ぼちぼち、
これをまとめようか、と思います。

古代~中世まで歴史上、
かかせない栗駒山なので、いろいろあります。

今年のいつだったか忘れましたが、
石巻の海と栗駒山を繋いでいたことを
書いてまして、それで終わったつもりが、

鬼死骸村に行ったら、また開いてしまいました。宇宙人くん

過去に行った骨寺村の時の話しです。

その前に、今、「陽」が強いのですか?

昨日は9月9日で「重陽」なんですってね。
だから蔵王にいったのかな?

 



今日いけば、天気良かったのに・・・泣。

 

 

秋空ですね~。

世は、0と1の仕組みで整えられていて、
その間に人が入って三位一体、というのは主観ですが、

0=陰=海=水
1=陽=山=火。

重陽とは、
旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句との事。

陰陽思想では奇数は陽の数であり、
陽数の極である9が重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。


こんなことがありまして。、
今朝、イオンで買物した金額が

見事に「1111」だったのですね。ニヤニヤ

 



3ケタはあっても、4ケタは珍しい。

思わず写真をとる。

てか、陽が勝りすぎ。
1の4重。

さて、そんなことでちょっと今、
陰陽のメッセージがきているみたいなのですが、

 

プラズマも起きてませんか?地球上で。

プラズマ地震というのがあり、

活断層がズレて、というのではなく、

 

陽イオンと電子に分かれて、どーのこーの。

 

「地下で何かが起こっている」と専門家が言っていた

岩手・宮城内陸地震を思い出します。真顔

さて、

亘理町の鹿島天足和気神社を書いた後、

(アメノオハバリのこと)
眠くなってうとうとしていたら、

「陰陽の神社が東北にある」

という文字だけが浮かんでいたのですね。

それは、もしかしたら、
書こうかな~と思っていた、

御崎明神

のことなのか・・・
陰陽石ならば、全国にありますが

「東北の」となれば・・・

 



唐桑半島の先端にある神社で、
日高見神社が祀られている御崎神社のこと。


「御崎明神」とも言います。

ずっと前に行ったことがありますが、
名取老女の歴史会メンバーといって、
室根山へ行った後に参拝してきました。

 

まあ~、この頃は、ハマってました。ニヤニヤ

 


おそらく、桃生郡の計仙麻大島神のことが
縁起としてあるので、桃生にある日高見神社
との関連を、ここでも繋げているのかもしれず。

その御崎神社境内に「陰沼陽沼神社」の社を祀っています。
写真がないのですけど。

 

 

大海津見神 (配祀)素戔嗚尊 (合祀)日本武尊。

 

唐桑半島の御崎神社の由縁に、

 

ご神体が児置島とあるのですが、「こおきしま」とよみます。

児置島は、海神である神降石(児置島)を祀る神事があったそうです。
(810年~823年)
神降石というのが、光るもので、降臨してきたという伝承もあり、
大海津見大神とされる。

 

クジラ漁

もしていたのですよ。

 

大綿津見神は、石巻も同じ。(牧山)

後で説明しますけど、ここでも2人の賊が登場するのが、

一関なのです。


これが繋がっていたんですね。

2019年の7月のこと。

一関骨寺(本寺)へ行った時です。

 



厳美渓をみてから骨寺へ向かう途中、
橋が工事中で渡れなかったので、

そのまま裏手の細い道を進んでいくと、
正面に鳥居が見えました。

 



何が祀られているのかいってみると、
駒形根神社とあり、

このあたり栗駒山の麓なので、
駒形根神社が祀られているのは、
不思議ではないのですが、

なぜか、とても気になった神社なのですね。

 


 

正面からみえたから気づいたけど、

通常の道をいくと右手奥になるので
気づかなかったと思います。

 

 



この神社の「裏」がとても気になったのですが、
その時は、骨寺村が目的だったので、
そのままにしてました。

 

 

神社裏手の小猪岡川。

磐井川と合流する。

場所は、厳美町で骨寺村の入口付近にあたります。

五串(いつくし)村と猪岡村が合併して厳美村が発足。
地名も気になるところで、
 

弥栄村、舞川村、とか。

舞川村は、舞草村と相川村が合併して舞川村となった
というからに、日本刀発祥地である平泉が近いです。

いつの時代か不明ですが、唐桑半島に上陸した海民が
栗駒山を目指して移住していたと考えられます。

 

 

ざっと位置関係。

 



ちょっと神社の説明をしますが、

場所:一関市厳美町上山口。
祭神:大日霊尊・天常立尊・国狭槌尊。


ヤマトタケルが駒ヶ嶽に皇祖大神を奉斎し、
後に、坂上田村麻呂が里宮を創建したと伝わります。

 

 

※イチイ

 

