿多族=コノハナサクヤヒメとも繋がる。

なぜなら、鹿屋野姫(草の姫)は、
コノハナサクヤヒメの母神
とも言われるためです。

 


■みちのくの卑弥呼------------------

まつろわぬ民も、
ヤマタイのヒミコを求めていたのでしょうか?


阿波国の卑弥呼と考えると、

やはりここに来てしまいます。。。

場所は、柴田町葉坂。
ずっと前から、この話を何度も書いていました。

拆石神社(さくせきじんじゃ)

 

 

オウゲツヒメです。

三星神(住吉三神も)

 

 

岩が裂けたことに由来します。

 

 

 

柴田町へ行く時、度々通り過ぎる道沿いにあります。

 

 

被葬者がいるのかどうか?

たぶんお墓ではなかったような気もしますが、

調べてないのでわかりません。

 

 

 

石室の中は洞窟になっています。(↑)

 


裏手に大きな岩盤のイワクラがあります。

 

 

 

人口か自然かわかりませんが、

大きな穴(洞窟)を塞いでいるように見えます。

 

石室の裏につながっていた穴ではないか?

 




「葉坂」の地名には、いろいろあります。(歯の方だったり)

皇子にも関係するし。


「坂」なので、秦氏の「酒(サケ)」にも通じると思います。

「避」とか。

 



八雲神社が近くにあり、熊野ですが、
出雲、スサノオが関係するので、
秦氏にも、スサノオ崇拝があったのかもしれない。

 

 

 

のどかな所にあります。

 



京都へ行った時のこと。
蛇塚古墳に行きたいと思っていました。


2019年3月の記事、
全部ここに書いてあった・・・

結局、ずっとここをぐるぐるしている。

 


蛇塚古墳がどこか、拆石神社に似ていると感じたこと。




京都太秦にある秦氏一族の墓と伝わる。

 

中に入れます。

 


タイプは違うのですが、
柴田町に隣接する川崎町の元南田というところに、
「新羅の郷」の碑があるからです。

 

 

 

 

山中にぽつんと。

劣化が激しく文字が読めません。

 



この新羅の郷は、夏に下北半島へいき、
帰りに八戸で新羅神社にたちよった

所と関係します。

 

1051年、安部頼時が平泉により反乱をおこして勢力をはったので、
朝廷は源頼義・義家父子に討伐を命じた。(前九年の役)


その折、源氏の武将、新羅三郎義光が新羅の帰化人37人を率いた。
20人は槻の木の入間田に17人をこの地に住まわせた。

 


柴田町の入間田に、新羅人を住まわせ

炭鉱に従事させた歴史があります。


新羅三郎義光は、えんぶり長者として青森でも有名な祭として
継承されています。



 

八戸:新羅神社

 

 

 

だから、スサノオ

この拆石神社が阿波国の卑弥呼?
であるオウゲツヒメになっているのは、

 

新羅は、

スサノオ信仰があったからでしょう。


オウゲツヒメは、阿波国の神様です。

前回、阿波忌部で書いてました。

阿波の国生みの名から阿波になった神様とされ、
日本海に「多気町」があり、丹生の地です。


オウゲツヒメが伊勢国丹生の郷から
阿波国にきて、粟を広めたことが由来だそう。


そのオウゲツヒメを入間田付近で祀っているのは、
新羅の郷だった地域のため。


石室との関係を考えると
蘇我氏のようでもありますが。

蘇我氏も石室古墳がありますね。


オウゲツヒメは、

ハイヌベレ信仰として
広まっています。

そこには、石と蛇信仰があります。

イワクラ、蛇信仰、疱瘡神、赤、神功皇后、
すべて繋がっています。


ということで、卑弥呼には原始信仰があり、
また、オウゲツヒメは、ハイヌベレであり、
スサノオが登場している。


新羅人は、迫害されてきたと思います。
青森まで逃れていますから。

その痕跡をたどって坂上田村麻呂、
藤原北家や源氏(義家)がきており、
崇敬していたようです。

 

 

■えみしの団結心の色---------------------------


北上市でこんな展示をやっていました。
昨年で終わっていますが。

 




岩手県北上地方の遺跡で集中的に発見される
赤く彩色された蝦夷(えみし)の土器がある。



使途不明のこれらの土器は、
東北の蝦夷集団が結束して戦う象徴として

作られたのではないか――。

 
口の部分に赤い線模様があり、
球形の胴体が真っ赤に塗りつぶされた
土器「赤彩球胴甕(せきさいきゅうどうがめ)」。


時期は、アテルイのいた時代、
三十八年戦争に関係すると。



謎は、赤い甕(かめ)は、
北は青森から南は東京まで各地から出土するが、

全体の9割が北上市の

和賀川流域北側の遺跡に集中するという。
 

 

 

だから、丹生の卑弥呼でしょう。


和賀山塊!は、すごいよ。
登ったことないけど・・・


エミシも団結する時、
朱色を使っていた、ということがわかります。


余談--------------------------

長々と書いてきましたが、
まだまだ、いろいろ出てきます。


何かと繋がったらまた書こうと思います。

最後に梁川八幡神社の写真とともに。

野手上山に登った帰りに、
たちよってきました。

福島へ行く時、
いつもここで休憩します。

 

 

弁手さまの橋が地震で壊れていましたが、

直っていました。

 

 

観音堂。

 


 

フクロウ。

ホンダワケじいさんが、どさんこ馬に乗っているのがあります。

 

 


 

白鳩なんですね。



長寿に授ける杖を「鳩杖」と言いますが、
(モーセが由来だろうけど)

「天王寺舞楽」というのがあり、
秦氏に関係しているのか?
「秦姓の舞」とかあったりして。

それに老翁の鳩杖が登場します。
「採桑老」といって桑なんですね。

扶桑ですな。

中国の図に扶桑国の図があり、
鹿みたいな動物がいるんですね。

 



秦氏は、日本でユートピア(蓬莱山)を
つくりたかったんです。

理想郷の条件のひとつ、

『周囲の大陸と隔絶した孤島である』こと。

 

 

ユートピアの図

 



しかし、
完全な10個の太陽も
1個、矢を射られて完全にならず。

1000の階段を創ろうと思えば、
999段で鶏に邪魔されて完全にならず。

あと、一歩。
が、なかなか進まない。

 

 

狐は何を知っている?


ちなみに、
この話の発端は、イノシシでした。

10月24日に「12年に一度」
大張地区にある「大満虚空蔵尊の福田堂」が
「ご開帳」
だったんですね。
 

これにのってしまった模様。ニヤニヤ

 



そうですよ、ここが小野篁が退治した
猪の伝説があるお寺なのですなっ。

 



伝承神楽「小野篁(おののたかむら)卿大猪退治」
というのがあったのですね。
知りませんでした。

マタギの儀式と思います。

※丸森大張~白石の菊面石近くに潜んでいた
安倍氏の話しがあります。

こちらにいろいろ書いてます。

猪は、安倍氏みたいになっています。

 

 

 


「富士の巻狩り」と同じです。(wikipedia)
※暴れる大猪を諏訪神社境内へ追い込む


コロナが落ち着いたところで、
イノシシの暴走は心配ではありますが。

 



妄想していても、いろんな人々の存在を感じます。
あの世もこの世も、関係ないのです。

 

 

 



時空はないから、そばにいる感じですね。

 


楽しませて頂きました。

 


 

半田山を望む。

長々とありがとうございました。

どんどはれ。