9月にいってましたが、
再び、亘理町へ。

 

 



鹿島天足和気神社


■霊剣とは-------------------

さて、妄想炸裂です。

前回は、陰でしかなかったのですが、
今回は、陽にもいってみました。


イメージですが、ニニギの天照大神は、太陽の鏡で、
二ギハヤヒの天照大神は、月の矛のイメージがあります。

亘理町は、古くから史書に登場します。


『日本書紀』巻七「日本武尊の遠征」に
葦の浦・玉の浦を経て日高見へ至る

 

という記述があり、
この葦の浦が亘理にあたるという。

(玉の浦は岩沼市玉浦・仙台空港付近を、
日高見は北上川流域を指す)



亘理町は、「玉」なのですね。


いつの時代か定かではないが、囚人を
住まわせていた場所とも言われます。
千葉県九十九里は、かつて玉浦とよんでいました。


古代の千葉・茨城県から船で阿武隈川を
経由して上陸している証でしょう。


上総国一之宮「玉前神社」

 

 

玉前神社が千葉県にあり、
「玉依姫」の一柱をお祀りするとの事。

 

 


千貫山の麓に「玉前郷(たまさき)」の地名があるのです。
名取駅の南の川流は「玉川」と称したそうです。



豊玉姫からウガヤフキアエズを生んだという話しから、 
千葉県~相馬~角田~岩沼という流れは、
やっぱりあるんですね。


その千葉県が昔は「坂東」とよばれ、
茨城県も含まれます。


彼らは、鹿島神を信仰し、
鹿島天足和氣神社があるように。

他にもカシマはたくさんあります。

9月7日に、鹿島天足和氣神社へいってました。

 

今回、再びAさんとお参りしてきました。

 

9月の時にいろいろ難しいことを書いてましたが、
走水や伊豆のことを書いてました。

 



読みかえしてみると、わからないね~。笑

 

 




そのなかで、

「舘主10代伊達村氏公が、南面であった社殿を、
鳥の海を向く東面」に建て替えた。」


なるほど~。
それでAさんと一緒にいったのか!


最後は、鳥の海でした。

9月の時に、行こうと思ったけど、
面倒くさくなっていかなかった~。


なぜ、ここの神社に剣が祀られているのか、
タケミカヅチに関係していると思うけれど、
よくわかりません。



稜威雄走神(いつのをはしり)というあまり聞かない名の剣で、
はしり→走水となって、伊豆の話しになっていました。


これは、天之尾羽張(あめのおはばり)のことで、

「イザナギが所有する神剣(十束剣)で、
妻イザナミが黄泉へ行く原因となったカグツチを
斬り殺す時に用いられた」



ということでした。

 

 

裏手の森が気になる

 




9月8日だったかな。
参拝した次の日に、

世界文化遺産である「花の窟神社」(熊野)
のご神体の岩の一部が崩れたとネットニュースで知り、

陰が強いのかな?と思ったことです。


花というのは、岬(岐)ぽいし。
熊野も海だしね。


9月9日が「重陰」だったし。

その崩れた岩は、
軻遇突智尊(カグツチノミコト)だったんですね。

どこかで崩れたり壊れたりすると、
別の場所が再生したり、誕生したり潤うものだと思います。


女性性が強いと、そいう現象が起こるのかな?

イザナミは、そういうところを
引きうけるのだろう、と思ってしまいます。


父系のエネルギーが強い人
(もしくはそれしか依存していない人)
にとっては、不安になるんでしょうね。


でも「間をとりもつククリヒメがいるから」
なんとか収まっている気がします。


相当な負荷が紀州の岩盤に
かかっているとみるけど・・・真顔

私たちには、及ばない力なのでしょう。

 

 

■陽の鏡--------------------------------


さて、ちょっと長いけど(いつも)

興味深いこと。



神社とは関係ないけど、近くに「陽鏡山」とつく
お寺があるので、前回行った時に
気になっていたので、参拝させて頂きました。

 

 

 




ちょうど、住職の方が庭にいらして、
観音様(正観音・不動明王)
のお参りをさせて頂きました。

 



十一面観音様もあったかな~。


他にも魔王尊がたくさ~んいて。

 

※空海像


ここも空海の伝承があったのですが、
なんと、

会津の恵日寺を建立した

「徳一大師」でした!


