毎日、暑い日が続いてますが、

こっちは、夜は涼しいので有難いです。

夏らしい写真を。

このひまわりが、みんな、人間だったら・・・
どんなにか、明るく楽しい世界だろう。

念じる。

 

 

(この中に、しれっと「むすび丸」がいます:初級編)
探してみて下さい。ウシシ (夏の宿題やで)

 

県南の被災地の海側に毎年植えているひまわり畑です。
場所を毎回変えており、津波で土壌が悪くなったのを、
土壌再生のために、ひまわりを植えているそうです。

ひまわりが土壌を浄化してくれていることを、お忘れなく。

さて、お盆前の話しなのに、まだ続いてます~。
帰りは土湯温泉に入ってきました。

 


若い時に友達といった以来、行ってなかったので
久しぶりでした。

 



古い歴史ある温泉として有名です。
泉質も柔らかくてちょうどよく、とてもいい温泉です。


土湯こけし
https://www.tcy.jp/kokeshi/

土湯温泉は遠刈田、鳴子と並ぶ三大こけし発祥地と言われています。

3つのこけし説。
・蒲生氏郷が会津に転封されたとき近江木地挽きの職人を5人連れてきたとされる説。

・二つ目は、寛永8年(1634年)信州高遠から会津に
移封された保科正之が木地屋を連れてきたとされる説。

・三つ目はそれ以前から会津の木地屋より高森部落へ伝えられたとする説。

いづれにしても会津から。

■10年連続水質日本一----------------

すごい川だったんですね。
福島盆地をながれる「荒川」は、
吾妻連峰高山の西に位置する鳥子平に源を発する。

 



一切経山や東吾妻山、鉄山といった福島盆地西側の山々を
水源とする支流を合わせ、福島市御倉町で阿武隈川に合流する。

 



国土交通省の2019年河川水質調査で、
福島市の荒川は「水質が最も良好な河川」と評価され、
10年連続の水質「日本一」に輝いた。

10年連続受賞を記録した河川は、これまで全国でも荒川を含め3河川のみ。
同省が1日、全国162の1級河川を対象にした調査結果を発表した。 

という事なのですが、荒川という名は、秩父も秋田にも岩手にも、
各地に川名があります。
安達太良山が「タタラ」の語源由来などもあり、
阿部貞任や源義家伝承がある吾妻山はお気に入りの山です。

他に、熊本県の川辺川が14年連続、北海道の尻別川が10年連続との事。

※yahooニュースより
https://news.yahoo.co.jp/articles/6e1b2d9161d5182967c050337853aed97c55a93f

昔いった西吾妻山の写真を。

 

 

※吾妻小富士

 

※西吾妻山山頂(かっこいい山だよ)

「松ヶ窪の遺跡」

 

 

石碑には不思議な文面が。

「~池の大石の下に自ら過去生の枯骨あるを知り、
たずねてこれを得る。」
それでお寺を創建したそうだ。

 

むむ~。
過去世の時の自分の遺骨を発見した??

 



「松ヶ窪の夜雨」として
「名にしほふ信夫の山の松ヶ窪 
やみ夜さやけき雨のおとかな」

と詠まれています。

当時の土湯温泉では身分に関わらず多くの人達が俳句や
和歌を楽しみ俳人なども輩出した文化的にも高い地域。

8ヵ所を選び出し俳句を詠んだのが
「温泉八景」で現在の土湯八景の原形となりました。


でも、昔から、何度も土砂災害が多かった場所。

 



そうだから、火山と温泉の関係には「オオナムチ」が祀られる。
これは鳴子温泉と同じ。

「土湯」の由来は、
その昔、大穴貴命(おおあなむちのみこと)が
荒川のほとりを鉾で突くとそこからこんこんと湯が湧いたことから

突き湯」と言う名がつけられた伝説があります。


だから、ここも秦氏伝承があるように、モーセの杖と泉・・・。

「ホコツキ」

 

日本列島創世の話しを彷彿する。

火山が島をつくってますから。

日本の誕生は、火山!

だから、日本人は躍動感をもっているんだよ!!

