12日の3月第二日曜日皇祖皇太神宮春の大祭に行ってきました。参拝者はちょっと少なめなはずだけど、何故か拝殿には人がいっぱい、まだソーシャルディスタンスなんですかね。新しく来られる方が増えているから座り方が人によりまちまちだからみたいでした。
今日は、祈願祭と鳴動祭だけだったのですが、ちょっと驚いたことがありました。
通常祈願祭の最後に管長が玉串奉奠をされて、そのあと、参拝者もみな玉串奉奠をするのですが、そのとき、なにやら拝殿の前に布をかけられた重そうなケースが運ばれてきました。
御神宝の1つが、誰にでも拝観が叶うようになったみたいです。奉賛会の特別会員は、祭典終了後、御神宝のいくつかを拝殿に昇殿して拝観ができるのですが、それとは別に、木花佐久夜姫様の御霊が入れられている御神宝の石が拝観できるようになりました。ただ奉賛会の特別会員と正会員だけが、近くまで行って拝観がかないます。今回初めてのことだったので、先生方が、奉賛会の会員の方はって言われて、挙手された方が、前の方に来て先に拝観をします。そうでない方は、玉串奉奠をしながらちょっと後ろから御神宝を拝観する形でした。私は奉賛会の会員ですが、近くまでいって拝観はせずに、後ろの方に座っていたので、最後のほうに玉串奉奠しながら拝観しました。
奉賛会の会員あまり来ていなかったようですが、まあその拝観の仕方が一種異様というか、みな、御神宝に大きく開いた両手をかざしています。神気を感じられるというので、やっているのでしょうが、なんか気持ち悪いなって思いましたね。行儀が良くないっていうか、御神宝なんだからねえ。
今後はそうなるらしくて、奉賛会の会員証かバッチを持ってきてくださいって先生が言われてました。
木花佐久夜姫様は、ご出産の時の事績から鎮火祭の初めとされます。その事績とは、一度の婚合でお子様を身ごもられたので夫の天仁仁杵天皇から、私の子ではないだろうと疑われて、その嫌疑を晴らすために産屋に火を放ってその中で双子を出産なされたというものです。母子共に無事に産屋から出てこられたので、天皇の疑いは晴れました。要するに火の禊を行なって身の潔白を晴らしたということです。

火伏せの神様、木花佐久夜姫様の御霊の入った御神宝の石を前にして行われた鳴動祭これは、管長もおっしゃいましたが、いつもとは顕著な違いがありました。

 

そもそも鳴動祭ですが、通常では、釜がなることはないようです。それで釜がなる時は神が降りているというのですが、まあ自然現象と言ってしまえばそれまでなのですが、そういう自然の中に神々を見出してきたのが古来の日本人であります。皇祖皇太神宮で行う鳴動祭、釜の鳴音もさまざまでその音霊で願いの叶う叶わぬの判断に使うわけですが、今回は、男釜様、女釜様とも、とても綺麗な音で、長くなりました。特に女釜様は、強くかつ長いことなっていました。鳴動祭の後、管長は、火伏の神、木花佐久夜姫様が近くにおられたからだとおっしゃっていましたが、本当にその通りなんだと実感できました。神の御霊の入った御神宝を前にして行われているので、それが間違いなく鳴動祭の釜鳴りの音に影響を与えていると感じられたからです。それほど鳴る音が違ったからです。

ひょっとしたら人間でも神が降りている方や、そういう神が近くにおられる場所で歌う時は、人は神の力の影響を受けて、綺麗な声が出るのではないかと思い至りました。こういうを神の恩恵というのかもしれませんね。

鳴動祭では、初めにかまどに火を起こすのですが、その起こしたかまどから、煙が一筋上がっていたのは、通常のこの世界と、神の世界を区分している、幕のようなところを突破して神世界に通じるその兆しだとおっしゃっていました。

鳴動祭が終われば、通常は、御神刀祓いを受ける方以外は、帰るものですが、ほとんど誰も帰らない。そう皆御神刀祓いを受けるんだ、人数すごいなって。管長がお一人でやられるので、まあ時間かかりそうって。まあ私も受けようと思えば受けられるんだけど、よっぽどのことがない限り通常は受けないで帰ってきます。実は、御神刀祓い、大祭の時に受けると、常の時より五千円安く受けられるというメリット?があるので、それで多いのかななんて思ってしまいます。探湯祭(くがたち)もなかったので、この日は通常より一本早い1時49分の特急で帰途につきました。