白石→根白石→白石→丸森→根白石。
どんだけ~、行けば気が済むのだろう・・・

きっかけはRさんの夢。
なので本人を連れていかねば終わらん!と思ったので、
根白石の宇佐八幡神社と鷲倉神社を案内することにしました。

今回、同じアメブロを書いている方で、
以前から度々シンクロ話しをしていた、しおさんもお誘い。

今回で白石完結~。
前からいろいろ聞いていたので、まとめてみました。

が、結構、難しい。。。

 

・早池峰神の七ツ森

・宇佐神宮のご神体

・早池峰に伝承された宇佐神宮の剣

・それぞれの海人族

■黄泉と常世の白石-----------------

なんども白石を行き来していたのは、
根の国(子)=大国主で根の白石。
常世の白石=八幡神。

神石があの世とこの世を繋いでいるので、
行ったり来たりしてました。
白い鳥は、霊を送る鳥とみる。

Rさんの鶴の夢は、早池峰神が関係していることがわかり、
何年も前から早池峰神がシンクロしていたという。

 

※Rさんが持っていた早池峰神社の手ぬぐい

九曜紋=妙見菩薩(道教)
北極星(北斗七星)のことは、七ツ森となるのです。

「たがら森」を加えて七座、笹倉山を一座加えて八座。
笹倉山で結願にしている意味は、八座にするため。
(本来の北斗七星は八星)です。

 

縄文土偶を制作している柴谷さんが、縄文では北斗七星は、

魂が帰る場所」と言ってました。

エミシ征伐の地に北斗七星に神社を置くのは、

エミシの霊を星に還していることになるわけで、封印するという解釈は違うと思います。

 



座(クラ)とは、星のことです。

笹倉山は、「サの倉」かもしれない?

そういえば、角田の諏訪神社で「佐倉」が繋がりました。

サの倉。

 

ちょうど友達からコメントをもらい、サの倉とは「古代王朝に関係する言葉」と。

スピの世界では、シリウスとか。


片倉家の九曜紋と、鶴の早池峰神との繋がりから、

妄想が広がります・・・。

 

 

※Rさんが夢でみた2羽の鶴は、早池峰だった。

 



諏訪神を隠しているのは、カカセオではないか?と思い、
秩父の場合を考えると、秩父も妙見、カカセオ、諏訪神がある。

武甲山が繋げてくれたこと。

七ツ森すべてに薬師如来を祀りますが、スクナヒコです。
鷲倉神社がオオナムチだから、
根の白石になっている由縁と思うのです。

七ツ森の石神山精神社は、以前、遠野不思議空間の岩手のGOさんから、
椿大社境内にある石神社の引拠とされていることを教えてもらいました。


石神山精神社の奥の院が遂倉神社(といくら=おそらくトクラの訛)
で、早池峰神だという。
ちなみに、岩手にも七ツ森があります。

椿大社の「石神社略縁起并古書」より
「荒魂は先鋒をして師船を導かむ」
この荒魂は、早池峰大神と考えられると。


※石神山精神社の上に登ると、コタン(アイヌの村)が広がる。
吉田川がながれている(中央)

荒魂が導く船というのが、穂積氏が室根山近くのふもと、
唐桑半島の鮪立(しびたち)の港に到着した話しを彷彿させるのです。

 

※鮪立

初に神霊を安置したのが気仙沼市唐桑町鮪立の業除権現神社。
次に熊野本宮の神を舞根に安置したのが瀬織津姫神社。



※被災した為、新しい社になっています。

 

※室根山

室根山神社には、軍馬の供養碑がありました。
「えみし馬」があったように、このあたりは、
軍馬がたくさん飼育されていたそうです。
ほとんどの馬が戦死してしまった為、供養塔としています。



石神の山精とは、大山積見神のことかもしれないが、
石神山精神社には、大歳大神と事代主の他、竈神を祀っていたのです。
竈神は三寶荒神といい、奥津姫と奥津彦だった。

これは、塩釜様のことです。


浦戸諸島の桂島に、塩の技術をもたらした塩土爺の由来があり、
奥津姫・奥津彦の竈神を祀っています。

塩釜さまは、志波彦命とされます。
そこに鹿島神を置いています。

塩を伝えた人が七ツ森にも来ていたということは、
海から川を伝って上陸した海人族がいる。

塩土爺は、民に漁塩農桑の事を教え、
鹿島・香取の二大大神が「日高見国の征服時」
この地に舞いおりた
伝承があるのです。

この竈神が古いのではないか、と思い、
竈→亀→大亀森になっているのでは?

