急に「こけし」が。
発端は、この前、知人と仙台にある『火星の庭』という
本がある素敵なカフェがあり、ずっと気になっていたのですが、
場所がよくわからず、始めて連れて行ってもらいました。

 

 

※book cafe火星の庭

http://www.kaseinoniwa.com/

 

 

ここのカフェは、東北の民俗や歴史の本もあり、
マニアックな本もたくさん。
中ではゆっくり落ちつけるカフェになっています。

 

 

そんなカフェにたくさんの「こけし」がありました。
オーナーさんによれば、こけしが集まってくるんだそうです。

これは、津軽こけしの今風お雛さま。

 


すっごい可愛い~♪
こけしはすべて購入できるとの事。
○万円だそうです。(これでもずっとお安くなってます)

 

これらのこけしたちは、それぞれ各地の特徴があります。
なんとな~く、見ていたからなのか・・・

 

こういう現象は、すぐ起きるのだな。
ほんとに速い。

 

たぶん、火星の庭に行ってなかったら、弥治郎こけしに行ってないと思う。
あのこけし達が、
「こけしを知りたかったら、弥治郎のとこへいけ」と、言っているみたいな。

 

ずっと冷蔵庫に貼っていたチラシがありました。
いろんな企画展をやっていますが、忘れることが多いので、
面白そうな企画展は冷蔵庫にはってます。笑

 


1月にサンファン号へ行った時に見つけたチラシです。
なんとなく気になってました。

 

こけしといえば、一家に一個はある?ほど、有名です。
当たり前のように、こそっと座敷童子のようにいます。
実家にもありますが、皆、そんなこけしを見たことがあるはずです。

あまりにも普通の原風景であり、こけしがある東北の風景が透過しすぎて
目に入ってこないほどでした。

 


そのくらい皆が知っている東北では当たり前のモノです。

ふと、蘇民将来の護符も呪い(まじない)としてありますが、
木で作られている所が、こけしもある種の呪いなのかもしれなくて。
似てるな~と思っていました。

 

 

さて、そんなことだったので、一度も行ったことがない
弥治郎こけし村」に行ってみようかと思いました。
白石ならば近いし、さくっと行ける。


善は急げ、と言いますが、何でもその時にすぐ行動しないと、
次から次へとやってくるのです。
ほんとに、エネルギーが太くて濃ゆ~いのです。

今回も濃い体験になりました。


なぜなら、行く時にマップを確認したら「小野宮惟喬親王」を祀る神社を発見!

これは・・・。

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「弥治郎こけし村」へは、仙台から4号線を白石方面へ。
白石の街に入ってすぐ鎌先温泉方面に西へ進みます。

 


ちょっと奥まった山に入りますが、登山への道とは違うので安心です。


さて、駐車して私はまた不思議な道をいってしまいます。
神社がどこにあるかわからないので、後で館内で聞こうと思ってました。

入口は駐車したところすぐ2階にあったのですが、
狭い通路があったのを気づかず、建物の下の方が入口だと思いどんどん降りていきました。

 

なにか匂ったのか、下を降りていくと、鳥居を発見。
あっけなく神社を発見できた。(通称こけし神社)

 

 

この時ばかりは、自分の動物的感性にあっぱれと思う。
やっぱ、匂うんだろうな・・・。

 

 

こけし神社の由来--------------------------

 

『小野宮惟喬親王は、約1千年前の平安時代に文徳天皇の皇子として
お生まれになった方です。
歌人として優れた作品を数多く残しておりますが、
皇位にはつかず、京都の都を離れて生活し、
木地挽きをするためのろくろを考案されたと言い伝えられております。

そのため木地業を司る神様として深く信仰され、全国各地に
小野宮惟喬神社が存在しております。

 

こけしの産地として知られている弥治郎集落では、
昭和34年に滋賀県の総本社から惟喬親王の分身を頂き、
弥治郎南の地に神社を建立して安置しました。

しかし、平成15年に「弥治郎こけし村」が開村して10周年に
なることに記念し、地元はもとより全国のこけし愛好会の方々からも浄財を募り、
この場所に移転して拝殿を改築致しました。
平成16年1月2日にこけし初挽き行事に先立って
落成式が挙行され、それ以来この神前に毎年こけし初挽きが催されています。』

 

木地師のことは後で。

 

 

※こけし工房

 

 

そんなことで、先に神社参拝をしてから展示会へ向かう。
1階から入ったことが功をなしたのか、
ばったり入口で木の枝をたくさん持った男性に出会った。

 


「歩いてきたの?」と驚かれて、
いやいや、駐車して上からきたんです、と答えると、
「開けてくれる?」と言われて一緒に入りました。

 

この方が、後で案内して頂いた弥治郎こけし工人のすごい方だったのです!
その時は、わからないから特に会話もなく1階の歴史コーナーを堪能。

1階のこけしの歴史コーナーがなかなか詳しくて面白いのですが、
いろいろ解説をみて、驚いたシンクロがあったのです!

