久々に岩沼の深山(みやま)を歩いてきました。
まだちょっと風が冷たいのですが、
体を動かしていると暖かいです。

 

 



今年初の山あるき。
今日から解禁~♪

 


そろそろ近くの里歩きをしていこうと思います。照れ

 

 



さて、また源義経関係の話しになってしまうのですが、
昨年3月に小野さんたちと「緑丸」の石碑に行ってました。

 


この話しは前にいろいろ書いていた伝説なのですが、
「百合若大臣」の伝説です。


全国にある話しなのですが、なぜ、この話しが
岩沼の山中に「緑丸の石」として

残されているのか?

詳細はわからないまでも、私としては気になる石碑です。

 

阿武隈川がみえま~す。

で、昨年初めて小野さんに連れて行ってもらった時は、
岩沼のゴミ処理処分所の方から登って行ったのですが、
深山山頂から行けるのではないか?と。

 

※深山山頂(明治26年の碑)

 



深山~千貫森の奥の院へ行く途中に、
下に降りる山道があったんですね。(↑)

そこから行けるのではないか?と思い、
行ってみたわけです。

■緑丸とは?-------------------

さて、この伝説、終わりではなかった。
いつもこうなんだね。

なんでか、最初は気づかなくて、
しばらくたって見つかる情報が多いんですね。

 

で、本来の道をスル―して、

道がわからなくなり通りすぎる。笑~

 

看板とかないから、通りすぎるわな。

 

でもすごい。

やっぱ、本能が鍛えられている。

 

 

この道じゃないな・・・と思って歩いていたら、

ふっと右を向くと、ピンクリボンがあり、

山中へ入る道っぽいのができている。

 

何かあるんだろう~と思い入っていくと、

あったーー!!

 

 

緑丸の後ろ側からきた。

よく見つけました~。

 

 

これが、その緑丸の石碑と言われている石です。
立派ですよ~。

 

昨年3月の時は、小野さんたちがせっせと測定しており、
大きさは横2m50cm、幅35cm、高さ2m10cm。

私の身長より高い!


緑丸とは・・・・・復習。
さくっと。

岩沼の千貫山麓に「鷹硯寺」というお寺があります。
名前の通り、鷹が硯を落としたことから。
(詳細不明)

その意味は・・・

「百合若」という名の武者にまつわる復讐譚が
室町~江戸時代にかけて人気をはくす読み物として流行します。

 


※百合若大臣


特に大分県や壱岐に伝わる伝説。

百合若大臣は、蒙古襲来に対する討伐軍の大将に任命され、
神託により持たされた鉄弓をふるい、
遠征でみごとに勝利を果たすが、
部下によって孤島に置き去りにされる。


しかし鷹の緑丸によって生存が確認され
妻が宇佐神宮に祈願すると帰郷が叶い、

裏切り者を成敗する
という内容である。」

 

緑丸は、鷹のこと なんです。
また宇佐神宮かーーい。


という叙事詩なので、鷹硯寺の由来によれば、

永正年間(1504~1521年)に当時の陸奥鎮守府将軍だった
百合若大臣の夫人が、
奥州では良い硯が手に入らないとの夫の願いを叶える為、
京の都から飼っていた鷹に硯を託し夫に届けようとしたところ、
鷹は力尽きてこの地で息絶えたそうです。

その硯から鷹硯と言われ、
息絶えた場所が、現在「緑丸石」となって呼ばれていると。


百合若は無実の罪で奥州に流された為、
連絡役として手紙を運んだ鷹が力尽き当地に
埋葬されたという説
もある。


なぜ、こんな誰も来ないだろう山中に
ぽつんとあるのですか?

と、聞きたい。

 

全国にある百合若大臣の伝承。

 



普通、お寺とかにあるんだけど、
山中にあるところが、素晴らしい。

岩沼史の資料より、
石碑にキリークがあり、「真言五仏」の、
大日如来バン・阿閔如来ウン・勢至菩薩サク・
阿弥陀如来キリーク・観音菩薩サ


の梵字が刻まれています。

「1724年、新田宗右衛門・南条○○・鷹硯寺」


およそ、300年ほど前の石碑らしい。

蔵王の噴火の時に飛んできたかなんだか。
花崗岩ではないか?と。

たまたま大きな石が埋まっていたので掘り起こしたら、
これは何かに残せるな、と思って彫ったものだと思いますが。

深山には大きな石がけっこう埋まっているので、
巨石があることは不思議ではないです。

百合若大臣の話しは、古代ギリシャの『オデュッセイア』
長編叙事詩と同じ内容のため、
西洋からもたらされた話しが流行しています。

 



※英雄『オデュッセイア』

ギリシャの『イーリアス』とともに
「詩人ホメーロスの作」として伝承された
古代ギリシアの長編叙事詩。

 

『オデュッセイア』が16世紀頃の半ばにイエズス会士
によって日本に紹介され、そこからインスピレーションを受けて
日本に広まったと考えられるそうです。

百合若大臣の物語も、『オデュッセイア』が基になっており、
パターンが決まってます。

今回は、百合若大臣の話しではなく、
この話しと同じく伝わっている『御曹司島渡』から。

■航海神話と口寄せ-----------------------

『御曹司島渡(おんぞうししまわたり)』とは、
室町時代の御伽草子。(作者不明)

この話しを書くと長くなるので、さくっと説明しておきます。

ある時、ネットで
「異界の島への航海神話としての『御曹司島渡』」
(松村一男氏)