もっと燃えていんだよ。


そんな場所にある土湯温泉。
なぜか、ここに秦河勝伝説と聖徳太子堂がありました。

■聖徳太子の像----------------------

入口に、「天地人」の直江兼続の話しがありました。
興徳寺は1250年に開基。

 



直江兼続は、栃木の足利学校で勉強していたんですね!!
優秀~。

 

足利学校は「板東の学校」と言われ、鎌倉時代からすでにあった学校で、

かつてのキリシタンも興味を示した学校で、

海外でも足利学校は知られていました。

板東平家がいますが、実は、関東は優秀だったんですよ。

実は・・・って。笑


直江兼続は、1615年、土湯に九山禅師の隠居寺となる
興徳寺を建立した
そうです。

 

参道に半分埋まっているお地蔵さま。

 



大石

 

 

【聖徳太子堂の由来】

「推古天皇の頃(604年)聖徳太子が仏法興隆のため、
国府寺御造立の御本願をもって、近臣等を諸国に派遣され、
この東国には秦川勝(河勝)に命じられ御自作の御尊像をお授けになって
遣わされましたが、秦川勝大願成就半ばにして半身麻痺の病気になり
苦しんでいる時にこの御尊像が夢枕に立たれ

「信夫郡土湯という所に温泉あり、ここにて湯治せよ病癒ゆべし」
とお告げになられたので、
秦川勝はこの土地を尋ね、温泉を掘って入浴したところ
名湯の効能は著しく、日を重ね月を経て病気も全快いたし、
やがてこの地を出立されようとしたときに、霊夢ふたたび
現れて、

 

「我はこの地に留りて諸人の病悩苦難を救わん」
告げられましたので、ここに聖徳太子の御尊像を
お祀りいたしたものと伝えられております。」

 



温泉開基の伝承は、大体、病気を治すことがお決まりですが、

聖徳太子像を残したのは、逃れてきた蘇我氏一族にも関わることです。

蘇我氏のだれか(蘇我馬子説あり)=聖徳太子、その側近に、秦一族。

 


現在の御堂は、1726年の再建によるもので、
安産、育児、学問また諸職の守護神として尊崇され、
毎年旧正月21、22日の両日にわたって祭典が行われる。(太子講)

 



太子講とは、大工や桶屋、畳屋などの職人の間で行われる行事です。
聖徳太子は「職能の神様」として信仰されており、
同業の職人達が集まって飲食、会合を行うものです。

 

 

赤い頭巾の「おんば様」も、おるで。

太子講ってユダヤぽいのよね。
現代のフリーメーソンが真似してるみたいな。
聖徳太子の方がずっと神聖ですけどね。

 

して、その聖徳太子像が、
これなの。
(通常はご開帳しません→看板の写真から)

 


・・・ヒッピー?ニヤニヤ

何十年かに一度のご開帳しかされず秘仏とされる。
太子16歳!との事。(木像)

高さ142センチ、上半身袖なし。
左手をまげて香炉をとり、右手をまげて蓮茎をもっている。
瞳は、水晶だって!

このような太子像は稀で、全国にも5カ所の寺のみとの事。
(五カ所もあるのか・・・)

う~ん、不思議な聖徳太子像です。
これは、ビジョンが浮かんで像を作ったのかな?
これって秦氏の姿じゃないよね・・・まあ、ある意味彼らはヒッピーみたいだ。

興味ありありで見たくなりますけど、
通常、着物をきて祈りをしている姿か、
座禅をくんで座っているとか、何かポーズをとるものだけど、
まるで普通の人のようなので、こっちの方がリアル感があります。。。

秦氏の伝承は、福島の川俣に養蚕をもたらした小手姫の
関係だと思いますが、目的は「鉱山」ですね。
温泉地=荒川鉱山

入浴した温泉で清掃している方に岩場が気になったので
聞いてみたのですが、岩盤がむき出しになっているようです。

 


土砂崩れではないです。
火山帯の麓にある温泉地なので、かつては川が氾濫したこともあったそうです。

最近、洪水被害が多いので心配しているとの事。
橋も以前の洪水で流され、高い位置に建てなおしたそう。

「中流域は深い峡谷を形成して、山腹崩壊・地すべりが多く発生し、
大量の土砂生産源となっています。
中流域の谷底に「土湯温泉」の温泉街がある」
との情報。

 



