石巻に何度か行くようになってから、
秩父と似ていると思うことがありました。

それは、中世1180年頃、源頼朝に信頼されていた
葛西清重が石巻にいたからです。

葛西氏一族は、400年あまり居住していたと言われますが、
関東(現:茨城県)に土地をもっていたので、
行ったり来たりを繰り返していたらしく、詳細なところ
よくわかっていないのですが、


頼朝が好意に感じていた理由は、清重は武士というより
お坊さんのような僧侶みたいな人だったという話しがある。

頼朝は信仰深い人には、甘かった・・・

葛西氏は土地(金)がほしくて源氏についたと思うが。

確かに、絵が残されていますが、
夫婦ともに描かれる武将は、まずいません。

 



それは、秩父氏が母系を重んじていたことがあるためです。

妻の方が強い。
そうでしょ、
秩父の女たちは。
奥さんも描かないと叱られる・・・そっち。ニヤニヤ

清重は、勲功抜群として胆沢郡、磐井郡、牡鹿郡など数か所
所領を賜り、更に奥州総奉行に任じられ、
陸奥国の御家人統率を任されたという。


その300年前をさかのぼれば、
上毛野田道将軍が登場する。

上毛野氏も関東(坂東の異民)となり、
紀の川(和歌山)がルーツにある。

エミシたちが紀氏、上毛野氏、
中世になると奥州藤原氏VS葛西氏ら源氏と対戦。

戦っているのは、金などの鉱物資源の破壊です。

秩父氏が強くなったのは、和銅がとれたからです。
丹党一族といって丹生(水銀)=金ですけど、
彼らのいる所は、破壊がつきものです。

こういった事が背景にあるので、
石巻と秩父が歴史上似ていると思うのは、
中世の武将の性格があると思う。

そんな石巻にひっぱられてきているのは、
私だけではなく、(主人のご先祖さまの系譜は石巻)

秩父にいる知人が石巻で震災復興活動をしていた。
秩父の落語家:林家たい平さんは、日和山で復興のために走ると宣言した。

たい平さんのは、ニュースをみて、葛西氏を感じた・・・

ことを考えると、

かつて、母親が秩父氏だった葛西氏による霊統の働きがある
ことを、ずっと前からうすうす感じていました。

やはり、霊的に「母系が関係している」
秩父氏がそういう民族にあるからこそ、
腑に落ちるのでした。

 

■磐とは------------------------

磐の話しをするんだった・・・

ちょっと、貴船神についてなのですが、
案外、エミシの地に貴船さんが多い。

たぶん、毘沙門天の伝承からもってきているのかもしれない。

南相馬の冠嶺神社の三神がニニギ・ホホデミ・八大龍王とありました。
(奥相誌では)
南相馬へ行った時に、八大龍王を祀っている社が多いと感じました。

八大龍王が意味するのは、京都の貴船神に関わると思います。

石巻の真野川のそばにも、貴船妙神がありました。
貴船神と妙見があわさったような祀り方です。

この貴船神も鹿島御児神社(かしまみこ)と同じように、
東北進出のために祀られたと思われる
開拓神にされているようですが、


貴船神は水神(龍神)なので、
川のそばに祀られているものです。

鹿島御児神社については、カシマの子を祀っているようですが、
カシマ・フツヌシとの関連を示すためであり、
ヤマトタケルが東夷を征服できたために軍神しているものです。

多賀城のヒタカミに関わることと言えば、
現在、志波彦と鹿島神と経津主神ですが、
伊達家4代綱村公がその三神にしています。

元は、上陸した場所が、鼻節神社が祀られている岬で、
ここに猿田彦命を祀っているのは、ニニギを迎えたことと同じです。

山幸彦にマナを与えた塩土爺さんのようですが、

「塩を精製している」地に、鹿島神を祀る傾向にある。

 

ということは、塩土爺さんは、塩を精製していた人であり、

山幸彦もその一族であるかもしれない。


海洋民族の神の力と言われた超能力的なもの?とは、
原始信仰のアニミズムです。

それが磐(イワ)にあると思ったことです。

さて、磐境というもの、古代の「天津磐境(あまついわさか)」のことで、
祭祀と言われるのですが、繋がりそうな所では、
阿智神社(岡山県)です。
(いろいろと全国にとびます)

 

 


鶴形山という所にあり、

鶴石、亀石とよばれる磐境があるそうです。

まるで、鶴亀統べる。な、話しですが、
この「阿智」という名が陸奥にも関わってきます。

※広島県にも天津磐境があり、神武天皇の祭祀跡とも言われています。

阿智神社は、阿智(阿知)氏の発祥です。

「当社境内には磐境・磐座(我が国固有の古代祭祀遺跡)
と呼ばれる多くの石組が点在しており、

中でも本殿西側にある鶴亀の磐境は古代庭園とも呼ばれ、
日本固有の信仰と陰陽思想などの大陸文化が融合した
神仙蓬莱様式という形から、
彼らの手により築き祀られたのではないかとも言われております。」


秦氏くさい。


阿智氏が磐境を祀ってきたようで、磐に対する信仰が熱い。

 

