吾輩は主人たち専門職後見人と同居して彼らを観察すればするほど、彼らは実に奇妙なものだと断言せざるを得ないようになった。
ことに、吾輩が畏敬するお隣の弁護士の篤子先生などは、専門の紛争性のある被後見人さんのお仕事を業務にされておる。
彼女は、被後見人さんが病院に入院され、手術を受けるときなどの医療同意に困っておられるようである。吾輩の主人などは、ご本人の自己決定と医師の治療義務で判断すべきであろう、などと他人事のようなことを時に漏らしているが、なるほど判断能力を喪失された方に関する第三者の医療同意に関する法の整備は必要なことである、と吾輩も考えること頻りである。
彼女は、この近辺で有名な美貌家である。吾輩はバッジのロバには相違ないが、もののあわれや恋心は一通り心得ている。うちで主人と意見が対立して、気分がすぐれないときは、必ずこの先生のもとを訪問して、いろいろお話をしていただく。するといつの間にか、心が晴れ晴れとして、今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生まれ変わったような心持ちになる。美女の力というものは実に莫大なものだ。
また吾輩が尊敬する筋向こうの司法書士の利通先生などは、専門の家や土地の登記に関係のある被後見人さんのお仕事を業務にされておる。彼は、家庭裁判所の後見専門担当者の人的充実を図り、業務をはじめた成年後見人に対して助言を行なうことができる体制を整備してもらいたい、といわれる。吾輩もなるほどと、素直に頷けるお話である。
吾輩の主人はといえば、専門の医療ではなく、別の専門であるソーシャルワークに関係のある被後見人さんのお仕事を業務にしている。
吾輩も主人の仕事を見ていてときどき考えることがある。吾輩の主人や専門職後見人の先生方を差し置いて、バッジのロバが身の程知らずにも、はなはだ申し訳ないことであるが、バッジのロバに免じて三つの提言を申しあげることを許していただきたい。
一つは成年後見の市町村長申立ての活性化である。
二つは後見人報酬を支払えない低所得者に対する成年後見人報酬の公的助成をお願いしたい。ドイツの名誉職世話人は別として、現在の日本の市民後見人や専門職後見人に無報酬で他人の財産と生活を支える重い仕事をお願いするということは、ちと酷なように思える。民法をはじめとして、精神保健福祉法などの法的責任、道徳的、倫理的責任など、重い継続的負担を現在の日本文化のなかで、不相当に低い報酬、あるいは無報酬で負わせるのは無理であるだろう、と吾輩は考えるからである。
三つ目は、登記事項証明書に専門職後見人の職名を明記してもらいたいということである。
すなわち、専門職が後見人になった場合には、登記事項証明書に弁護士、司法書士、社会福祉士などの専門職名を記載してもらいたいということだ。なぜなら、それを記載することによって、親族後見人ではない第三者であり、しかも専門職であるという自覚を促すとともに、関係する各分野から専門職業人としての厳格な対応が求められ、充実した業務が期待できるようになるだろうと思うからである。
それにしても、である。専門職後見人の先生方は、彼らの持つ専門性を十二分に生かして、職業として立派に貢献されているということがいえる。まあよくいう二足の草鞋(わらじ)を上手く履いておられるといってもよさそうだ。
二足の草鞋は、もともと日本の江戸時代にその筋の事情に通じた博打打(ばくちうち)が役人から十手を預かり、罪人をめしとる下役になることをいった、と主人から聞いたことがある。
ここから同一の人が異なる二種類の仕事を上手くやることをいうそうである。日本には実にいい文化があると吾輩は感服の至りである。
ドイツの成年者世話法(ドイツ民法)では、無報酬の親族世話人と名誉職世話人を基準類型とし、親族世話人、適任の名誉職世話人がいない場合に限り、例外的に職業世話人を選任することになっており、専門職後見人などという二足の草鞋を履いた種族はいないようであった。
