もう20年前の12月のある時、禊行を習いに、霊能者の方の住まいに何日か滞在したことがありました。寒い季節になるとその時のことを思い起こします。岐阜の中山道落合宿のほど近くのところでした。元は旅館だったという平家の大きなお宅を借りて住まわれていました。なんでも霊能力のチェックを受けて、本当に霊能力があると認められて貸してもらえたと言っていました。尋ねると、庭のところに、人が5人くらい入れたのかな四角い穴が掘ってあります。ここが禊の行場でした。傍の水道からホースで水が入れられています。そんなに大きいわけではないけど、さりとて、かなり深く掘られているから水を張るのにも時間がかかります。ちょうど玄関をはいった前の部屋に祭壇がありました。靴を脱いで反対向きにして揃えていると、そんなことしなくていいんだと言われます。靴は脱いだつま先の方を家の方に向けておくのだそうです。逆にする方が神様に失礼にあたるのだと伺いました。この先生、祈りの力で癌でも治すと言われていて、禊行は、石上神宮で教えてもらったと言っていました。もともと古神道の川面凡児のやっていたものが、神社神道の方に受け入れられたので、現在様々なお宮さんで、この次第で禊行は、行われています。この先生には、ある時、神が降りたので、それからいくつかのお宮さんをまわり修行を重ねられ霊能力を付けられたそうです。

その夜は色々とお話をしてくださいました。先生犬を飼っていたのですが、犬も死ぬと、その犬の霊が、飼い主にまとわりつくそうです。でもまあそれは、犬にとっても人間にとってはあまり良いことではありません。「死んでからも俺を慕っているのかよしよし」ではありませんよ。そういう時は、「西に行け!」って言うんだそうです。「西の方に行くといいことがあるよ」と言ってやると死んだ犬は迷っている所謂不成仏霊の状態からぬけだせるのだとか。これは動物全般に言えるのだと聞いたので、犬でも猫でも、飼っていたペットが死んでしまったら、たとえ姿は見えなくても、霊体は近くにいるんだろうから、こう語りかけてやると良いようです。でも邪魔だから「あっち行け!」の要領で邪険に「西へ行け!」ではなくて、愛情を込めて言ってあげなければだめですよって(笑)あと大きな一部屋が、霊がいるって言っていました。すまわしているみたいなことをいわれていて、だからその部屋は使っていなかった。あと霊が、卵を所望すると言われてお供えしていたのですが、ただ先生は、それをお下がりとして食べるわけではないので、台所に下げられた卵が無造作にすごい数置かれていたのを覚えています。

夜寝ていると、先生の声で目が覚めました。先生は褌姿でおもてに飛び出します。私も続いて褌姿で外に出ると、水をはっていた禊場は水でいっぱいになっていました。禊行の始まりでした。鳥船(船を漕ぐ動作)をします。何回やったのかわすれてしまったけど、夜だから寒いし、これから水の中に入るってわかっているので、鳥船の動作も力が入ります。本当に気を入れてやらないと、体を動かしてあっためておかないと、心臓麻痺を起こしかねませんからね。他で滝行はしたことがあったので、鳥船も一応はしってはいたのですが、夏場にやったので、冬場にするのとでは、大違いでした。夏場でも滝行寒かった記憶ですが、冬場にやる禊行は、もっと寒かった。先生は、大祓の祝詞をお唱えしています。私もお唱えしていましたが、途中で、胸が苦しくなって、まずいなって思ったんですが、なんとか持ちこたえました。お唱えは、三回かな五回だったかな、10分は入っていたと先生がおっしゃいました。10分入っていられれば大抵のことは辛抱できるぞっておっしゃってましたね。まあなんとか無事に禊行を一回終えることが出来ました。終わると一目散に家の中に入り、熱いお風呂につかります。元旅館だけあって、四角い檜の大きなお風呂でした。禊の後は、お風呂に入らないとだめだと先生は言っていました。そうしないと毛細血管にダメージがあるそうです。禊は、身削ぎなんて言って、一種体を労らないような感じも受けますが、そうではなくて、体は労わらないとだめみたい。実際水の中に入って、胸が苦しくなる経験をしたばかりだから、なるほどもっともなことだと、体に血が回り出すような感じを湯船の中で実感していました。

翌日、信者さんにご祈祷をしに行くと言われるので、車に同乗します。そのお宅には先生が一人ではいって、私は車で待っています。帰りの車内で、電話がかかってきます。先生は、電話をこちらに回してきます。「出て」というのですが、訝しく思ってなんだろうと出たのですが、電話の声が、急に変わります。電話の主は、憑き物に憑かれているので、私は出たくないんだとおっしゃいます。私も嬉しくはないなあ。でも、声が急に変わるから、おどろきますよね。霊に憑かれた人からの相談にのるには、家の中の結界をし直さないととおっしゃっていました。

