なんだか虚空蔵菩薩さんに会いたくなって休日、暑い中行ってきました。
久々の丸森大張

 

 

台風の被害があったので、大張まで行けるのかちょっと不安でしたが、

大丈夫でした。

 

まだ土砂災害の爪跡があり、工事している箇所がありました。

 


再び行ってみると、いろんなことがわかりましたが、
ここは、鬼門なんですね。


虚空蔵菩薩さんが、丑寅の方角にあたるみたいで。

 

 

牛と虎がいます。

生駒山っぽい。

 



昨年は亥年だったので、昨年1月に大猪伝承がある虚空蔵菩薩堂へ
行っており、相当な妄想をしてました。


今になって考えてみると、コロナウイルスも、
昨年から始まっていたのだな、と思います。

 



昨年は豚コレラが流行しまして、猪から伝播したものでした。
その後、豪雨で各地で被害。
丸森は特に大きな被害となりました。


そして昨年冬からのコロナウイルスの流行・・・

 

 

よく生きてます。真顔

 

日吉神社

大猪伝承をもう一度簡単に述べますと、

「嵯峨天皇の時代、松や杉が生えている3mもある大猪が住んでおり、
近隣の村々の田畑を荒らすので、人々は困っていました。

これを退治しようと京の都から小野篁が猟師を引き連れ
下向し、虚空蔵様の力を借りて退治ができました。

この時、使用した鋤を研いだ石が「研石」であり、
猪の皮をはいで張りつけた石が「川張石」である。」


地名由来のことです。
丸森は花崗岩が多い阿武隈山系にあるので巨石がたくさん埋まってます。

 



この話しには、他にもいろいろありました。
再びこの伝承を思い返すことがあるのかどうか・・・
なぜ、今、再び大猪伝承なのか。

■猪は人になつかない------------------

猪伝承は各地に多いです。
例えば、


ヤマトタケルが伊吹山で白猪により毒気にあたる。

猪とヤマトタケルは仲が悪いような。
それに対し、香野姫という人と宇佐神宮は仲が良い。

福島県二本松の香野姫は、病気に倒れた時、
どこからか白猪がやってきて姫をのせて助けた。


猪を使役とするのは、九州(大分県)宇佐神宮。


根白石で宇佐八幡神社を参拝した時からずっと宇佐神宮がシンクロしてます。
これには深い和気・・・分けがありそうです。

再びマタギ犬が登場。

秋田犬は、マタギ犬ともいわれます。
秋田マタギでは、秋田犬を使った狩猟が得意で地元の人々は、
秋田犬をマタギイヌとよんで大切に飼育しました。

秋田犬は、マタギとは良きパートナーでした。
これが繋がっていました。

宇佐神宮の猪とは。。。

道鏡は天皇になることを望んでいたので、皇室の血筋ではない
道鏡について和気清麻呂は宇佐神宮の託宣を受けると、


「道教を皇位につけたら平らかならん」

 

としたため、和気氏は道鏡を阻止する。

これに怒った道鏡は、和気清麻呂を大隅国(鹿児島)へ追放


豊前国へ行く途中、足の筋を切られ、歩行できなくなった時、
突如、300頭の白猪が現れ、和気清麻呂を助け、護衛のもと、
無事宇佐神宮へ戻る事ができたという。

 

※1928年の宇佐神宮

なんで大隅国?
して、北九州の宇佐なの?


これは、九州に卑弥呼(日の巫女)がいたから、訊ねにいったという事ね?

丸森の大猪伝説の場合、人を差していると思います。
中国では猪と豚は同じ意味をもつ言葉でした。

しかし、豚と猪の区別は、


人慣れしている豚=家畜になる。
人慣れしない猪=野生


つまり、猪は、人慣れしない、なつかないという事で、
朝廷側につかない「まつろわぬ民」のことを伝えている話しだと思うのです。
豚も猪も歴史は非常に古く、新石器時代からいました。

先住民が猪にされているのは、狩猟の民とされるのと同じ。
山民にとっての猪は、山神です。

ギリシャでは、猪は三日月型の牙をもつことから、
月の聖獣とされます。


猪により聖王が亡くなるというヤマトタケル伝承は、
ギリシャ神話にもあります。


※カリュドーンの猪

(ギリシア全土から勇士が招集され、猪は退治されたが、
このことがオイネウスの息子メレアグロスの死につながった。)


