相当な歴史好きな人しか知らない「緑丸」とよばれた鷹。
この伝説に興味をもってしまったのは、2年前のこと。

岩沼の千貫山麓に「鷹硯寺」という不思議な名前のお寺があり、
伝承によると、

「永正年間(1504~1521年)に当時の陸奥鎮守府将軍だった
百合若大臣の夫人が、奥州では良い硯が手に入らないとの夫の願いを叶える為、
京の都から飼っていた鷹に硯を託し夫に届けようとしたところ、
鷹は力尽きてこの地で息絶えたそうです。

その硯が鷹硯とされ寺で預る事になり、
息絶えた鷹は石となり現在は緑丸石と呼ばれています。
(百合若は無実の罪で奥州に流された為、
連絡役として手紙を運んだ鷹が力尽き当地に埋葬されたという説もあります)。」

 



といった伝説がありました。
硯と鷹と左遷された将軍の話し。

今回の歴史探訪では、中世の安倍氏と関わることになりました。
なんだか、ワクワク・ドキドキでしたよ~。

名取の郷土史研究をされている小野さんは名取老女にも詳しくて、
高舘山散策からいろいろ教えて頂き、勝手に師匠です。

高舘山を毎日登っていた山伏みたいな人。

いろんな山中を歩いている方ですが、遭難しないとこがすごい。笑

高齢の方は歴史好きが多いのですが、「単に好きでやっているだけよ」
というのが、素晴らしいな~ということをNさんとも話してました。

地味な歴史をコツコツ探索してくれる方がいるおかげで、
私みたいなアマチュアが成長できるわけです。

おかげで、このような形で伝えることもできる。
あー、なんて楽ちん。とか言ってる場合でなく~。

そんなことだったので、「緑丸」の石碑に興味をもってしまい、
石碑に会いたくてしょうがなく、以前、小野さんに場所を聞いたのですが、
小野さんもその時は詳細わからず。
あのあたりかな?という場所で山中さ迷ったのですが、見つからず。

そのままにしていたのですが、小野さんから緑丸の石碑の場所がわかった!
と連絡を頂き、なるべく草が生い茂る前に行きたいとなり、
コロナで騒いでいる隙間で、山中を歩く歴史探訪でした。

今回は、ちょうど仕事がお休みだったNさんと、
小野さんの歴史仲間、男女2人の計5人で行ってきました。
地元の歴史ツウな先輩方との散策は、面白かった!

 



■百合若大臣伝説とは------------------------

さて、百合若大臣伝説は、以前にも書いていたのですが、
ざっと復習しますと、全国にある伝承です。
まずは、伝説から。

 



※百合若大臣が弓を放つ図。 深谷宿 (1852年).

「百合若大臣(ゆりわかだいじん)は、百合若という名の武者にまつわる復讐譚。
これを題材にした幸若舞、それを読み物として流布させた版本(「舞の本」)、
人形を使った説経操り、浄瑠璃(室町後期~江戸時代)などがあり、
日本各地、特に大分県や壱岐に伝説として伝わる。」


「特に壱岐島」というところに興味をもったのですが、
なぜ、岩沼に?が繋がっているかもしれないと。。。
相変わらず結論ありませんが。

 

「百合若大臣は、蒙古襲来に対する討伐軍の大将に任命され、

神託により持たされた鉄弓をふるい、遠征でみごとに勝利を果たすが、

部下によって孤島に置き去りにされる。

しかし鷹の緑丸によって生存が確認され、妻が宇佐神宮に祈願すると帰郷が叶い、

裏切り者を成敗する、という内容」

壱岐島の伝承では、百合という巫女が「曲げ物に弓をのせて二本の竹で叩きながら」
とあるので、イタコのように伝承されたとも言えます。

壱岐島の伝承は、弓が上手な人が復讐する話にのせている。
例えば、炭焼き小五郎や朝日長者伝説、鬼退治の話だったり。
五島列島の女島という話にもあり、そこに鷹大明神の緑丸を祀っているものだとされます。