『観音院は天長六年(829年)約1180年前に、
徳一大師が逢隈の関に観音堂を建立し、
その観音様を鹿島の観音院に移転したと伝えられております。


(伊達候が例年武者行列をなして
五穀豊穣を祈願した由緒ある正観音像です。)


開山堂には徳一大師を安置しております。

中興関の坊明海(第一世)が
養和年間(1180年代)観音院を建立平泉の役で
焼失してしまいますが、
建久六年(1195年)関の坊常吉が観音院を再興されました。

829年前の中興から数えて現在まで
法灯(ほうとう)が護られ第四十六世となっております。

木造関の観音立像は町指定文化財です。』

 

 



会津が繋がるね~。


徳一大師の有力説は、

恵美押勝(藤原仲麻呂)の子(6男)とされています。


だから~、その乱で一族がこちらに逃れてます。
その制裁をしたのが、マロの父、坂上刈田麻呂ですよ。

徳一大師がここに縁をもつ由来があると思い、
また大師も影響を及ぼしてきた系譜にうまれ、

葛藤しながらも、自身の道を求めた方だったと思います。

 



東北の仏教が形成された背景には、

都から逃れた貴族(藤原家)たちの
山岳信仰の理想郷が、
東北地方の仏教文化を形成している
からです。

(でも会津に侵入した伊達政宗により、
恵日寺は壊れて(焼失)しまったけどね・・・→摺上原の戦い)

 

 

帰るとき、

登っていいよ、と言われて鐘をついてきました。

 

亘理町も被災されている方が多いので、

被災地への祈りもこめて。

 

 

 

 

煩悩がひとつ消えた。。。ヒヨコ


会津恵日寺の裏手にある徳一廟がありますが、
このような塔は、須弥山を現していると思います。



徳一大師のことはこちらを参考に。
空海が徳一大師に送った手紙の話しが書いてあります。

 

 


 

飛龍観音像、すごいですね~。

ちゃんと玉を持っています。

 

 

弁財天の刺繍みたい。すてき~。

 


案外、鏡の伝説が岩沼・亘理に多いんですね。

岩沼の阿武隈川沿いに
日天月天堂があります。

 



鏡の伝説が伝わっており、

陸前の国、寺島なる日月堂の神であると伝わる。


759年、「藤原朝臣朝狩(恵美押勝の子」が
勧請したという押分の日月堂(神明社)が、 
大洪水の時に流されて寺島に漂流したらしい。

 

繋がっていますよね。


里人はこの漂着した「日天月天」の鏡を祀ったと
古老等により伝承されている。


部落では今尚「鏡ヶ原」の名称を伝えているので、
 「鏡を拾い上げた場所」であるかもしれない。
お堂の南側に薬師堂が祀られている。

 

 

■ヒタカミの鏡--------------------------


日高見国に鏡(天照大神)を鎮座させようとする
構想が浮かぶのですが、

その代表各となった朝廷の有力豪族が、紀氏だったと思う。

紀氏は、2タイプあり、名草の紀氏ではなく、
「皇別氏族」と言われる方の紀氏がいるという。

軍事の氏族になった紀氏なので、朝廷側にいた紀氏です。


天の岩戸の時に用いたという鏡とは、

伊斯許理度売命(イシコリドメ・イシコリトメ)」がある。

※名前は、石(イシ)の鋳型を用いて鏡を鋳造
することに精通した(コリ)
特別の女性(トメまたはトベ)の意味である。


岩戸隠れの際に「八咫鏡」を作った人。


※八咫鏡(イメージ)大型内行花文鏡


相馬の高座神社(たかくらじんじゃ)を思いだした。

 

