秋ですね。
鷺をみかけるようになりました。
さて、なぜか気になる駒形根神社のこと。
の、つづき。
なぜか、この神社の「裏」に何かあると思いましたが、
いまだによくわかりません。
なんかある・・・けど、立入禁止。
改めて調べてみたら
「大森館跡」とあった。
・・・で、それがなんだろうなぁ。
堤防なんですね。
さすがに一関の資料をくまなく調べつくすほどの
気力はないので、まあ、「大森」とあれば、
「長者」がいたっぽい感じがする。
が、こんな偶然がありました。
先日、蔵王の奥の院へ行った帰り、
行く途中、川崎町の方から向かったのですが、
山の方に鳥居がみえたのですね。
気になったので、帰りにたちよったら、
なんと同じく「大森」だった。
こっちは、山がある。
ヤマヤマ?
駒形根神社の裏が気になっていたところで、
こういう偶然は、珍しい。
う~ん。
再拝山?
阿部氏・・・の、家臣。
という説があった気が・・・
その情報がさがせない・・・
大森和泉守が居住していたと。
ピンとこない・・・
青森は「あおそ」のことだそう。
青麻のことかな?
でも、「青葉」の地名は、丸森町に青葉の地名があるし、
平永衡や阿部氏に関する伝承地(熊野神社)でした。
私は阿部氏ときくと藤原経清の妻しか思い浮かばない。
亘理町の鹿島神社へいきましたが、
あのあたりに居住して多賀城へも赴任していた
藤原経清です。
その奥さん。
古峯神社の石碑。
暗い道。
冬にならないと無理ですね。
いろいろ出かけている場所が、
奥州藤原氏の平泉と繋がっているので、
たぶん、この時代の何か、と思います。
有加 一乃末陪(ありか いちのまえ)という
安倍頼時の娘といわれます。
※長女の有加一乃末陪が藤原経清の妻
次女の中加一乃末陪が平永衡の妻と推測されている。
まあ、すごいんですな。
阿部氏の女性たちは。
この時代の歴史は長くなるので、やめときます。
東北では大森とつく山名や地名は非常に多いです。
後で追記しておきます。
そんな中世のことを考えますと、
平泉が近い骨寺村。
■山王窟伝説-------------------
骨寺村(ほんでらむら)は、
一関市厳美町本寺地区。
その西の境に山王窟(さんのうのいわや)という切り立った岩山があり、
昔「山王の鬼」と呼ばれた蝦夷(えみし)が立て籠もっていたそうです。
ヘイダ(坂上田村麻呂:さかのうえたむらまろ)と
激しく戦った場所といわれています。
※ヘイダ・・・勇敢な武将といった意味。
ここにいた大武丸は、
「五串村(いつくしむら:現在の厳美町)」の山奥に立て籠もったと。
しかし一族を率いた大武丸は捕らえられ、
後に「鬼死骸(おにしがい:現在の一関市真柴)と
呼ばれた里で首を切られ殺されてしまいました。
この先に、岩手・宮城内陸地震で断層が大きく崩れた
所がありますが、山王の鬼の首を「祭畤山(まつるべやま)」に、
2人の息子の首を「二子山(ふたごやま)」に葬り
その霊を弔(とむら)いました。
しかし、親兄弟を失った蝦夷の哀しみに満ちた声は、
去っていくヘイダの後を追っていつまでも奥深い沢に響き渡り、
消えることはありませんでした。
詳細は、こちらのサイトを。
上からみる骨寺村(中世の荘園地がそのまま残る)
祭畤山(まつりべ)は、震源地のすぐそばでした。
縄文祭祀が残されている場所です。
震災遺構として、今も残されています。
この岩場(山王窟)に祀られている神様が、
市杵島姫命、奥津姫命、田心姫命、を祀り宗像三女なんですね。
厳宮大明神、麗美宮(いつくしみや)
といった。
斎(いつき)とか。
宮ですね。
ですが、地元の伝承では、骨寺村の巫女は、
「口寄せたちの守り神」
になっていたのですね。
「東北地方に多いミコの歴史的捉え方から、
かつては口寄せをする巫女の守護神を祀るところと言われる」
※若神子社・・・巫女が祀られている場所(近くまでいけません)
若神子とは、ミコのこと。
平泉が近いですから。
オカミサン・オナカマサマたちの信仰が深いところに、
大武丸伝承があります。
そんな地にある、2人の兄弟。
ということで、これが鬼死骸村に繋がっていたのですね~。
また、簡素だけど位置関係。
五串城は「茂庭城」ともいったそうです。
あの太白山の茂庭と関係する?
磐井川と北上川が合流する地点に、舞川と舞草地区。
世界遺産「平泉」登録10周年を記念するイベント
をやっていたんですね。
どーりで、妄想祭りなんだわ。笑
阿部貞任・宗任も2人ですね。
大森考察・・・。
次に書いておきます。