実際に先生がどういうご祈祷をするのかは見ていないのですが、こういう段取りで依頼を受けていました。病気のような相談がくると、まず、先生は、先生の先生に電話をして、依頼者の名前と生年月日を告げます。そうすると、先生の先生から、この病気は治ると言われると、相談者の方によくなるよって伝えていました。こういうのも相談者と先生の間で信頼関係がないとだめみたいです。

2日目も、夜に禊行をしたのですが、1日目の記憶は、残っているのですが、2日目の記憶はあまりないんですよね。1日目の水の中で胸が苦しくなった記憶が強すぎるからかな。厄年以降体調不良になってしまって、私もあちこちまわってみたのですが、この禊行の1日目の体験はいつまでも胸の痛みと共に記憶に残っています。

 

禊も通常は水による禊だけど、探湯祭(くがたち)や、鎮火祭(ひわたり)は、火が入ってきます。探湯祭(くがたち)はいってみれば、火と水による禊だし、鎮火祭(ひわたり)は火による禊です。火による禊、効力あるんですが、まあ、そんなすごいことしないといけないほど、心根に汚れついちゃっているんですかって思いますよね。皇祖皇太神宮の鎮火祭(ひわたり)は、通常5年に一度だったか、御神事でやるから、別に心根それほど汚れていなければ、火傷したりしません。ただ時折あちちってなることがあるので、それは、何かあったんだろうなって、反省の縁になります。探湯祭(くがたち)は、春秋の大祭の時に毎回あるので、参加されたことのない方は参加されるとよいですよ。煮立った釜のお湯に、笹の葉をひたして、振り撒くものです。昨年の秋の大祭はあいにくの雨でしたが、御神事の時は、傘を閉じて、お湯の雨をいただくわけです。最後は横殴りできたから、まあ熱かったこと。
禊もお手軽お気軽にしたいのなら、毎年6月と12月の末にある、大祓を地元のお宮さんや、崇敬社でされるといいですよね。形代に
半年分の我が身の汚れを付着させて、それをお宮さんに送って、清めていただきます。この時に、大切なのは、初穂料をお納めするということです。神様はお金なんか取らないぞっていうのは、あなたの勝手な物言いです。いや、神職の方のお給料になるんだなんていうのも、穿った考え方です。そうではないのです。通常粗大ゴミを自治体に出す時は、お金がかかりますよね。それと同じことです。あなたの心に溜まった粗大ゴミをお宮さんに処分をお願いしたわけですから、費用がかかりますよっていうことです。無料で持って行ってはくれませんよっていうことです。特に12月の大祓は是非お勧めします。何故かっていうと、初詣がひかえているからです。風呂に入って体の汚れは落としても、心根の汚れを落とさずに、初詣に行くよりも、大祓によって、心根も清めての初詣の方がどれだけよいことか。その方が、お願い事だって叶いやすくなるのは自明のことではないですか。
 
でも安上がりにしたいっていう方は、ご自分で毎日禊をされることをお勧めします。家庭のお風呂で水に浸かるのは、水道代かかるから、洗面器にお水を入れて、かぶりましょうということです。水のかぶり方、にお唱え言があったりしますが、そういのは、お宮さんにお尋ねされるとよいですよ。ただ、これから始めようっていう方は、夏からの方が良いです。冬に急に水をかぶるのは、あまりお勧めできません。夏場の暑い時期だったら、別に水をかぶろうが爽快な感じさえするから良いのです。禊だって思い出したように、たまにやるのではなくて、毎日やらないと。だんだん体を慣らして行って、そうすれば、厳寒の時期でも、問題なく続けられます。そう思えるようになったのは、あの寒い冬の夜にやった禊行があったからです。お手軽お気楽にやりたいですよね。
今は新型コロナウィルス感染症問題で、神社では、手水を使わなくなっています。これは、ある意味恐ろしいことです。私がよく伺う2社も、手水舎には水がありません。
観想で手水をとれば良いのですが、神社の参拝に、手を洗う必要はないんだなんて、やがてそれがあたり前の罰当たりが続出しそうで怖いですよね。神社が手水を張らなくなってしまったから、そう思われても仕方ないけど。本当にチャイナ国がもたらした、新型コロナウィルス感染症問題ですよね。そもそも共産党だから神なんて信じてないからね。宗教を、政治利用するだけだから。
早くお宮さんに手水舎から普通に手水を取れる時が来ることを願っています。禊に必要なのは、水なんですから。
 
ちなみに、私にも、神様降りるか聞いていただいたんですが、「降りる!。が、いつかは分からない」って言われて、ちょっと複雑な感じでした。その先生も、先生の先生ももうお亡くなりになられて、真相は闇の中(笑)だから、私に神の降りる日のためにも、毎日の禊は続けているのです。(笑笑)