 

※たそがれ親王

 

まず、小野宮惟喬親王(これたかしんのう)とは誰かといえば、
何かでブログに書いていたことを思い出す。

そうです、そうです。


忘れもしない滋賀県の「藤原岳」。
武甲山とそっくりな石灰山。

 

※藤原岳
この藤原岳麓に「木地師発祥」の集落があった。
その人が、惟喬親王だったのです。

 

 

※君ヶ畑よりhttp://ochiel.sakura.ne.jp/life/folk/index.html

『木地師は、惟喬親王を祖と仰ぎ、近江国愛知郡小椋庄に住む木地師一門を本家とし、
地方に散在する木地師すべてを分家とみる、擬制的同族組織だった。

小椋庄でも、もとは一年交替の輪番制神主だったが、 17世紀頃より特定の家筋に固定し、
筒井公文所、高松御所となる。』

 

『歩き筋とも呼ばれる彼らは、行者、山伏、聖、毛坊主、御師、巫女、比丘尼、
遊女、猿回し、傀儡子、人形回し、万歳、タタラ師、マタギ、サンカ、
 博労、杜氏、木地師などがおり、生業的に未分化であるジプシーと異なり、
 日本の歩き筋は職業分化していた。』

※ちなみに、木地師はサンカとは違うらしい。

 

やっぱり滋賀県はすごい。

目立たない地域は、元来のルーツの中心にある。

 

「木材を丸くするのに必要な轆轤(ろくろ)の技術を
鈴鹿山脈の奥深くに住む山民に伝えた
」という伝承。

 

これが、展示室の歴史に「新山家」として登場してくるのです。

(他に、佐藤家、小倉家、本田家)


ですが、系譜の細かいところまでわかっていないので断定できませんが、
青森県にも新山神社があるので、ルーツがどこかで繋がっているのでは?

東松島にいった「新山神社」がありました。
皇女の話し。

 

惟喬親王は、文徳天皇の第1皇子。(844年頃)
平安時代の木地師の祖といわれ、
天皇家の後ろ盾がないから、滋賀県の奥山に逃れたと。
この時代、天皇家の派閥があった。

 

惟喬親王は、皇位継承をもてないとされたのですが、
それは、母が紀氏の出だからと言われる。

 

「一方、惟仁親王(文徳天皇第4皇子)の母が良房の娘・明子であったことによるものとされる。」
というwiki情報から、惟仁親王に軍配があがったような話し。

 

この「明子」が、あのトベ伝承があった藤原明子=染殿神社の伝承です。
そして新山といえば、桓武天皇の皇女「大宅内親王」の「新山神社」(東松島)
母は、橘氏。(桓武天皇の方が古い)

 

おそらく、この時代の天皇家の皇子の母の出生が、
紀氏なり橘氏なり、先住の母系社会があった(母系の方を継承する)のを、
藤原家の母系に変えることだったかもしれません。

藤原家の血筋がない人、(もしくは婚姻していない)藤原家しか認めないようなことが
あったのだと思います。

また、藤原家同士の派閥もあり、この時代は、皇室の分断があった時代。

 

迫害された皇女や皇子たち一族が各地に逃れ、北上して東北地方まで
逃れてきたのだと思います。


そのような一族は、各地に木工や染織などの技術を山間部に住みながら、
伝えていったのだと思います。

そんな歴史の繋がりが、「弥治郎こけし」をもたらした工人の技術に繋がっていると
思われ、新山家は、七ヶ宿から蔵王麓に入り弥治郎こけしの基礎を作ることになるのです。

 

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さて、そんな歴史の繋がりがあるとは、驚き。
資料がほしいと思うが、誰もいない。

 

1階の展示をみた後に2階に登ったら誰もおらず。
グッズやカフェもありましたが、展示会入口がわからない。まあ、観なくてもいいか、と
思って歴史が堪能できたから帰ろうとしました。


外にでて駐車場に戻ろうとした時に、2階の展覧会入口を発見。

ああ、展覧会の入口はこっちか、となり出直す。

 

すると、再び、玄関で出会った方とばったり会い、
「あれ?1階からあがってきたの?」と謎な行動パターンを
不可解に思うわけですよ。(外から入ってきたからね)
私もなんだかわからず・・・。笑

 

「わざわざ来たのですか?」
「ええ、わざわざ」
お決まりの「わざわざ挨拶」。

 

わざわざ観に来る価値が、私には十分ありました。
で、その方に資料がないか聞いたら、案内をして頂いたのです。

再び、1階の展示室に戻る・・・。
1日に2回も展示室をみたのは初めて。

 

この後、いろんな話しを伺いました。
記憶がまだあるうちにメモ書き程度に書いておきます。
ディープな弥治郎こけしの世界へ。

 

 

つづく