それに、阿智氏の祖は、思兼命であり、

秩父氏(秩父彦命)と同じ祖をもつ。

これが角田もヒタカミだった。
ことに繋がりそうです。(後で)

磐境とは、こんな風に解釈されている。

 

川神に祈る時、神がつねにどこに
住んでいるかわからないので、

神を祈る人々の身近に降臨の場を設け、念が届くようにした。

磐境の中央に堅い木を立て、
それを神の「寄り代」として降臨していただいたのであると。」

 



神の姿は見えないので、目印として磐に木を立て、

そこに降りてくるように設けたものであると。


イナウのような働きがあるのですが、
木の寄り代は、ギリヤーク族(アムール川)が日本人の祖と
言われているのですが、天と地を結ぶ中心木=天津ひもろぎという
習俗をもっていたそうだ。
ニヴヒの民族のことです。

ヒタカミの信仰には、自然の石や、
木、海に神が宿す考え方があり、
スーセン族(みしはせ)のオホーツク文化などにもあります。
スーセン族は北方から南下したモンゴロイド。

これらの文化をもつ人々が日本列島に渡ってきたと思われ、
ギリヤークは、「大きな船に乗る人々」の意味があります。

北方のツングース系語族にもあたり、
北海道の蝦夷とは彼らのこともさします。

アイヌ文化とは別です。
北から南下した場合、どこで南からきた海民とぶつかったのかね?

しかし、天津磐境を単なる岩とみるものだろうか?
何の「境界」なのか?

 

■異なる文明のすれ違い---------------

抽象的ですが、私は精神文明と物質文明の境と思っています。

「ひしり(聖)」があえて封じたという話しがある。

悪いことに使われると困るからというが、
私たちが真理を知らないだけでは?

言霊にも「天津磐境」があります。

言霊領域に働いてその「二つを結びつけ
感応同交を起させる活動をする」という意味。


イ音の言霊を発すると、ただ現象としては何も起こらないモノが、 
タカムスビの「結び」になるという。

神様が、縁結びであり、また縁切りでもあるというのは、 
そのような現象を引き起こす父韻があっての事象という説明。

「チキシヒイミリニ」(すべてイ音)

この言霊だけでも十分だと聞いたことがある。

 

ノチ、キル、命に関わる言霊。

難しいけど、大事ね。ヒヨコ


わたしたち現代人にはその奥儀を知る術を、
まだ許されていないのだろうか?

 

いや、知らないだけなんだー。

磐境の話しにまた戻りますが、
岡山県の阿智神社の磐境が、宮城県のヒタカミに関わっていると思う。

それは、「阿智氏」のことですが、
この方の先祖、ルーツが濃ゆい。

宮城県に多く影響を与えて来た海民は、安曇氏です。→黒潮。

宗像ルートは日本海ですが、阿智氏は、日本海ルートの方。
信州に上陸しています。

(もしかしたら、敦賀?)

 



1.黒潮 2.黒潮続流 3.黒潮再循環流
 4.対馬暖流 5.津軽暖流 6.宗谷暖流 
7.親潮(千島海流) 8.リマン寒流

※日本列島近海の海流

ヒタカミ(原始アニミズム文化圏)と考えますが、

そこに海民の代表となる宗像系や安曇氏系らの海民の拠点であった所を、
朝廷がめざしてきた事にあり、ここから、
エミシの反乱が起こることになりますが、

先にあった日高見国(東北)と、
後からきた高天原(九州と考える)が
融合した場所が東北地方のどこかにあると。

高天原は、磐を崇拝する磐境があります。

日高見国は、東に太陽がのぼる国を差しているため、
磐というよりは、古来からの「太陽神」のことがあると思います。

で、関係しているか謎ではありますが、

九州北部=秦氏(物部氏も)=白鳥
九州南部=阿多族・阿部氏=鷹

と、なっている事と似ている気もする。

 

※鷹の家紋はたくさんあります。

白鳥は、物部氏ですが海部氏と合体していてみえない。
それに対して阿部氏らは、
鷹の方なので、九州で一緒だった豪族たちは、
互いに日本海、太平洋とわかれ、また一緒になっている。

 

そんで、ヒタカミは縄文王国だ、としておく。

やっぱ、そうなんだ。

 

青麻山付近に、縄文遺跡が多いのですが、

すごいのが発掘されているんですね。

 

後半部分に書いてます。

 

 
巻貝形土器がすごい!
これは、現代人は作れない?
 

 

「土製品で縄文時代後期のもの。
液体を注ぐ器として機能し、
うるし形で儀式など特別な用途に使った。」

 

蔵王は、やっぱりすごいんですが、

漆は、縄文人がよく使用していた方法です。

それで、この白鳥と鷹がいつも繋がる所は、
柴田町であり、船岡に行ったのも、船の丘だしね。

 

大高山神社も、白鳥信仰があるところには、

聖徳太子伝承があります。

 

漆の技術が、聖徳太子に関係している。

繋がっていることかもしれず。

そんな神社へ行くことになる。

つづく