この言葉こそ、
真理を表している言葉はないと思う。
なぜなら、
人はできることしかできないから。
だから、
言葉でどんなに説明しても、
それが頭で理解できたとしても、
身体がそれを体現出来なければ、それはできないということなのだ。
いつも稽古をしてて思うのは、
昨日までできなかったのに、
今日やってみたら急にできるようになった、ということがよくある。
それは、身体ができる身体になっただけであって、
それがいつになるかは、予想がつかない。
だから、人はどうしても頭でできるまでの期間をコントロールしたがるのだけれど、
出来るようになることは、頭がコントロールしているわけではなく、
身体が身体としてその動きを理解した時になるわけだから、
頭でなんとかしようとしても、できることではない。
だから、
自分ができるようになるまでの期間が気になり、他人と比較して早いとか遅いとか思うのだと思う。
あくまで、できるまでの期間はその人の身体によるのだから、
人のできるまでの期間と比較するのは、そもそも意味がないことだ。
でも、
比較することが身体に染みついていることで、どうしても早いか遅いかばかりを気にしてしまう。
まずは、そこから抜け出すようにすることが、大事なことだ。
そして、そのためには、
自分の動作一つ一つに真剣に、慎重に、そして、繊細になること。
これは、やっていくうちに、いろいろな発見がある。
ここで書いていることも、それを身体で理解していないうちは、
何を言っているかわからない。
でも、それを何度も身体で繰り返していくうちに、身体が理解する。
身体が理解するから、頭では「勝手にできた」ということになる。
それでいいのだ。
どんなに練習場で練習しても、
家に帰れば元通り。
そして、
家に帰る途中に普段通りの動きをすれば、それも練習でやったことは露と消える・・・。
何が言いたいかといえば、
稽古の時間だけやっていても、それは上達はするかもしれないが、
即使えるようにはならないということ。
そして、
それこそ何年も修行したとしても、身につかず、
結果的に挫折してしまうということです。
達人のように、日常動作を一から達人の動き、つまりは普段やっている無意識的な動きをやめ、
いったんすべてを意識的に動くようにすることで、
少しずつ身体は変化していくのです。
だから、
とにかく、身体を変えるにはどんな動き、パソコンをやっててもスマホをやってても、
自分がどのように身体を、腕を、指を、そして意識を動かしているのかを観て、
それを感覚として感じれるようになる必要があるのだ。
私も毎日常にやるようになってから、
あまり他人の目を気にしないようになってきた。
所詮、他人の目とは、日常動作を繰り返し、そしてそれによって身体を疲れさせてへとへとな人なのだ。
その人たちと同じ動きをしていることが、奇異な目で見られないにしても、
身体は疲れたまま、やる気も起きず、そして何より自分の目的となるような身体にはならない。
人の目を気にするよりも、自分を気にするべきなのだ。
だから、
日常動作から変える、いや、日常動作すべてを稽古としてしまえばいいのだ。
電車で立っていることも稽古。
階段を上り下りするのも稽古。
それこそが、達人になるためのコツなのだ。
何かを習っただけでは何にもなれない。
だからこそ、達人は一人稽古こそが達人になるための秘訣と知り、
それを永遠と続けていったのだから。
さあ、とにかく始めよう。
そして、やり続けよう。
いつも、いつでも。
タイトル通り。
まさに、身体の感覚というものは、自分で実際にやらないとわからない。
いろいろな人が残したアドバイス的な言葉や、
今はDVDなどの映像で何度も同じ動きなどを見たりして、
同じ動きをするようなことを練習することはできる。
だが、結局は独りよがりになってしまうことが多い。
それは、
達人などがどんなに映像として見せていても、
どんなに良い練習方法であっても、
練習方法=結果(達人としての動き)
が一致しないので、そこがわからないからだ。
それは、たとえばスポーツなどでも、
楽に打ち返しているように見えたり、走ってるように見えても、
見えないところを使った動きでやっていたり、
身体の無駄な力を抜いてやっていたりすることは、映像では見えないし、
言葉で説明しても、その感覚が身体になければ、それを使いこなすことはできない、ということだ。
だから、どんなに最初はその達人になりたいと思って意気込んで練習しても、
結果としての達人の動きと自分の練習での動きとを結びつけることはできないから、
途中でやめてしまうのだ。
では、できるようにするにはどうするか?
答えは、「試行錯誤するしかない」ということだ。
武道などの修行に早道はない、と言われているのは、
結局今まで自分が自分の身体や心を動かすうえで、どんな癖を持っているかで、
その癖が生き物本来のものとほど遠ければほど遠いほど、
どうしても回り道をせざるを得なくなる。
だから、
まずは自分の身体の感覚を磨く稽古をとにかくすること。
これは、自分もとにかくやっているが、
どんな時も、トイレでもご飯でも仕事中でもやるようにしている。
もちろん、最初は動きが大きかったりして、周りから変な目で見られるかもしれない。
だが、考えてほしいのは、これは自分の今までの癖を取り、
自分が生物として本来持つ機能を使うためのことなのだ。
人の目などを気にしてる場合ではない(笑)
だから、
とにかく自分でその感覚を味わうこと。
続けていけば、そう、3日でも1週間続けるだけで、
身体の違和感というのは確実に感じるようになる。
そして、すごいのはそこからで、
その感じる能力がレベルアップすると、やったらすぐに身体が違和感を感じて、
すぐに修正することができるようになる。
なので、とにかくやり続けてほしい。
まずは、朝起きてから寝るまで。
どんなに素晴らしい師匠について練習や稽古をしても、
そしてどんなに素晴らしい言葉や解説をしてもらっても、
自分がそれを身体で理解(感じることができる)できなければ、意味がない。
つまり、体感して初めて分かることなのだ。
だから、
どんなに素晴らしい稽古方法や練習方法でも、
とにかくやり続けなければ、それを理解することはない。
今はまさに、その言葉を体感しているところだ。
たとえば、中心軸や中心線、正中線という言葉がある。
イメージはわかるけど、実際にそれを体感しなければ、
それを使いこなすことはできない。
それは、身体が理解した時に、初めてその言葉の意味を身体で知ることが出来るからだ。
つまり、
自分が体感出来ることで、その言葉の本当の意味を知ることが出来、
なぜそのような解説や言葉を使っていたかがわかる。
だから、
自分が体感する前と後では、もっと言えば、その動作ができるようになった後では、
同じ言葉でもその意味や内容にものすごく大きな差ができる。
よく日野晃氏がいう、身体の連動、連関、肘と胸骨の連動などは、
実際にそれがつながるような状態になって初めてその重要な意味がわかるし、
逆に言えば、つながるようになるまでは、とにかく胸骨と肘が連動するまで、
何度も繰り返し稽古をするしかない。
なぜなら、
人の身体は本来つながっていても、それをつながっていると体感・知覚するのは、
何度もその稽古を通して身体にその感覚が身につかない限り無理なのだ。
それと、その身につくまでの期間も、人によって大きく違うし、
早い人と遅い人と、まちまちである。
また、その感覚がもしできたとしても、
それが正しいかどうかは実際に人と組みあって検証する以外に方法はなく、
その検証が出来てようやく身についてきた、と言えるからだ。
昔の達人はどうやって検証していたのか?と非常に気になるところだが、
武道・武術は相手があってこそ活きるものなのだから、
それをやらなければ、ただの独りよがりになってしまうということだ。