ヘミシンクを聞いてみて、どのような状態になったりするのか、というのを書いておきます。



聞いてみたのは、ゴーイング・ホームというものです。



まず、聞いている時になりやすい身体の特徴としては、



・身体が熱くなる(ぽかぽかする)


・手や足の感覚がなくなるが、意識ははっきりしている


・小さな微振動が手、足、身体に感じられる



というのが、自分が感じたものです。



そして、面白いのは、身体が緊張していたりすると、上記のような兆候が起きにくいことです。



逆に言えば、上記のような兆候がない場合は、どこかしらが緊張しているので、



そこを見つけて少しずつリラックスしていけば、自然と変性意識を作りやすくなると思います。



まだまだ旅の途中ですが。




最近、身体が熱いです。



具体的に言うと、



下腹、丹田のあたりから、会陰、仙骨、尾骨あたりまで、



熱い液体が身体の中で流れているのがわかります。



瞑想をすると、会陰のあたり、もしくは仙骨のあたりがものすごく熱くなり、



その熱さは火を当てているかのような感じがします。




腕や手の周りには、バリアーのような気が覆っていて、



体中が熱の膜で包まれている感じです。





身体の動きとしては、仙骨から動けるようになったので、



人をよけたりするときも、上半身を動かしてよけるようなことはせず、



身体ごとすっとよけれるような動きが自然とできるようになってきました。



特に意識はしていないのに、なんとも不思議です。






ヨガでも気功でも、そして、ヘミシンクでも念力でも霊能力でも、



全てはつながっています。



え?いきなり何をいってるの?(笑)という話ではありますが、



最終的には、人間はすべてつながっている、ということを知るためにやっているんです。



ではどこにつながっているかというと、宇宙なわけです。



この辺、よくスピリチュアル(精神世界)という名前で怪しまれることも多かったり、



霊能力というと、テレビでやっていたあやしい除霊などが印象にある人も多いと思います。



比較的、ヨガや気功は健康だったりという身体への効果が出ているので、



胡散臭さがだいぶ減ってきてはいますが、目指すべきところは一緒です。



氣と表現したり、プラーナと表現したり、はたまた意識エネルギーだったりと、



言い方は様々ですが、それがさすところは同じところに落ち着きます。



ようは、宇宙からのエネルギーなわけです。



これが普通に目で見えていたら、きっともっと説明もしやすいでしょうし、



信じる人も増えると思います。



人は、目で見たものしか信用しないようなことが多いですからね(笑)





そんなことを見返してみると、



ヨガであれ気功であれ、それこそ念力であれ、本来は進むべき道は同じ場所になるのですから、



どんな方法でもそこにたどり着ければいいと思っています。



むしろ、



教義だったりでやっていることが、最終的に「すべてはつながっている」ということに



たどり着かないのであれば、その教義は本来の目的を見失っていると思います。



詳細は、また今度に。。。





いろいろな文献を調べていくうちに、守護霊という存在を知り、



さらに調べていくと、ヘミシンクというCDにて、その自分の守護霊(ここではガイドと呼ばれてる)と



会うことが出来るようで、それに興味を持ち、CDを聞き始めました。



購入したのは、ゴーイングホーム、というものです。



ただ、聞き始めると、外の色々な雑音が(いびきやバイクの音、などなど)気になりだして、



集中できないところもあるものの、腕や手、足の感覚がなくなるような、ふわーっとした感覚が出てきました。



それでも、まだその先に何かが見えることはなく、これからだという感じがします。



引き続く、ブログで状況を書いていこうかと思います。




色々と現代の達人や悟りを得たという人を見ていくと、



年齢的には1940年代後半~1950年代に生まれた方が多いように思います。



何か、世代的にそのような人材が生まれやすいのかもしれません。



スピリチュアル、というと急に胡散臭くなったり、



悟りを得た、といってもそんな簡単に得ることなど出来ない、という頭があるのですが、



それは、メディアなどにいいように洗脳されてきたからかもしれません(笑)



達人も悟りを得た人、いろいろな能力を使える人も、



そのすごさや修行内容だけを取り上げて、ついつい神格化してしまいがちですが、



実際にはその人たちの生い立ちや経験、考え方などを知っていくことにより、



なぜそのような存在になれたのか、ということが少しずつ分かってきます。



ちょうどその世代は、30代あたりにきっかけを持ち、その道に進んできた人が多いのです。



もちろん、開花したのは40過ぎてからの人もいるとは思いますが、



多いのはやはり30代の人です。



ということは、この年代にはやはり自分の人生を真剣に考えたり、もしくは生き方について



悩んだりする時期なのではないでしょうか。



40にして惑わず、とありますが、



これは、40歳になったら迷うことはない、という意味ではなく、



40にしてようやく、自分の進むべき道が見つかった、という意味でのことではないかと考えます。



そういう道を見つけてきた人が、



ちょうどインターネットなどの世界交流できる環境と相まって多数出てきているのだとしたら、



すごいことです。



そうなると気になるのは、そういった人たちとそうではない人たちの分極化が始まるのでは?



ということです。