(2)
 吾輩が不時着した隆盛先生は、めったに吾輩に声をかけることがない。職業は医者と社会福祉士の専門職後見人だそうだ。
患者さんの治療をしている日が週の半分くらい、残りの半分くらいは判断能力が低下している方や、低下しそうな方の幸福のために、専門職後見人というドイツにはいない後見人の仕事をしている。うちのものは大変な幸福追求者で勉強家であると思っている。当人も幸福追求者で勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際は、うちのものがいうような幸福追求者でもなく勉強家でもない。吾輩はときどき彼のグレーのブレザーの襟に付いて彼の書斎を覗いてみるが、彼はよく昼寝をしていることがある。ときどき読みかけてある本のうえによだれを垂らしている。彼は胃弱で、皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活発な兆候をあらわしている。そのくせに大飯を早食いする。大飯を早食いしたあとで、強力ワカモトを五錠飲む。飲んだあとで治療のための医学書、成年後見のための法律書、幸福追求のための哲学や社会学、心理学や精神医学など、難解な書物をひろげる。二、三ページ読み進めると眠くなる。よだれを本のうえに垂らす。
これが彼の毎夜繰り返す日課である。これで幸福追求者とか、勉強家といえる道理がない。



 吾輩はバッジのロバながら、ときどき考えることがある。医者と社会福祉士の専門職後見人というものは実に楽なものだ。人間と生まれたら医者と社会福祉士の専門職後見人になるにかぎる。こんなに寝ていて勤まるものなら、バッジのロバにでもできぬことはないと。それでも主人にいわせると医者と社会福祉士の専門職後見人ほどつらいものはないそうで、彼は友人が来るたびに、なんとかかんとか不平不満を鳴らしている。



 吾輩が彼のグレーのブレザーの襟に付着した当時は、主人はもちろんのこと、主人以外の家のものにも、はなはだ不人気であった。主人は外出するとき、たまさか吾輩をグレーのブレザーの襟に付けて外出してくれるが、ほとんどの場合、吾輩を机の上に残して留守番をさせる。いかに珍重されなかったかは、今日に至るまで名前さえつけてくれないのでもわかる。



それにしてもで、ある。吾輩の古い主人であったドイツのシュミットさんは、資産家であり、アガペーを大切に思うキリスト教徒ゆえの名誉職世話人であった。自宅で医業を開業し、これといった資産もなく、食い盛りの五歳と可愛いい三歳の女の子を持ち、あなたが先に亡くなったら私たち親子三人はどうやって生きていけばいいの、などと細君にいらぬ心配をさせる吾輩の新しい主人は、日本では社会福祉士の専門職後見人といわれているが、ドイツの分類では職業世話人に当たるだろう、と吾輩はみている。この専門職後見人か、職業後見人か、それとも名誉職後見人かの違いは、吾輩にはとんとわからないが、どうも、この辺の事情に吾輩がおろそかに扱われる原因がありそうである。



しかし、吾輩はそんな瑣末なことには無頓着であり、むしろ楽天である。吾輩は、主人の襟に付いて、その日その日を
主人の家族と、どうにかこうにか暮らしていければそれでよい。そのうちに日本にだって、吾輩を心から喜んで襟に
付けてくれる名誉職後見人がでてこないはずもあるまい。まあ気をながくしてバッジのロバの時節、名誉職後見人の
出現を待つがよかろう。



吾輩は主人たち専門職後見人と同居して彼らを観察すればするほど、彼らは実に(続き)
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吾輩はロバである。ドイツの名誉職世話人のシンボルバッジになっているロバである。名前はまだない。



 どこで生れたか、とんと見当がつかぬ。なんでも、薄暗い機械の音で騒々しいところでイッヒ ウエンウエンと啼いていたことだけは記憶している。

バッジのロバ


吾輩はここで生まれて、人間の背広の襟に付いた。背広の襟に付いて、初めて人間というものを見た。しかもあとで聞くと、それは名誉職世話人という人間の世話人中で、キリスト教系福祉団体をはじめとするボランテイア団体と深い関係を持つ種族だったそうだ。この名誉職世話人というのは、隣人愛・愛(アガペー)を仕事の基準としているという話である。しかし、その当時はなんという考えもなかったから、別段なんとも思わなかった。
 


 このドイツの名誉職世話人であるシュミットさんの背広の襟に付いて、少し落ちついて彼の顔を見たのが、いわゆる人間というものの見始めであろう。このとき妙なものだと思った感じが今も残っている。

生きたロバ




だいいち大きく長くスッキリした鼻があるべき顔が小さく丸い、まるでロバの顔を上下から圧迫したようなかたちだ。顔が大きく、体が小さいのがロバの一般的な特徴のはずである。そのあとで仲間の生きたロバにもだいぶ会ったが、こんな小さな奇形の顔には一度も出くわしたことがない。のみならず、顔の真ん中のチョコンととび出た鼻の下の一文字の口があまりに小さい。そうして、その一文字の小さな口でときどき赤い水のようなものをぐいぐい飲む。プンプン香る蒸気で、どうも頭がフーアフーア クーラクーラして実に弱った。これが人間の飲むワインというものであることは、ようやくこのごろ知った。



 このシュミットさんの背広の襟に付いて、しばらくはよい心持ちになっておったが、しばらくすると非常な速力で回転し始めた。シュミットさんが回転しているのか、自分だけが回転しているのかわからないが、むやみに眼がまわる。サンバ調のリズムだ。胸が悪くなる。我慢が肝腎だと思って、シュミットさんの背広の襟に抱きつく。ええ面倒だと両手両足で一度に抱きつく。すると不思議なことに、このときだけは両手両足四本でしっかり抱きつくことができた。なんだかバッジのロバでないような感じがする。バッジのロバであろうが、あるまいが、こうなった日にゃ、かまうものか、なんでも掴むべしという意気込みで、無茶苦茶に力ずくでしがみつく。猛烈な回転なので、手足の骨が折れそうだ。到底助からないと思っていると、ギュギュギュ ヒューン ギュギュギュ ヒューンと音がして眼から火が出た。それまでは記憶しているが、そのあとはなんのことやら、いくら考え出そうとしてもわからない。



ふと気がついてみると、シュミットさんがいない。たくさんおった兄弟のバッジが一個も見えぬ。肝腎の母親バッジさえ姿を隠してしまった。そのうえ、今までのところとは違って、むやみに明るい。眼を開けておられぬくらいだ。はてな、なんでも様子がおかしいとゆっくり腰を伸ばしてみると、非常に痛い。ここはどこだ、と見あげると、色白で眉が濃く目玉の大きな人間の顔と、グレーのブレザーのネームプレートが眼に飛び込んできた。吾輩はシュミットさんの背広の襟から急に回転し、急上昇、急降下して、胸に西田隆盛と書かれたネームプレートのあるワインの香りのするグレーのブレザーの襟に不時着したのである。幸か不幸か、縁は異なもの味なもの、である。



 
いつもの服装で

街へでる。


ある高齢男性が言う

変な服装だね!


そうですかア?

そうですねエ!


ある中年女性が言う

似合いますよオ!



そうですかア?

そうですねエ!



ある若い女性が言う

どちらでもいいでしょう。

あなたの服装なんだからア、

あなたの好きにすればいいでしょオ。



そ・・・・そうですかア?

そ・・・・そうですねエ!

で・・・・でも・・・・?!?