ゲームセンターCXの#118は、F-ZEROですが、




なんと全15ステージクリアをしなければならないため、前編・後編という形になりました。




ということで、#119は、F-ZERO後編となります。




F-ZEROは基本的には5つのコースがあり、




それがナイト(初級)、クイーン(中級)、キング(上級)という風に分かれています。




スーパーマリオカートでいうところの、キノコカップ、サンダーカップとかみたいなもんです。




それとは別に、ゲーム自体の難易度設定があり、




・ビギナー(初心者用)


・スタンダード(中級者用)


・エキスパート(上級者用)




があります。


さらにその上に、マスターモード(超上級者用)というのがあり、かなりの難易度です。




難易度が難しい、というのは、いわゆる敵の車の速度が速いことが上げられます。




そして、このゲームの難易度が影響してくるのは、1つのコースを全5周するまでに、




最低通過順位というのがあります。




最終LAPでは、3位以内に入らないとならないのですが、このゲームのなんと言ってもやっかいなのは、




周回遅れ(既に2周目には出てきます)をいかに回避するか、ということです。




この周回遅れに道を阻まれてる間に、ライバルの車に抜かれる・・・ということが多々あります。




というか、ほとんどがそれです(笑)




まるで、ピンボールのようなはじけ具合で、気がつけば体力メーターは無くなり、




体力が無くなると当然、車のスピードは出なくなり、そして負けてしまうというパターンが繰り返されます(笑)






