名取に美味しいパン屋さん「pensee(パンセ)」があり、
(長町にもあるよ~)
ここのパン屋さんがある場所は「箱塚」という住宅街です。
古墳がたくさんある所で、雷神山古墳にも近いです。

 



近くに十三塚公園があり、十三塚とよぶ遺跡です。

 



始めて来た時は、介護をしていて、熊本で大地震があった日でした。
公園から、ガンセンターが見えるので、
義理母が亡くなった病院なので、いつも思い出します。

 

 

田植の時期です~ぅ。

 

※ 4月末頃

今回は、コロナウイルスだな~。
何かあると十三塚古墳にきて、生きることは大変だな~と、
しみじみする森です。
 


強風?だったのか倒れてました。

 

 

 

※4月末頃(今はもう葉になってます)

 



さて、その十三塚古墳ですが、2016年にいろいろ書いてました。
熊本大地震があった日に十三塚にきて、九州を考えていました。

弥生時代、稲作技術をもった人たちがこのあたりに住み、
その後、雷神山古墳を残す九州ルーツの豪族が住みついたと妄想します。

住みやすかったことと、早くから稲作があった住処だったこと。
もうひとつは、どこかで九州に似ていると思ったこと。
そんな雷神さんの古墳の主には、九州の匂いがします。

故郷が似ていると住みつくものです。
だから、十三塚に来てしまう。

 



今、新緑の時期で、とっても気持ちいい~♪
つくづく、自然の有難さに感謝。
細胞が生きてくるね~。

 



■遠賀川式土器--------------------------

「十三塚には、遠賀川式土器が発見されています。
十三塚遺跡は、十三塚総合運動公園付近の
標高30~40mの低丘陵上に広がっている
縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡で、
遺構は発見されていないが奈良・平安時代の遺物も見つかっています。」



ここは、弥生人が入って来て縄文と弥生が共存していた場所です。


遠賀川式土器は、九州~青森県にまで至り
そのルートは、海だったそうです。

 

 


日本海にあった交易ルート。
(赤い線)

※日本史古代つれづれブログ
https://aomatsu123.blog.fc2.com/blog-entry-170.html?sp

「遠賀川式土器」は、日本海を北上するルートと、
内陸部を北上するルートがあったと推定される。

 



180軒以上の竪穴式住居跡が見つかっているので、
雷神山古墳の主に仕えた子分的な複合遺跡だと思います。

 



まあ、箱塚あたりにくると、住みやすそうな所だな~とは思います。
名取平野は広大ですし、津波被害がなかったら大都市だったでしょう。


■土器のルート-------------------

もうひとつ「突帯文土器」というのもあったのですが、
東北では伝播しませんでした。

青森発祥の亀ヶ岡式土器分布領域が東日本全体に広がっており、
突帯文土器を作っていた弥生人には、小規模だったと考えられ、
受け入れられず。

 



遠賀川式土器は、遠賀川式土器を模倣して作られているので、
東北では、この土器の使い勝手の良さが主婦たちに流行したんですかね~。
今と変わらないです。笑

 



ところで、この土器が伝播したルートが、古代史には重要な
鍵となっていると思います。
このルートは、土器だけではなくいろんな民族の流入、文化が入ってきたと
考えられます。

上の図をみるように、日本海ルートは、九州から若狭湾まで来て
「近畿地方(西日本)には行かないで」
青森まで航海していることに。


九州の海民は、日本海と太平洋と2つあり、
日本海ルートは、西日本を通らず直接、東北の日本海へ行っています。
そして青森から太平洋側まで陸路で南下していると考えられます。

 



それに対し、太平洋側ルートは、伊勢湾まで来て、
信州~関東地方まで陸路で入ってます。

また「若狭
不思議ね。
この言葉、志緒さんから伝播されているんじゃないかと思った。。。
私は、福井県とか若狭とか、無知なのー。
ここで繋げちゃう。

 

 

種子島の鉄砲伝説、若狭姫の話し。

佐保の地名は、太白山麓の森にあるしね。

ポルトガルとか、原発の話しとか面白いので、チェックしてみて~。
 

さて、

日本海ルートは、宗像系海民の文化が入り(出雲族も)
太平洋側ルートは、安曇氏系海民などの文化が入ってきている、

といった違いが見えてきます。

 



そうすると、九州の物部氏や安倍氏は、
ヤマトを通らず出雲~日本海へ行っている者がおり、
分かれて近畿地方におさまったヤマトの物部氏もいると想像。

秋田物部氏と大和物部氏が両方いるならば。
安倍氏も、日本海ルートと太平洋ルートがあり、
安倍氏と阿部氏と、名前が異なる理由もここにあったりなかったり・・・
これは、わからんっ。

それに若狭には「闇見神社」があり、志緒さんが書いているのですが、
この神社も住吉三神のワタツミで、玉依姫です。
玉に依りつく姫は、海なんだな~。
神功皇后だし。

太平洋側の東北地方は、滋賀県の琵琶湖(藤原秀郷伝説=大蛇)

や志賀海の安曇氏などの「志賀伝承」が多いため、
大蛇と星神が東北には根づいているのかな?

 



そんなことで、
コロナウイルスで山形県の対応などをみていると、
宮城県とは全然違うのよね。

古代史でみると面白いんだけど、
東北地方の日本海は、昔から陸路で太平洋側に行ってなかったと思われるので、
陸との境界には、すごい神経を使うんだろうな~と思いました。

 

 

どの地方もそうですが、県堺には他からの侵入があるため、

昔は、阻止するための道祖神や塞神を置いて、

土地神から守ってもうことが、たくさんありました。

それに対して、こっちの宮城側は、陸路でガンガン峠越えをするね。笑
大野東人派な土地柄だけに・・・。

仙台があるから仕方ない。

県外の人がたくさん住んでますしね。

 



そんな(どんな?)

十三塚でした・・・。