ドイツの名誉職世話人は世話人協会の指導を受けることになっており、世話(後見)をするうえで不可欠な最低限の知識である世話法の基本概念や、裁判所の許可を要する事項、あるいは報告や決算のやり方などを親切に伝えてもらっている。職業ではないゆえに細かい配慮がされているということらしい。日本には面白いことに、職業後見人はおらず、親族後見人と専門職後見人がおる。先月、最近ようやく市民後見人が養成されはじめた、と主人が友人に話しているのを聞いた。
ところで、ドイツの名誉職世話人と同様に、吾輩たちバッジのロバの仲間である生きたロバは、比較的少ない餌でよく働く、主人のいうことをよく聞くといわれている。しかし、生きたロバは、日本では、時代を問わず、多く飼育されていなかったらしい。現在日本には多くても数百頭くらいしかいないそうだ。世界で最も極暑地から冷地の環境にまで適応するロバが、日本ではなぜ普及しなかったのか、日本畜産史上の謎で、原因はさっぱりわからないらしい。
ロバがなぜ日本に少ないのか、吾輩がつらつら思うに、ロバは牛馬ほど体力がないから、農作業には不向きであり、騎乗するにも顔は大きいが体が小さすぎる。農作業はさせられないし、騎乗するには小さすぎる。その反面、愛玩用としては犬猫より大きすぎる、餌も多く必要であり、第一日本の住宅では大きすぎて飼えない。要するに二足の草鞋を履くどころか、虻蜂取らずで、中途半端な存在だと日本人は考えたのであろう。
それでも、日本で第二次世界大戦後から昭和40年頃まで、ロバのパン屋というのがいたと、主人から聞いたことがある。♪ロバ~のお~じさん、チンカ~ラリン♪と美味しいパンを売り歩いていたそうだ。しかし、日本が高度経済成長を迎えるとロバのパン屋のパン売りは姿を消し、自動車による販売に切り替えられたそうで、今ではロバのパン屋を見ることはできない。吾輩としては寂しいかぎりである。
二足の草鞋で思いだしたから、ちょっと吾輩のうちの主人がこの二足の草鞋どころではなく、あれもこれもで、失敗した話をしよう。(続き)
ことに、吾輩が畏敬するお隣の弁護士の篤子先生などは、専門の紛争性のある被後見人さんのお仕事を業務にされておる。
彼女は、被後見人さんが病院に入院され、手術を受けるときなどの医療同意に困っておられるようである。吾輩の主人などは、ご本人の自己決定と医師の治療義務で判断すべきであろう、などと他人事のようなことを時に漏らしているが、なるほど判断能力を喪失された方に関する第三者の医療同意に関する法の整備は必要なことである、と吾輩も考えること頻りである。
彼女は、この近辺で有名な美貌家である。吾輩はバッジのロバには相違ないが、もののあわれや恋心は一通り心得ている。うちで主人と意見が対立して、気分がすぐれないときは、必ずこの先生のもとを訪問して、いろいろお話をしていただく。するといつの間にか、心が晴れ晴れとして、今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生まれ変わったような心持ちになる。美女の力というものは実に莫大なものだ。
また吾輩が尊敬する筋向こうの司法書士の利通先生などは、専門の家や土地の登記に関係のある被後見人さんのお仕事を業務にされておる。彼は、家庭裁判所の後見専門担当者の人的充実を図り、業務をはじめた成年後見人に対して助言を行なうことができる体制を整備してもらいたい、といわれる。吾輩もなるほどと、素直に頷けるお話である。
吾輩の主人はといえば、専門の医療ではなく、別の専門であるソーシャルワークに関係のある被後見人さんのお仕事を業務にしている。
吾輩も主人の仕事を見ていてときどき考えることがある。吾輩の主人や専門職後見人の先生方を差し置いて、バッジのロバが身の程知らずにも、はなはだ申し訳ないことであるが、バッジのロバに免じて三つの提言を申しあげることを許していただきたい。
一つは成年後見の市町村長申立ての活性化である。