ちなみに、有野課長はF-ZEROを発売当時、相当やり込んでたらしく、今回はEXPERTモードでの挑戦です。




やってみるとわかりますが、最終的に3位以内に入らなければならない3位に入るのも、




結構難しい難易度です。




とにかく、ミスが許されない、というか、どちらかというと自分との戦いになるわけですが、




焦れば焦るほど深みにはまっていく・・・という1秒たりとも手の抜けない緊張感のあるゲームです。






果たして、課長は見事キングモードをクリアできたのか、




次回までまだまだ期間がありますので、




F-ZEROをもっている方は(Wiiでも確かバーチャルコンソールでダウンロードできた気が・・・)、




「課長へたくそだなぁ(笑)」




と笑う前に、やってみてはいかがでしょうか。







多読、というのとは違って、本を読む、というのはとてもわくわくする事だ。




なぜかというと、そこには自分の知らない世界や、自分の知りたい世界があるからだ。




人は謎が好きで、謎を好む。




そして、謎の答えを求めようとする。




その答えを見つけようとして、様々な経験を積み重ねて、答えにたどり着いたような気になる。




そして、その答えを見つけたと思った瞬間に、また新しい謎が生まれる。






そんなことを繰り返していけるのは、本という独特のメディアだからかもしれない。




本は、作者の膨大な知識や調査、そして理念や思いをいっぱいいっぱい詰め込んだメディアだ。




昔からあるし、媒体は電子になろうと、今も変わらず存在し続ける。




それは、人が作り出した、




「伝える」




ということの媒介手段であるからだと思う。




「伝える」




は、言葉で伝えていくと、伝言ゲームでもそうだけど、どんどん意味の違ったものになり、




最後はまったくわけのわからないことになってしまうことが多い。




しかし、本というメディア。もっというならば、紙などに書かれた文字というメディアを使うことで、




少なくとも、ぼくら人間が伝えうる現在の技術では、最大最高の「伝える」を実現することが出来る。




だからこそ、先人の知恵として、本を書き残すことで、その人の思想や考えが見えてきたりするのだ。






人の人生を全く同じ人生を、進むことは出来ない。




がしかし、人の人生を体験する(おこがましい言い方だけど)、もしくは知ることは出来る。




それは、本というメディアがあったからに、他ならない。




そんな自分自身の思いもあるせいか、うちの中は本で沢山だ。




別に、本に囲まれた生活をしたいわけではなくて、あくまで自分が気になることを調べていくうちに、




本が自分の周りに集まってきた。




そう、集まってきたのだ。




だから、自分が悩んだり、謎を抱えたときに、ふと、とある本を手にとって見る。




そうすると、今まで謎だと思っていたことが、その本をみた瞬間に氷解するのだ。




これがまた面白い。




本にとっては書いてある内容が変わることは無い。




その本を買った時点で書いてある内容が変わることはないし、せいぜい自分で書き足すことくらいだ。




しかし、読む、という行為は目的を持った時点で、




もう少し細かく言うと、




それぞれの目的を持った時点で、




その本には、




それぞれの解釈が生まれるのだ。




ふと手にした本を見たら、たまたまいいことが載っていた、ということがある。




それは、ふと手にした本を見た時に、




既に無意識ではその本を必要としていたのだ。




必要としていたから、




その本をふと取ってしまったのだ。




まあ、鶏が先か、卵が先か、の論理ではなく、




人間は無意識な状態になっているときに、意識下では想像もつかないことをやろうとしている、ということだ。




それを、本は一番分かり易く伝えてくれるメディアなのだ。










本を読むということ。








とても単純な言葉だけど、




人によっては、人生を変えることにもなるし、




人によっては、今まで生きてきた人生を「その通りだ」と通り過ぎるだけのことにもなる。








本を読むことで、




何かが出来ることになるわけじゃない。




でも、




本を読むことで、




何かが出来るきっかけが出来ることになる。




そこにこそ、




本という魅力があるのだと思う。

























日野晃氏の著書もそうだが、故・伊藤昇氏の著書である「身体革命」や「胴体力」といったものも、




身体の動きを知るには必要な本である。




というより、これだけわかりやすく単純に書かれた本はない。




がしかし、人間というのは単純化し過ぎるとそれは得てして信用しないような感覚にとらわれる。




なんといえばいいか、




難しい言葉をつかって、難しいことを説明している大学教授が偉く見えるというか・・・。






日野晃氏にしても、伊藤昇氏にしても、わかりやすくより注意すべきポイントに注目して




身体操作を解釈、説明しているところがすごい。




だがしかし、これだけの著書を読んだとしても、自分で出来るかどうかというのはまた別の話。




なぜ別なのか、というと、あくまで体験するのは自分の身体でしかないからだ。




書いてあることは、著者を通してや、著者が実験、検証を通して積み重ねていった事実ではあっても、




それが今読んでいる自分に当てはまる、もしくは頭で理解できたから、それが身体を動かせる理由にはならない。




そこが人間の面白いところだし、頭で考えれば考えるほど、出来なくなるのも人間の面白いところ。






私もどうしても癖で、理屈で考えてしまうことがあるのだが、そういったときほど、




うまく出来ない。




そして、うまくいったときは、はっきり言えば、うまくいったときのことを説明することが出来ない。




