とはいいながら、



最近どんなゲームをしているかというと・・・



「ダンガンロンパ」



という推理的なゲームです。




もともとソフトは購入していたものの、きっかけがなかったので



やってませんでした。。。




ところが、今年アニメがやることになり(実は録画してみてませんでしたが・・・)、



それがきっかけでちょっとやってみようかなぁと。





やった感想としては、あれだけ死を取り扱ったテーマゲームなのに、



軽妙な音楽と、モノクマというキャラ(旧ドラえもんの声)のおかげで、



あまり殺伐としたり、ちょっと「かまいたちの夜」みたいな恐怖感もなく、遊べているなぁと。



まだエンディングはいってないものの、



アニメも終わってしまったようなので、アニメを見る前にゲームはクリアしたいな、と。





思考は現実になる。



では、どうすれば現実になるのかというと、



頭と体も含めて、きちんとイメージが出来たとき、それは現実になります。



なんとなく、や



そんな感じ、程度ではうまくいきません。



それと、映像が頭に浮かんだとしても、



身体が本当にそうだと思えない(心のどこかで疑ったり)していると、現実になりません。




よくある話と受け流したり、信じなかったりするのも、同じです。



なので、



まずは騙されたとか考えずに、とにかくやってみることです。



なんか、こういうのが信じられない原因は、



本当はできていない人が、できるように見せたりしていることが原因だと思います。



そういう意味では、信じられないという気持ちが、



いろんなことを妨げているんですね。




気の修練を始めてから、数か月。



両掌には気が確実に感じられ、丹田には熱気があるような熱さが感じられる。



毎日時間さえあれば続けているし、どこでもやるようにしている。



むしろ、身体は少しでも手が空いてれば、手で気を集めている。



はたから見ると、おかしな人に見えているはず(笑)



それでも、外のことは気にならなくなったし、むしろ、それが今までの自分を作ってきたということを



実感する毎日になっている。



大事なことは、外に反応することではなく、自分の内側を見ること。



じゃあ、内側を見るってどういうこと?っていうと、



手を動かす、足を動かす、息をすう、はく、といったひとつひとつの動作を、



自分で観察するところから始める。



いうのは簡単だけど、実際には無意識で今までやっていたことだから、



気が付かないと無意識に動かしてしまっているし、その動きは外側に反応した動きになってしまう。



そうではなく、自分の動きとして、骨、筋肉、呼吸、肩はあがってるのかどうか、



その時の心はどういう状態なのか、ということをひたすら観察する。



観察すると、自然と動きはゆっくりになり、ゆっくりになるから余計に自分の身体の動きが



感じることができる。



実は、何かものを取ろうとしたときは、目線が最初にそのものに焦点を当ててから、



手先(指)からそのものを取りに行こうとする、とか。



よくいわれる小手先の動き、というのは、この手先から動いてしまう動きのことでもあり、



身体から動かして結果的に指先が動く、ということになっていない、ということを表している。



そんなことを知ることができるのも、こうした内面をみること、内側を見ること、



その内側を知るためには物理的な表面部分を見るのではなく、



見えない部分をみることを修練としているからである。



こんなことを繰り返しながら、



だんだんと外側の出来事に反応しない自分が出来つつあり、それによって心も落ち着いてくる。



それを続けていくだけである。




武道の道を進んでいる間に、



気が付くと、気功にたどり着いていました。



もちろん、気功の先には悟りという場所があるのですが。。。





なぜそこに至ったかというと、



島田明徳という人の「悟りの意味」という本を読んだのがきっかけ。



もともと武道としていろいろ調べていたところ、であってしまった本でもある。



そして、その本を読んで確信したのは、



かの武道家たちや、現代では初見良昭氏や日野晃氏のような人たちも、



その道を極めようとしてその結果、悟りを得たのだ、ということ。



話すと長くなるので省略しますが、



そういうこともあり、今は少しずつ気を集めています。



まるで、ドラゴンボールの孫悟空のように、元気を集めてる感じです(笑)




心と体は不思議な関係。



身体が身体自身で動いている時は、



心は何も考えない状態、いわゆる無心状態になり、



身体の自由な動きに任せて動くことが出来るが、



心が身体をどうにかしようと意識すると、それは心が何かにとらわれ、



身体は自由な動きもできずに、不自由な体になってしまう。




つまり、



人は心があるがゆえに、



その心が何かに影響されることで、



身体まで影響を受けてしまう生き物のようである。



だからこそ、



お酒を飲んだりスポーツをしたりして、



その心をコントロールし、身体の自由を得ようとする。



でも、



心→身体、という順番で身体の自由を求めようとすると、



結局は身体は自由にはならず、心にコントロールされてしまう。





では、



どうすればいいのか。



それには、



ダイレクトに身体に働きかけてあげるしかない。



ダイレクトに身体に働きかけるには、



今までやっていた動作を、ものすごくスローに時間をかけてやることなのだ。



空手や武術などの突きであれば、



それを1回の突きに、1分くらいかけるくらい、ゆっくりやる。



なぜそれをするのか?



ゆっくりやることで、突きを出すという動作が、どのような動作をすることで



身体は動いていくのかを見て、感じることができるからである。



見て、感じると何がどうなるのか?



それは、一瞬で終わる突きでは感じることが出来ない、



自分の身体の動く感覚、そして、その間の身体と心の状態を見ることが出来るからだ。



それを知ることで、



無心の状態を作ることが出来てくる。



出来てくる、というのは、最初は身体を感じようとしても、どう感じればいいのかわからないので、



余計なことを考えてしまうのだ。



感じるとは、自分の身体の突きをした時の動きを、



身体のどの部分(肩甲骨、足、腰、背中、などなど)がどのように連動しているのか、



を見ることで、それにより、余計なことを考えている余裕がなくなってくるのである。



だからこそ、



スピードを求めてしまうようなスポーツ、もしくは武術などと称して行っているものでも、



ゆっくりと動作することを行うのである。



むしろ、



それを行わなければ、自分の身体のことなどわからないし、わからないことにも気づかない。



そして、それがわからないからこそ、



心で、意識でコントロールしようとする。



身体のことがわかることで、心で、意識でコントロールしようとは思わなくなるのにもかかわらず。



この矛盾を体験していくことが、



何よりまずは意識の縛られから解放される第1歩である。