※北欧神話に登場する猪(グリンブルスティ)
恐るべき歯をもつ者。

■犬卒塔婆と七ツ森-----------------------

さて、この話しは七ツ森にもつながります。

要は、九州の隼人(熊襲も)が東北にきて、エミシになって
また東北でもエミシ征伐にされてきたのです。

おそらく、神武天皇が紀州経由を通して、巫女をチェンジした。
(祈祷方法を変えたというような)
古来の九州王朝を排除された巫女が東北で健在していた、
力を持っていたという事なのでしょう。

 

代表格は、神功皇后(宮城県に伝承が多い)

それで改めてわかったことがありました。
丸森大張りの猪も、白石に関係していたのです!

『白石市史』によれば、
白石に犬卒塔婆という村があり、菊面石があります。
源頼時の末子、白鳥八郎則任の遺骨を葬ったと伝わる。
それを片切神社と言った。

 



「球状閃緑岩は、閃緑岩の母岩の中に、球状構造体(斜長石・角閃石の
放射状結晶を中心として、その外側に雲母、角閃石が結晶し球状化したものを含み、
一見、菊花の紋を並べたように見えるので通称「菊面石」と呼ばれている。
菊面石がどのような条件のもとで形成されたかについては、解明されていない。



レプリカは「白石市いきいきプラザ」で見られます。

これが神石のことかもしれないね。

片切神社の詳細は不明なのですが、写真のがそうなのかな?
厳重に保護されているような祠です。

柵があるので近寄れません。

白鳥八郎則任とは「安部則任」のことです。

 

※奥州市:白鳥館


安倍則任は、平泉の白鳥館に居住していますが、
3月に行った名取の大舘山・川上大館跡にいた人?

 

な、説も。


※何も残されていない川上大舘館。
 

2016年に犬卒塔婆に行ってましたが、この話しは知りませんでした。


何も書かれていない板碑があり、薄い石で途中から折れているような
板碑(花崗岩)があるそうです。

その犬卒塔婆の板碑のあるところに、
丸森大張の大猪が居住していた
というのです。
(宮の沢屋敷の平石衛門・安右衛門兄弟)というのもあり。

1100年前、比叡山の松の樹をもつ老猪がいた老猪は、
丸森から白石の犬卒塔婆に隠れ住み
七ツ森に移ったという。


七ツ森で一夜を頼んだのが、盤司、磐三郎の住処だったという。
老猪に同情し、協力した

と伝わります。

七ツ森にも登場してくるマタギの兄弟盤司、磐三郎。

 

この兄弟は、山寺にいた猿と言われたんだよ。


白石~根白石~七ツ森。

この話しからすると、マタギは白猪側についた事に。

 

つまり、宇佐神宮。

 

※グーグルマップ

 

まあ、峰を越えれば犬卒塔婆にあたりますが。

赤い印が犬卒塔婆の菊面石。(こんなに山中ではなかったと思うけど)

猪を退治した小野篁は、白犬をつれており、
森林の中、老猪を探します。


猪は大張村の虚空蔵菩薩のある山にひそみ、
ここで見つかり、猪は射られ、白犬は格闘した後に亡くなったため、
犬の霊を弔ったという。

それが犬卒塔婆碑の由来だそうです。

 

※虚空蔵菩薩堂

 

小野篁の犬が葬られたのは、犬供養があった犬卒塔婆だからです。

(時代に誤差がありますが)

そこにいたと伝わる「白鳥」と名乗る安部一族・・・

犬卒塔婆とは、犬供養をしている風習の地名です。
利根川流域で盛んだったそうです。
Y字型に、握り飯を入れたわら苞(わらつと)をつけ、
村はずれの川や三差路まで送るというもの。


もしかしたら、猪は、安部氏のことを示しているのかもしれず。
丸森~白石~名取~平泉という道にいた影のマタンキ=又鬼(マタギ)
この道は、安東氏の道にも重なる気がします。

実は、このような風習は、犬や猪も狼も含めてそうですが、
多産なので、安産祈願になっています。
女性たちが広めた風習でもあります。

白犬が追って猪を退治するとは、飯舘村の虎捕山と同じ伝承です。
角田にも安部姓が多いことを考えれば。

 



つづくんだな~。。。