だからうまくいったのだ、と。




だから、うまく出来る人に、




「どうやったらうまくできますか?」




と聞いても、あくまでこうするほうがいい、とか、こうしたほうがいいのでは、という回答しか出てこない。




出てこない、というよりは、出せないのだ。




だって、その人自身の感覚は、その人自身しかわからないんだから。






では、なぜそんな人がいる中で、簡単に出来るようにさせることが出来る指導者がいるのだろうか。




「その人の立場に立っているから?」




「達人だから?」




「しゃべりのプロだから?」




「教えるのがうまいから?」








一言で言えば、指導者と、教わる側の気持ちが合ったからではないかと思う。




だから、どんなにトッププロを教えている講師や指導者であっても、万人が出来るようになるわけではないし、




出来ない人は出来ない可能性が高いのだ。




とにかく、出来ない人は、頭のどこかで出来ないと思ったうえでそれをやっているし、




とにかく、頭で理解しようとしているから、身体がそれを理解しようとしなくなるのだ。










・・・と書いていて、終わりのない文章を書いているような気がしてきたので、ここらでいったんやめよう。




でも、出来る出来ないは別として(それは個人個人が出来る、出来ないと思っていることだから)、




やるべきことはそれほど多くない。




日野晃氏も、伊藤昇氏も、身体(胸骨、背骨、肩甲骨、仙骨、腰)といった主要なところを




力が出るように使えばいい、ということを言っているだけだ。




だから、共通項としていくと、同じところに行き着く。




別に、どっちがまねしたとか、パクッたとか、そんな次元の話じゃなくて、




人間がやることなんだから、調べているうちに、そういったところに行き着いてしまっただけなのだ。






と、いろいろと調べていくと、人間ってみんな誰かの真似をしているし、




誰かの真似をしながら生きている。






誰かの真似をして、誰かの真似をしまくって、いつの間にかそれが真似じゃなくなって、




気がつくと本人になっている。




そんな風に思うと、結局みんな同じところにたどり着くのだと思う。




だって最後には必ず死んでしまうのだから。




だからこそ、




真似じゃない、真似をしたくない、自分だけだって思いたいのだと思う。




思うからこそ、自分の殻を破って、




そこに本当の自分だと思えることが、あるのだと思う。




それを、道というのだろうと、思った。




こんな4月の日に。




F-ZEROやりながら。
















最近、ゲームセンターCXネタばかり書いていて怠けている感じがしますが・・・。




それはそうと、早速ゲームセンターCXよろしく、F-ZEROをやろうと決意。




部屋の中を探すと、箱に入ったF-ZEROが見つかった。




「やっぱりあったね。F-ZERO」




感動と共に、発売日は1990年という話なので、今からもう20年も前のソフト、ということになる。




当然、中に入っているデータも消えているだろうな、と思っていてスーファミにセットしたところ、




なんと記録は消えずに全て残っていた。




おお、これはすごい。




当時を思い出しながらやり始め、課長と同じくやりこんだ経験があることから、余裕をかまして、




EXPERTモードで開始(笑)




がしかし、いきなり3位に入れず(笑)




「課長と同じ、自分がやりこんだのもビギナーやったかなぁ・・・(笑)」




と思うも、一応MASTERモードも存在していることから、一応全てのモードはクリアしている模様(笑)




何度かやっていくうちに慣れてきて、当時の感覚が思い出してきた・・・といったところで、




集中力がダウン!!!




そんな何時間も出来へん、出来へん!!!




ということで、今日はさらっとF-ZEROをやって、スーファミは終了。。。






さっ、身体操作を行わねば・・・。

















ということで、ゲームセンターCXは、今夜10;00から開始です。





家にF-ZEROのスーファミカセットがあると思って探してみたところ、どうやらなさそう。





ロマシングサガ3とかはあったんだけど(笑)





スーパーファミコンも、今やりなおしてみると、コントローラの小ささにビックリします。




逆に言うと、プレステーションのコントローラが出たときの「デカッ」っていう驚きを思い出したりします(笑)




ほんと、昔のゲームはAとBの2つのボタンであらゆる操作をしていたんですよね。




それがスーファミになって、LとRが加わり、そしてXとYが加わるという、急に6ボタンになったときは、




正直言って操作できるか不安でした。




特に初期の頃は、無理やりボタンを6個使わそうと、へんなボタン配置になってたり・・・(笑)




でも、結局ファミコンの頃からやりなれたボタン配置、




・決定ボタン・・・  Aボタン


・キャンセルボタン・・・  Bボタン




というのは基本路線みたいで、大体のゲームではこの配置です。




たまに、これが逆になってたりして、決定したいところでキャンセルしてしまったり(笑)、みたいなことが




よくありました。




スーパーマリオでは、Bダッシュ(Bボタンを押して歩かせると、早く走ることが出来る操作)という言葉が




流行というか、当たり前になり、Wiiになってもダッシュさせるときは、




「Bダッシュ!!!、Bダッシュ!!!」




と子供に言ってしまったりします(笑)




WiiのBボタンは、Wiiコントローラの裏側にあるボタンなので、WiiコントローラでBダッシュをやろうとすると、




大変なことになりますが・・・(笑)






ということで、今日木曜日10:00から、ゲームセンターCXが始まりますので、お見逃し無く!!!