 



長くなるから簡潔にしますけど、

イシコリドメを祀ります。

 



「高倉下(たかくらげ)」のことだと思う。(妄想)
とすれば、物部氏のフツノミタマというものになる。
(尾張氏、海部氏など)

 

 

瑪瑙(めのう)は、アカルヒメ(別名:シタテルヒメ)

で、この高倉下の意味は・・・

高倉下の系譜に「海部氏」がおり、
始祖は、天火明命(あめのほあかり)である。



別名:二ギハヤヒ。


『古事記』『日本書紀』では、

天火明命が「兄」になり、
ニニギ命が「弟」になっている。


朝鮮の百済国では、「弟」が


建国神話になっていることを考えれば、
日本の神話もそれに合わせるだろう。


霊剣を変える→父系の時代到来
を、兄弟の始祖伝承としたと想像。


古来は、卑弥呼がいた
「姉と妹」の時代だったと思うから。


相馬はタタラ場がたくさんあり、
鏡を鋳る技術が伝わっていたことは十分、考えられます。
神事や祭司として用いるための。

鋳物の神・金属加工の神として祀られている。


その技術をもたらしたのが、紀氏だと思われる。


イシコリドメは、
神武天皇に霊剣布都御魂をもたらした人物といわれる。


紀伊国にもたらされた宝鏡は、
その末裔である紀氏によって祀られ続けた。



紀氏は、イシコリドメに鏡をつくらせ、
ニニギと付き添って天津国へきている。

アマノコヤネとやってきた神話。


それに対し、蝦夷→ヒタカミ

(ヒタカミは自然霊=水神(河神)とされる)
この2つの関係は、高橋富雄先生から参考にすれば、

「大和国との併合」という事。

 

と、いったことを以前書いてました。


その併合(統治下におかれる)することを紀氏は、

エミシたちに課せたのだろうか。

 

引き受けたくないアテルイたちは、反乱を起した。

元来、剣とは「両刀」であると考えられます。
陰(水)陽(火)の融合を形つくられ象徴としたのが、剣です。

片刀ではないのです。

 



※両方の刃をもつ剣:(剣名:以餅鉄守一作之1864年)

「天羽羽矢」「羽」2つで「ハハ」(蛇)
剣が2つの意味。

 

物部氏は剣や刀ばかりを創ってきました。


紀氏は木の神です。

木を信仰する背景に「船」があります。
古代、クスノキの素材で船をつくっていたと。

木船で、貴船の神のこと。

貴船神が、木の神であるとすれば、
エミシの地に貴船神を祀ることが多いのは、


真野川→阿武隈川→一迫川へ、
航海技術をもった海民の上陸の目印だったでしょう。

 

東北地方は植生が豊かなので、巨木も多い。


また、「星をみて航海した」天文学の知識があり、

金星(明けの明星)を崇拝してきた歴史に関わってきます。

 

木と星の信仰。


西から大陸を通り、海を渡って東の日本にきたら、
そこは、終焉地です。


島にすむ海民も山民も、

渡来した人々の上陸を拒みます。

 

今のコロナがそうであるように、

伝染病は、大陸からもたらされた為、

 

島国根性の日本人が潜在的にもつ拒否感、

迫害、分断も、そのトラウマが大きいと思います。

 

 

 

鳥の海は、阿武隈川の河口。

阿武隈川は海へ。

 


その海に対し、山民は、鳥をもたらした。
秦氏、物部氏の鳥があったからこそ。

鳥の磐船とも言いますが、
兄の海は、弟の鳥から見下ろされるようになった。

 



だから「鳥の海」は、今もこうして
トビと共にいる。

 




最後におとずれたのが、「鳥の海」でした。

ほんとうの空があるなら、
ほんとうの海がある。


つづく。