いろいろと各地の伝承を考えると、千貫山にあるのも、この場所でなければ
ならない理由はあるでしょう。

■岩沼と関連する御台所--------------------------

「百合若説教」というのがあるらしく、
壱岐島の「イチジョウ」により語られたもので、
東北のイタコのオシラ祭文などもあり、
「山伏の語りものであった」と考えられ、羽黒山伏祭文の中に登場する
黒百合姫物語」と類似しているとの事。

黒百合の話しは、鳥海山に伝わっており、
安倍氏の血統を伝える話しになっています。

 



舞台の池
※鶴間池「トランヴェール」2014年10月号より

 



※ミヤマクロユリ 白山室堂にて(Wikipedia)

ちなみに、アイヌでは黒百合は、愛を贈る花で告白する時に用いられるのです。

本来、呪いの花ではないのよ。

岩沼に伝わっていることも「御台所」といわれた事に関係するかもしれない。
千貫山には「尼寺」があり、斎宮伝承もあります。


御台所の伝説は、宮城だけではなく山形県にもあり、
大体、そのような土地には、若い女性が都からかくまるために逃れてきたような話しで。
池や沼に入水する話しも多いです。

※御台所とは、大臣・将軍家など貴人の妻に対して用いられた呼称。
 奥方様の意。 御台盤所(みだいばんどころ)も同じ。
 「御台」は身分の高い人の食事を載せる台の事で、
「台盤所」とは宮中や貴族の邸宅の配膳室を指し、台所はその略で調理する場所を指した。

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百合若大臣の話しで「幸若舞(こうわかまい)」という室町時代の曲舞(能や歌舞伎の原型)
があり、その中に「別府太郎」という人が、百合若の御台所に恋愛を迫る話しがあります。

別府太郎とは、大分の豪族(長男を太郎とよぶ)なんだろうけど、
それに対し、御台所は、「宇佐神宮で千部の写経を行っている最中だから」
という理由で返答を引き延ばす。

しかし百合若がついに帰らなければ自殺すると決めているので、
身の回りの琵琶や琴を整理し、飼っている犬、馬や鷹の数々を解き放つ。

その後の話しは、似通ったものなんですが、
夫人を助けるために、側近が身代わりになった池もある事と、
「宇佐八幡」の話しの絡みから、琵琶や琴は「巫女の道具」と考えられます。

逃れる際に、「琵琶を落とした」という隠語のような話しは、
福島県飯舘村の「虎捕山」にも関係し、新地町には安倍氏が祀ったとする
五社壇」があります。

ここは、前九年の役古戦場といわれ、
この琵琶を落としたのが、安倍氏=墨虎となって登場してくるのです。

繋がるね~。

 



羽黒、白山、羽山、牛頭天王、山王の五社を祀ったのが始まりと伝えられ、
本尊は南部砂金で造った立派なものであったという。

 

五社壇の森。

つまり、岩沼に伝わる意味を考えると、安倍氏が繋がってくるみたいです。
「安倍氏側についた巫女」という意味なのかどうか・・・。
鎮魂するのは女性の修験だったかもしれない。

そもそも、九州に舞台が色濃いのは「蒙古襲来」のことを差す説であり、
結構、東北地方にも「弘安の役」の石碑が多いんですよね。

地元の郷土史資料によると、「春日姫」が登場したり、
他の伝承とごっちゃになっているようで、よくわかりません。

鷹硯寺の話しでは、春日姫という人が鷹を飼い慣らしていたとあり、
伝書鳩のように鷹を通信として使っているもよう。


しかし、実際、鷹は伝書鳩のようには働けないらしい。
茶色の鳩がいたという単純な話しだったりするかもしれないけど、
ドイツでは戦時中、鷹を伝書鳩のように使っていたことがあったそうだ。

でも、鷹は訓練されていないと難しいというので、
鷹が人物ではなく、鳥だったとしたら、鷹匠みたいな人がいたのか?!と、

想像してしまいます。


では、千貫山の緑丸の石碑に行ってみましょー。
次にします。