明日12月12日も節句なのですが、なんの節句かというと、
竹内文献には、カサミフユサ花の門代に、玉栗餅ついて、神祇を祭る節句祭日とありますが、カサミフユサ花がなんの花のことかわからなくてね。
ヨーロッパでは、秋から冬に焼き栗屋台がでて焼き栗のイメージですが、玉栗餅ってこれは、お餅の中に栗が入っているのか。栗を蒸して杵でついてペースト状にしたものを餅といったのかは、かわかりませんが、お祭りには、お供えとして基本的に、その季節に旬のものだったり、冬場は保存の効くものを使うから、寒い季節には栗がうってつけだったのでしょう。でてくる玉栗餅は今に伝わっていれば、どういうものになっているのかなって考えてみました。今ならさしずめ、苺大福の栗バージョン?栗羊羹、西欧のモンブランっていう感じなのかなあ?。栗は古くからあり、4000年前の、三内丸山遺跡の直径1mにも及ぶ巨大柱も栗の木でした。太古の時代から栗は栽培されて、食材、建築材料として重宝されていました。12月12日から10日すぎると、冬至が巡ってきます。最も昼が短く夜が長い日ですね。
明治時代以降新暦を採用したことで、季節感がだいぶ狂ってしまっています。
宗教的真実は伝承であるとは、私が個人的にいうところですが、言い伝えて伝承していかないと、だんだんわからなくなってしまうということです。竹内文献の伝えるところの太古歴では、1月1日は、今いうところの春分の日です。だいたい新暦の3月21日ですね。そうなると大雑把に言って、4月1日は、夏至の6月21日で、7月1日は、秋分の日9月21で、10月1日が、冬至の12月2日っていう感じですが。江戸時代までの旧暦では、春分の日は、2月ころになります。旧暦が不便と感じるのは、閏月のあるところですね。例えば、来年は、旧暦では、2月が2度繰り返します。大枠を合わせるために、ところどころズレがでるということです。竹内文献の古代歴はとてもよくできていたと思います。春分の日の翌日を1月1日として、1年12ヶ月、1ヶ月は30日で、12月の末に4、5日の閏日をおいて、また春分の日の翌日にいたり1月1日にするという方法です。
あす12月12日はまだ師走の忙しさの少し手前、古き日本のことに色々と思いを馳せながら、仕事帰りにコンビニで栗のスィーツを購入して、神棚にまずお供えして、それから徐に、季節感のある食材に感謝の念を込めて、神様のお下がりとして栗のスィーツを頂くのです。こういう時は、しょっぱいのはちょっとあれだけど、甘いものだと感謝の念湧きますよね(笑)