黒川郡の延喜式は、大亀森にある鹿島天足別神社と石神山精神社が含まれます。


なので、相当、古いお社です。(おそらく8~9世紀頃が由来かと)
その頃はお社はなかったので「石神」だったわけです。

大亀森に見晴らし台があるのは、当時、エミシなどの先住民を
監視する場所だったから、展望台ができているのです。

 

あえてそれを意識しているのではなく、

自然と過去の歴史が現代に折重なっていくものです。

 



138の「とみや」は、十の宮とも「遠の宮(とおのみや)」とも読めます。
遠野の宮。

神は、石であり星です。

 

 

※大亀森公園の鹿島天足別神社のイワクラ。

 

七ツ森がエミシ征伐の地として活発だった理由に、
星神のカカセオがいたと想像し、
早池峰の神が祀られていたのかもしれません。

大亀森の亀が妙見菩薩の亀と考えると、
鶴ケ谷(仙台市)の国分氏が占拠していた場所も、
大甕神社があり、熊野神社もありました。


この探訪は、Rさんが鶴の夢から関係していると感じて行った場所です。


京都の清水寺のような舞台から下をみると、鶴が2羽飛び立つ夢でした。


※大甕神社の龍

 


※蛇王権現

茨城県の大甕神社(カカセオ)だったので、
そこに鹿島神が関係するなら?富谷の大亀森も甕だったと想像する。ミカ→カメ
そのため、鹿島神を祀ることがあったのではないか、と。

しかも、鹿島天足別神社に伝わる榊流永代神楽は、
京都から(詳細不明)仙台の青麻神社に伝承された青麻神楽から
富谷町大亀地区に移された
といわれます。(1848年)

 

しかも、榊流永代神楽は、白石市大鷹沢大町にも伝わり

信夫佐藤氏の末裔からもたらされたもの!

佐藤氏は、伊勢の榊原氏。

 

佐藤市郎兵衛ほか5名が明治の初頭に伊勢神宮を訪れた際、

その神楽に魅せられ、その後地元に帰って始められたという。

 

前回の丸森虚空蔵菩薩堂の大張と繋がっていた!

ということで、影に信夫佐藤氏がいるのです。

青麻神社は、穂積氏の神社で麻や楮を栽培していた神社です。
青麻神社の本来の神は、「麻」です。

 


唐桑半島へ上陸する前か後に、七ツ森へ立ち寄っている可能性があり、
早池峰神を祀ってきたという妄想。


なぜ塩土爺がやってきたのかは、ナガスネヒコ一族がいたからでは?

※塩釜神社付近は、塩の交易を行ってきた先住のナガスネヒコ一族がいたという話しも。


今回、すべて宇佐神宮が入ってきました。
八幡神の総本山とも言われる。
なぜ根白石に宇佐八幡神が?

■宇佐神宮のご神体----------------------

何度も、宇佐神宮(大分県)がシンクロしてました。
いろんな闇がありましたけど・・・
後で書きます。

で、何に驚いたかって、白石の森合観音堂へ参拝してました。

この地域では、「コモクサ」を刈りとり、「こも」を編んで
この観音像に巻いてあげた
」とありました。

コモクサはマコモのことですが、
なんと、マコモが宇佐神宮のご神体だったのです!

薦神社は別名 大貞八幡宮とも称されます。
薦神社の内宮は三角池(御澄池)と呼ばれる池があり、
この池のマコモで薦枕をつくり、八幡神の依代としたという。


マコモの霊力-------------------------------

・古代の中国(とくに江南地方)ではマコモに邪気や病魔を払う力があるとして
5月5日にマコモの葉でもち米を包んで蒸した”ちまき”を食べた。

・宇佐神宮のご神体は薦神社のマコモでつくった枕である。

・宇佐神宮でかつて行われていた行幸会という行事は、宇佐神宮の神官が
薦神社の三角池のマコモを刈ってご神体を新しくつくり、三つの神殿のご神体を
それぞれ神輿にお乗せして八幡神とかかわりの深い八つの神社を巡り、
宇佐神宮本殿に納める行事だった。


