気の修練を始めてから、数か月。
両掌には気が確実に感じられ、丹田には熱気があるような熱さが感じられる。
毎日時間さえあれば続けているし、どこでもやるようにしている。
むしろ、身体は少しでも手が空いてれば、手で気を集めている。
はたから見ると、おかしな人に見えているはず(笑)
それでも、外のことは気にならなくなったし、むしろ、それが今までの自分を作ってきたということを
実感する毎日になっている。
大事なことは、外に反応することではなく、自分の内側を見ること。
じゃあ、内側を見るってどういうこと?っていうと、
手を動かす、足を動かす、息をすう、はく、といったひとつひとつの動作を、
自分で観察するところから始める。
いうのは簡単だけど、実際には無意識で今までやっていたことだから、
気が付かないと無意識に動かしてしまっているし、その動きは外側に反応した動きになってしまう。
そうではなく、自分の動きとして、骨、筋肉、呼吸、肩はあがってるのかどうか、
その時の心はどういう状態なのか、ということをひたすら観察する。
観察すると、自然と動きはゆっくりになり、ゆっくりになるから余計に自分の身体の動きが
感じることができる。
実は、何かものを取ろうとしたときは、目線が最初にそのものに焦点を当ててから、
手先(指)からそのものを取りに行こうとする、とか。
よくいわれる小手先の動き、というのは、この手先から動いてしまう動きのことでもあり、
身体から動かして結果的に指先が動く、ということになっていない、ということを表している。
そんなことを知ることができるのも、こうした内面をみること、内側を見ること、
その内側を知るためには物理的な表面部分を見るのではなく、
見えない部分をみることを修練としているからである。
こんなことを繰り返しながら、
だんだんと外側の出来事に反応しない自分が出来つつあり、それによって心も落ち着いてくる。
それを続けていくだけである。