二つは後見人報酬を支払えない低所得者に対する成年後見人報酬の公的助成をお願いしたい。ドイツの名誉職世話人は別として、現在の日本の市民後見人や専門職後見人に無報酬で他人の財産と生活を支える重い仕事をお願いするということは、ちと酷なように思える。民法をはじめとして、精神保健福祉法などの法的責任、道徳的、倫理的責任など、重い継続的負担を現在の日本文化のなかで、不相当に低い報酬、あるいは無報酬で負わせるのは無理であるだろう、と吾輩は考えるからである。
三つ目は、登記事項証明書に専門職後見人の職名を明記してもらいたいということである。
すなわち、専門職が後見人になった場合には、登記事項証明書に弁護士、司法書士、社会福祉士などの専門職名を記載してもらいたいということだ。なぜなら、それを記載することによって、親族後見人ではない第三者であり、しかも専門職であるという自覚を促すとともに、関係する各分野から専門職業人としての厳格な対応が求められ、充実した業務が期待できるようになるだろうと思うからである。
それにしても、である。専門職後見人の先生方は、彼らの持つ専門性を十二分に生かして、職業として立派に貢献されているということがいえる。まあよくいう二足の草鞋(わらじ)を上手く履いておられるといってもよさそうだ。
二足の草鞋は、もともと日本の江戸時代にその筋の事情に通じた博打打(ばくちうち)が役人から十手を預かり、罪人をめしとる下役になることをいった、と主人から聞いたことがある。
ここから同一の人が異なる二種類の仕事を上手くやることをいうそうである。日本には実にいい文化があると吾輩は感服の至りである。
ドイツの成年者世話法(ドイツ民法)では、無報酬の親族世話人と名誉職世話人を基準類型とし、親族世話人、適任の名誉職世話人がいない場合に限り、例外的に職業世話人を選任することになっており、専門職後見人などという二足の草鞋を履いた種族はいないようであった。
ドイツの名誉職世話人は世話人協会の指導を受けることになっており、世話(後見)をするうえで不可欠な最低限の知識である世話法の基本概念や、裁判所の許可を要する事項、あるいは報告や決算のやり方などを親切に伝えてもらっている。職業ではないゆえに細かい配慮がされているということらしい。日本には面白いことに、職業後見人はおらず、親族後見人と専門職後見人がおる。先月、最近ようやく市民後見人が養成されはじめた、と主人が友人に話しているのを聞いた。
ところで、ドイツの名誉職世話人と同様に、吾輩たちバッジのロバの仲間である生きたロバは、比較的少ない餌でよく働く、主人のいうことをよく聞くといわれている。しかし、生きたロバは、日本では、時代を問わず、多く飼育されていなかったらしい。現在日本には多くても数百頭くらいしかいないそうだ。世界で最も極暑地から冷地の環境にまで適応するロバが、日本ではなぜ普及しなかったのか、日本畜産史上の謎で、原因はさっぱりわからないらしい。
ロバがなぜ日本に少ないのか、吾輩がつらつら思うに、ロバは牛馬ほど体力がないから、農作業には不向きであり、騎乗するにも顔は大きいが体が小さすぎる。農作業はさせられないし、騎乗するには小さすぎる。その反面、愛玩用としては犬猫より大きすぎる、餌も多く必要であり、第一日本の住宅では大きすぎて飼えない。要するに二足の草鞋を履くどころか、虻蜂取らずで、中途半端な存在だと日本人は考えたのであろう。
それでも、日本で第二次世界大戦後から昭和40年頃まで、ロバのパン屋というのがいたと、主人から聞いたことがある。♪ロバ~のお~じさん、チンカ~ラリン♪と美味しいパンを売り歩いていたそうだ。しかし、日本が高度経済成長を迎えるとロバのパン屋のパン売りは姿を消し、自動車による販売に切り替えられたそうで、今ではロバのパン屋を見ることはできない。吾輩としては寂しいかぎりである。
二足の草鞋で思いだしたから、ちょっと吾輩のうちの主人がこの二足の草鞋どころではなく、あれもこれもで、失敗した話をしよう。(続き)