※吾妻火山と福島盆地の地形分類図拡大図
https://isabou.net/knowhow/colum-rekishi/colum59.asp

オレンジの丸で囲まれた所が土湯温泉街。

青の丸で囲まれたところは、
「男沼」「女沼」と称する沼があり、
女沼は、昔から雨乞いをしている所だそうですが、
養蚕も伝わっていた
そうです。

南へいくと国見がある。(クニを見渡せるから国見)
国見の半田山もそうで、半田→ハタになっているわけです。
実際、秦氏一族はきているのです。

義経が半田山を通って平泉に向かっている説もあります。
その半田沼といえば、人柱があったと想像され、
土砂災害もあったところで、赤牛と婚姻した機織姫の伝承がある。

 

そのような伝承には、「牛」がよく登場します。

別の用語では、「大人=ウシ」の事だという。

大きい人とは、「長(おさ)」ですが、身長が高いのではなく、

非常に高い精神性をもっていた人のこと。

 

白山ククリヒメが、あの世とこの世を行き来できるのは、

そのような能力があった巫女として考えられ、

人々があの世での制裁を期待し、新たな生まれ変わりを希望したという事です。

秦川勝とは、
秦氏の族長的な人物であり、聖徳太子に強く影響を与えた人物とされる。
姓は造。秦丹照、または秦国勝の子とする系図がある。

秦氏は3世紀から7世紀頃に大陸から朝鮮半島を経由して日本列島の
倭国へ渡来した渡来人集団で、そのルーツは秦の始皇帝ともいう。

河勝は秦氏の族長的人物であったとされる。


始皇帝の末裔といわれる朝鮮半島出身の弓月君の子孫の一員とされる。
聖徳太子の側近として活躍した。(wikipedia)

 

※秦河勝


初瀬川(奈良県)の氾濫により三輪大神の社前に流れ着いた童子を見た
欽明天皇は、以前の夢で「吾は秦の始皇帝の再誕なり、
縁有りてこの国に生まれたり」と神童が現れていたことから、
「夢にみた童子は此の子ならん」として殿上に召した。

後に帝は始皇帝の夢に因んで童子に「秦」の姓(かばね)を下し、
また初瀬川氾濫より助かったことから「河勝」と称した」


といった逸話より、
土湯温泉の夢に登場したのは、自らの姿(神童)とした秦氏伝説を、
ここにもたらしたと思います。

温泉があるといえば、火山です。
鉱物資源が大量に含まれている岩盤を探し、

不老不死の薬(砂金)などを出羽三山で見つけ、

修験者はそこに集まり、肉体と精神を学びます。

 

地球で生きるためには、肉体がなければ生きられないからです。

宇宙人だったら、肉体の重さと痛みがあることに疑問を感じます。

血はなぜ赤なのか?とか。


秦氏は東北各地にやってきて温泉入浴(治癒のため)にきていたのですね。
ルーツは北九州だそう。

ということで、
土湯温泉に秦氏伝承があるとは知りませんでした。

 

ずっと前から、土湯温泉の歴史がすごいとは耳にしてましたが、

改めて行ってみて、納得。

やっぱり吾妻連峰なんだな。

山!

 



とても良い温泉でした。
新しくなった「中之湯」。

 



温泉に入ると、頭がこんな感じになるね~。
蛇の目頭のこけしだよん。

 



こけしの歴史については、今年1月にいった白石をチェックしてみてね。

※白石の弥治郎こけし村と木地師の文化①
https://ameblo.jp/tohoku-inehapo/entry-12576122017.html

福島原発の風評被害で、16軒あった旅館は11軒にまで減少し、
全国で最も破産、閉館に追い込まれた温泉と言われてきました。

その反面、土湯温泉が積極手に被災者や避難者を多く受け容れたことで、
一定数の安定需要がありその後も数多くの施設が営業を続けたそうです。

今は、コロナで全国各地で閉館が相次いでいます。
バランスをとるのは難しいけれど、
人は人があって生きているのだから、こういう時こそ、私は東北に恩返しがしたい。
行ける人は、秦氏も知っていた名湯を訪れてみて下さい。

 

ヒッピーな聖徳太子が待ってますよ~ウインク

※土湯温泉
https://www.tcy.jp/welcome/