服従しない民を制服した神なので、
朝廷側の神様です。

ところで、

駒形根の「根」ですが、
実家が宇根といい、武甲山麓の東側は、
根古屋とよんでいる。

根は何かと黄泉な気がするのですが、
だいたい、山の麓につける地名らしい。

綱名道代先生によると、
根は「本拠」の意味があるとの事。

アジスキタカヒコネを「根」にしているのには、
根拠とするからとかなんだとか。(むずい)

これを参考にしますと、

栗駒山が本拠で、南下すると(茨城あたりは)
駒形神社なので、ネではない。

 



干支での「ネ」は、一番最初ですからね。

室根山こそ、大武丸本拠地という感じがしますけどね。
「根」がある山名ですし。

室根山も「鬼首山」と言ったのだから。

 

■駒形神とは--------------------

駒形神について、

『日本書紀』より、

「崇神天皇の4代目、彦狭嶋王が景行天皇の
命令で東山道十五ヶ国の都督に任じられる。

ところが、東国下向の途中で病死。
毛野国に葬られその子、御諸別(みもろわけ)が、
国造となり上毛野君となる。


この祖神は駒形神、赤城山の側にある駒ケ岳があるので、
陸奥に入り、会津郡に駒形神を鎮座したという。

 

 

※神社の裏には馬頭観音や馬神の碑。

ヤマトタケル伝承にしているのが、
彦狭嶋王に関係ありそう。

豊城入彦命のことなので、宇都宮二荒山神社です。

「豊」です。

早くから朝廷と結んだ上毛野国だから、
悪路王伝説多いし、藤原家も多いです。

彼らが、ごっそり東北にきてます。

だから~
宇都宮二荒山神社は、主人の実家の氏神なんですね。

そんなことだから、ご縁というのは、
不思議なもので、永続なんでしょうかね~。

その駒形神は、群馬の豪族が敬っていた駒ケ岳が、
ルーツにあるようで、東北へきて、
上毛野田道将軍の話しがあるように、
駒形神を祀ってきた経緯があります。

確かに、茨城・千葉(常陸国)に駒形神社が多いですね。

大武丸や悪路王といわれた伝説が多い所に、
駒形神社が多い理由です。

 

群馬県は、3社くらいしかない。
それに「根」がついた神社はないです。

 

 

でも、東北には根がついている。
磐井川に沿って祀られており、栗駒山に向かっているようにもみえます。

 

 

きれいな磐井川なんですよ~。

この川が、厳美渓という美しい渓谷をつくっています。

 

 


エミシたちは、自分たちの神に対し、
上毛野氏らの祖神=駒形神を祀るのを嫌がっていたようです。

駒形神がある所に、
エミシが反乱した痕跡があるとの事で。

栗駒山は、磐井郡駒形山ですが、
「母体村(もたい)」とも言われていた?
岩手にも駒ケ岳がありますね。

母体とは、モレではなかった?
駒形には、蝦夷(えぞ)エミシ反乱があったのです。

ということで、気になった理由は、
御崎明神と繋がっていたことであり、

これか~と思った石碑。

 



神社の裏にあった大きな石碑。

御崎供養

のことでした。

■御崎明神-------------------------

厳美地方では、御崎明神が盛んだった!

の、です。

 

 

道沿いにあります。

 



講中を組織し、毎年2~3名代参させ、
講中全員が参拝を終えると、供養碑をたて祈願したそうです。

「先祖代々登嶋家に伝わる神々」

「神聖なる樋口御山が岩手宮城内陸地震、
東日本大震災の下、国道342号線拡張工事に伴い、
この処に平成26年12月28日に鎮座す」

 



竹駒碑(岩沼市)
塩釜供養碑
御崎供養碑
横山碑(登米市横山不動尊)
菩薩碑(如来になるための修行の仏様)
月天・日天
不動明王

 



すごい岩場ですよね。

 

 



信仰の深さを感じます。

 

 

もうひとつ不動明王があります。

 

 

俱利加羅 不動明王

 

 

イワクラかな。

洞窟がありそう。

 



海のことについて考える(歴史において)
ようになったのは、石巻へ行ったことがきっかけで、

海をみないと山が見えないし、
山へ行かないと海と繋げることができない。


それが、陰陽の仕組みなんだそうです。

私は歴史をつなぐことしかできませんが。

お互いに(海幸、山幸)大地の霊的ラインで結ばれていることがよくわかりました。

鬼死骸村の大武丸を書いてましたが、
骨寺村がそうだったんですね。

あまりピンときてませんでしたー。

 

しかし、まだ気になることがありまして、

駒形根神社の裏にある痕跡。

 

ちょっと不思議な偶然がおこり、

何か意味することがあるのかどうか・・・

大武丸について、骨寺村ではこんな伝説がありました。

もういちど、おさらい。

つづく