そして、古い御験は下宮へ、さらに下宮の御験は国東半島東海岸の奈多宮に
納められ最終的には海に流された。

※まにまに
https://ameblo.jp/may-199704/entry-12361002644.html

そんなマコモは出雲神社でもご神事として行われていました。
白石と根白石を繋げているマコモの存在。

そんなことで、しおさんからマコモ塩を頂く!!
おーー、マコモマグマ塩のデザインが素晴らしい。笑

 


蜘蛛女みたいだな・・・気仙沼で作っているそうです。
マグマだけに硫黄の匂いがします。
独特な味。

すごっ。
こんなに早くマコモが来るとは。
ますます変な夢みそうだと思ったが、ぐっすり眠れた~♪

森合観音堂は「百済」からもたらされた観音であり、
八幡太郎義家が登場してました。

■謎の剣-------------------------

もうひとつ、

Rさんが数年前に早池峰のことがいろいろあった時、瞑想中のビジョンで、

ピンク色の羽衣のような衣装をきた女性が岩にたっているのがみえたことがあったと。

 

その後も瞑想中、姫神と童子がセットで登場し墨で書かれたような版画。

 

その姫神が早池峰神社の版木と同じだったと!

姫神が剣を差し出している姿だったそうです。

 

剣のビジョンは早池峰神社で撮られた光を瞑想したら見えたそうです。(ある方の写真から)


その話から調べてみたら、遠野の早池嶺妙泉寺になぜか
宇佐神宮の宝剣が伝わっているということに繋がりそう。


※宇佐明神(湍津姫)の祭祀と早池峯&六角牛より
https://dostoev.exblog.jp/iv/detail/?s=22305811&i=201406%2F15%2F75%2Ff0075075_835831.jpg

この剣が今どこにあるかは不明だそうです。

『エミシ国の女神』に、
「鹿児島県神社明細書」での加紫久利神社の項に「姫太神」と記され、
その姫太神の下に「宇佐明神湍津姫命 胸肩明神田心姫命 厳島明神市杵嶋姫命」
とあるそうです。

宗像三女神。

『先代旧事本紀』では後に大己貴神に嫁ぎ、
八重事代主神と高照光姫命を生んだ
と記されている。

「早池峯神社に奉納された宇佐八幡宮の宝剣と、
六角牛に祀られる宇佐明神から、
早池峯及び六角牛と宇佐との関係が見えてくる。」


詳細はわかりませんが、
剣は、刀の片刃ではなく、「両刃」なので、
結びつける力を意味している
と思われます。
何を結ぼうとしているのか・・・。

 

■海民の聖地-------------------------------

鷲倉神社のオオナムチ、石神山精神社の事代主などは、
海人族の「事代主系」と「安曇氏系」と大きく二つに分かれる。

事代主系→宗像氏、三輪氏など。


泉の諏訪神は、タケミナカタにあたり、以前書いてましたが
『神長官系譜』では「片倉辺命」の後裔としているので、
片倉家と繋がります。

また、安曇氏系→安曇氏、和邇氏、尾張氏などもおり、
和邇氏系などは、鹿島御子神社に関係するので石巻一帯を占拠。

七ツ森にはいくつもの海人族が関わっているようですが、
阿武隈川沿いの県南は、大綿津見神を多く祀っているので、
安曇氏系が上陸。

すでにいた諏訪一族(タケミナカタ系)と共存してきた可能性あり。


もしかすると、ミナカタとムナカタと名が似ているので、

諏訪には宗像系の海民がいたかもしれない。

安曇氏と宗像系が東北で結ばれたかもね。

遠野の六神石神社(六角山の奥の院)も、石神です。
住吉三神を祀っています。


泉にも住吉神社があるので、泉は海人族の聖地だったのです。

 

※展望台からみる七ツ森の山々

つまり、七ツ森のエミシ征伐は、各地からやってきた
海人族の反乱があったと。
それを鎮めた大和朝廷ということも考えられます。

七ツ森のエミシ征伐を考えると、
九州の宇佐神宮にからむ隼人なり熊襲征伐から、
東北の蝦夷に伝播しているわけで。

その元祖は・・・・宇佐ではなく、岩手県の八幡平だ!

宇佐を英語にしたらUSAだった。

アメリカ。(笑)


それに、探訪した14日は、
「岩手宮城内陸地震があった日」だった!!
12年前のこと・・・。

まさかね。
骨寺村のことを思い出したけど、まさかね。

 

そして鷲倉神社のベガの話しが驚きだった。

夏の大三角形。

もうすぐ七夕。


次にします。