という論文を発見し、これが面白かった~です。

この物語は知らなかったので、いろいろ百合若大臣の類似性などが

書かれておりましたが、「あさひ天女」という言葉があったのです。

源義経が巨人の島がいる所へ行く『御曹司島渡』も、
兵法を得る物語(皆鶴姫と同じ話し)として、
パターンが同じであると。

複数の島へ渡り訪問する形式は、
百合若大臣の影響に可能性があるとの事。


これが、ガリバーやシンドバッドの冒険とか
キルケーの魔法とか、いろいろと類似しています。

これらの話しは「異界の島=航海神話」に基づくと
考えられ、深山の岩沼に伝わる緑丸も、
海民の神話から語りつがれたものと考えられます。

『御曹司島渡』の話しは、以前かいた皆鶴姫の話しとほぼ同じです。

異なる点は、異界の島々へいき、兵法(大日法)をもっている
巨人の大王(かねひら大王)がいる島(喜見城)

ようやくたどりつき、大王と師弟関係を結ぶことになっています。

 

※大日法・・・日本の国が思いのままになれる法。
(それ私もほしい~っニヤニヤ

 

 

「えぞが島」or「千島」に到着し、笛を吹く義経。

 

 

その島にいる鬼みたいのは、

馬の顔をもつ人なんです。

麒麟みたいな。(宇宙人・・・)

祝いに宴会(酒)をひらくのですが、
その時に出会った大王の娘に義経は一目ぼれします。

 



その女性の名を「あさひ天女」と言い、
義経は兵法のありかを教えてほしいと懇願します。

あさひは、兵法のありかを教えてしまい、
義経は兵法をもって源氏のいる世界へ戻ることができる。

しかし、その行為からあさひ天女は、大王から怒りをかい、
八つ斬りにされますが、天女は、実は、
相模国の江の島の弁財天の化身であったとされます。

その兵法をもって奥州に戻った義経は、
藤原秀衡(奥州藤原氏3代目)へ入手したと報告する。
そして兵法の威徳で源氏の世を実現するという物語です。

図:浮世絵 御伽草子より
https://hamasakaba.sakura.ne.jp/012otogi/9804/sub9804.html

『オデュッセイア』は、巨人のキプロスなんですね。
片目を失ってしまう話しなのですが、
片目を矢で射られた武将は、日本でも多い伝承です。


なので、義経が鬼の島へいくのは、

巨人=鬼=製鉄民がいる島という事にも繋がるわけです。

(奥州藤原氏の平泉に関係するかも)

 


※『オデュッセイア』に登場する単眼巨人ポリュペーモス。

物語の詳細は、
こちらを参考にしてみてください。

※中世の絵話し集め
https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/digital-exhibitions/ebanashi/st0006.html

 

関係ない写真だけど。

■イタコのオシラ祭分--------------------

ここで「あさひ」の名が登場するとは思いませんでした。
「あさひ」という名は、盲巫の女性につけるのが一般的です。

(東北では)

物語は、盲巫とは関係ないと思います。

 



岩沼の場合は、
そのような話しをもたらしたのが、
千貫山(千貫と深山は同じ峯にある)麓にあった
「おすずひめ物語」に伝わる「尼寺」があったことに
関係すると思います。

 


おそらく、口寄せの間で源義経と結びつける意図

があったと思われます。

 

口寄せたちは、日本の武将の英雄を物語る口承を、

行っていた所もあります。

そのため、『御曹司島渡』の中に登場する

「あさひ」の名の由来に、盲巫の意味を含ませているかもしれない。

馬の人がオシラサマみたいだしね。

(確証はありませんが)

※朝日の意味もあります。

口寄せとは、イタコさんのことで、
霊を体に降ろし(憑依)させて、口から言葉を発することから、
口寄せと呼ばれます。

 

しかし、すべての人が盲人とは限りません。

そのような技能者を「吟遊詩人」とも言います。

吟遊詩人→口伝で英雄を伝える詠唱。

吟遊詩人=琵琶法師(盲巫)→口寄せに広まる

吟遊詩人=楽器の演奏(琴や琵琶)を用いて、
英雄を伝えることを言います。


航海する時に「琴をひく巫女を乗せていた」
ことから、ある地域の口寄せでは
妙音菩薩」が崇拝されているお寺もあります。

妙音菩薩→サラスバティの芸能の神、弁財天へ。

「百合若説教」というのがあるらしく、
壱岐島の「イチジョウ」により語られたものと言われます。

東北のイタコのオシラ祭文などもあり、
「山伏の語りものであった」
と考えられ、
羽黒山伏祭文の中に登場する
黒百合姫物語」と類似しているとの事。

黒百合の話しは、鳥海山に伝わっており、
安倍氏の血統を伝える話し

になっています。

 



鳥海山にいたのも、ダイダラボッチ。


ということから、緑丸の石碑があるのが深山なのかは、
斎宮の尼寺があったこと、
阿部氏が居住していた城があったことに関係し、

そのような話しが集まっていた所として、
尼寺や深山に至るのでしょう。

 



深山から北へ進むと、
阿部氏が居住していた城跡(川上大館跡)あります。

 

※川上大館跡探訪
https://ameblo.jp/tohoku-inehapo/entry-12580562004.html

 


最後に、義経の話に登場する御曹司のことと、
最後の語り部について。

 

影の木とツーショット。

次にします。