つづきです。
この方もよく見えない秦氏のことです。
ちょっと難しいですけど、挑戦。
■香野姫と宗像三女神---------------------
さて、スイッチ全快。
妄想が、暴走。
もう誰も止められない。
前回、二本松の伝説で、
猪に助けてもらった香野姫の伝説がありましたが、
なぜそのような話しになっているのかは、
地元の資料などを調べているわけではないので、
詳しいところまでわかりません。
ここでは、伝説が生まれる背景を妄想します。
「隠津島神社(おきつしまじんじゃ)」:二本松市
が気になることです。
その名の通り、隠れている津の島です。
宗像三女神を祀っています。
奥山なのに。
一度、参拝におとずれましたが、すごい所でした。
もうここにすべて書いています。
なので、今回は、まとめるだけに。
「源義家が木幡山にたてこもり、安部貞任と戦った時、
はるかに女神山を望んで戦勝祈願をした」
これが、すべてを語っていますね。
訳してみますと・・・
「八幡神の太郎は、木幡山の宗像三女神と共に、
安倍貞任を退治できた。
その力は、秦氏が崇拝する機織姫の力である。」
結論言いますと、機織姫の力とは、
神功皇后を指します。
別名:アカルヒメ、(香春岳:御許山)
女神山は、養蚕を伝えた小手姫が眠るイワクラがあります。
当時、女神山を「神功皇后」としてみていた、
と想像します。(戦勝の女神)
このへん、後で書きます。
隠津島神社のある山を、
「木幡山(こはた)」といいます。
=五幡=蚕機(こはた)から由来します。
木幡のお祭
下の図: 五色の幡を掲げて戦っていた
白石の支倉家にも繋がります。
五色の人種説があります。
それと関係するかわかりませんけど、
木幡のルーツが丸森~白石へ向かっており、
それが「マタギ犬」で繋がっています。
犬の夢は、マタギ犬のことでもあります。
さて、
香野姫「カヤ」姫の由来は、
用水路の神や、家屋の意味があります。
他、
鹿屋野姫であり、草の神のことで、
北海道も祀られており、火山の噴火の溶岩?で
流れた土地に草(植物)をもたらすように、
草や植物、たばこの神ともされます。
福島県を限定して考えれば、
「焼畑」のことを伝えていると思います。
「サス」の地名は、焼畑のある所につけるので、
墨虎がいた虎捕山(山津見神社)の地名が「佐須」です。
実家の秩父も武甲山付近も、
サスやサシの地名が多く、焼畑農業を行っていた為です。
小手指(埼玉)がそうです。
昔、秩父ではおよそ7割が、焼畑だったそうです。
そうだった、
狼信仰は、焼畑にあるんだった!
それが、飯舘村との共通点!
なので、猪ではなく狼であっても同じ。
また、草野とは、地名の
草野=くさ野(苕野):浪江町が関係していると思い、
ワタツミがルーツにあります。
九人の巫女が上陸した海のこと。
また、別名:「ノヅチ」と言うので、
「ツチ」は、テナツチ、アシナツチと同じで、
大山津見神です。
また、ダイダラボッチのアシナ(アサイナ)とも同じです。
■安倍氏を追う秦氏------------------
安倍氏がいた所に秦氏が痕跡を残しています。
木幡山は、前九年の役で南北朝の時代の砦だったようで、
安倍氏が占拠していたと伝わります。
安倍氏と源氏が対戦した所ともいわれ、
砂金のことがあります。
なので、砂金交渉のために訪れた藤原実方が
重ねられていると思うのです。
安倍氏=墨虎としますと、
墨虎は、二本松~北上し霊山の方へ逃れます。
源氏に追われ、虎捕山で打ち取られます。
(なぜか、亘理町にものがれ、もどってきている)
しかし、その後、逃れたのかどうか、
新地町の五社壇も合戦場から逃れたとかで、亡くなっている場所とも言われます。
実際、人骨がみつかるとも・・・
(2回も登っているがな)
でも、全然、嫌な気がしないんだよね。
※五社壇山頂
五社壇には、隠語である「琵琶を落とした」伝説があり、
琵琶は、金の隠語です。
南部藩の金と思われます。
安倍氏がいるところに、鹿と猪のメッセージ。
秦氏はもっと古い時代から登場しますが、
隠津島神社の神紋が、
藤原秀郷流、丹波氏と波多野氏とされ、
丹波氏は、神八耳井でミミ族です。(海洋民族)
この×のマーク。
神八耳井→多氏→大伴氏→大伴小手子(秦氏と養蚕を伝える)
して、秦氏は、漢字を変えて、
たくさん子孫を残しています。
大伴氏とともにしていたのは、
冤罪みたいな話が三韓征伐であり、
大伴氏も古い豪族なのですが、蘇我氏や物部氏がいたから?
結果、陸奥へ左遷されたのではないか、と思います。
なんでそうなのか、わかりませんが。
だまされたかなんだか。
排除された話もあったな~。
多氏は「オオ」とよびますが、
朝鮮語では「高(タカ)」を「オオ」と呼びます。
「太」「大」「意富」「飯富」など。
それが、大伴氏の「オオ」にもなっています。
阿蘇氏と同族。
と、言われます。
この多氏が、相馬にきているので、
妙見信仰を広めたと思うのですが(秩父にもきているから)
謎が多いです。
「多」はそのまんま、タタ。
産鉄族の多氏です。
宮城県北部で途絶えています。
秦氏がいるところ、多氏がいるというわけです。
多氏は九州(熊本)から横穴式石室を残す
幾何学文様を描くお墓の人々で、
エジプトっぽいですが、
※虎岩古墳の壁画(茨城県)
茨城にいたカカセオを退治した
黒坂命は多氏らしい。
非常にシャーマニズムで、最も古い豪族といわれ、
神武天皇系らしいが、不明。
たぶん、滋賀県から、
~関東の千葉・茨城県へ上陸し、
相馬~宮城県北部まで横穴石室を残しています。
それと同じ道を歩いているのが、
阿波忌部氏と思うことですが、
これがわかれば、もっと面白い。
秦氏と阿波忌部が同族かは、わかりませんが、
山形には、讃岐忌部がきてます。
しかし、秦氏は、いろんな人を隠しますね。
阿波忌部が秦氏になっている感。
それで、香野姫と猪伝説があるのは、
秦氏と宗像系の海民が関係していると思うのですが、
もうひとつ、秦氏が拠点としていた九州があります。
九州と東北は、兄弟です。
これを繋げないと、香野姫がなぜ、福島にあるか、
みえてきません。
混乱するので、
次にします。