ものまねがうまければ、人を笑わせることが出来るのか?




というと、そうではありません。




あくまで、ものまねをすることで、感心を得ることはできますが、笑いがとれるということは別物です。




では、どうすればものまねで人を笑わせることが出来るでしょうか?






まず1つは、そのものまね自体をしたときに、笑わせたい人が知っている人である、という点があります。




知らない人のものまねをされても、誰も訳が分からず、また似てるかどうかすらも分からないため、笑えません。




でも、




「大阪のおばちゃんのものまね」




は、別に個人を特定していなくても、そのまねをするだけで人を笑わせることが出来ます。




それはといえば、人の頭の中に、




「大阪のおばちゃん」




という、共通のイメージがあるからです。




この共通のイメージと、「大阪のおばちゃんのものまね」とが一致する、もしくは近寄ることで、




「自分が知っている人のものまねをしている」




という状態になります。




それによって、




「あ、この台詞、おばちゃんなら言いそう」




「おばちゃんなら、こんな感じで態度でかそう」




という親近感が湧き、結果的に全く知らない、個人すら特定できなくても笑わせることが出来るのです。






このことを念頭に置くと、人を笑わせるためのものまね、とは、結局、笑わせたい人が知っているフレーズや、




知っている仕草、癖、行動があるかどうかなのです。




ですので、まず始めにやらなければならないのは、




「みんなが知っていそうな人で、かつ、仕草や癖、行動に特徴がある人」




ということになります。






次に、ものまねをしたい、と思う対象の人が、笑いにしても問題が無いかどうか、ということが大切です。




例えば、アイドルをものまねするとすれば、




「まずとにかく似ていること」




が大事です。




アイドルのような存在は、そのアイドルを好きな人にとっては、太陽のような存在です。




つまり、神様のように神秘的かつ、神聖なものなのです。




その人のまねをふざけたものまねをした場合、当然、そこには面白さはなく、




「馬鹿にしているだけ」




という印象を与えてしまうのです。




ここが注意すべき点です。




ですので、会社などでものまねをする(普通しませんが・・・)場合でも、そのような存在である人をものまねすることは、非常に危険が伴いますので、やるなら覚悟を決めてください(笑)






逆に、みんなから




「癖や仕草に特徴がある人」




「悪口を言われるような人」




のような場合、そのものまねは受け入れられやすく、結果的に笑いをとることが出来ます。




なぜなら、こういうタイプの人は、普段みんなが口にしないだけで、実際は




「この人、こういう人だよな」




「なんでこんなこと言うんだよ」




と思ってたりします。




それをものまねを通して声に出すことで(ものまねをするから許されることも・・・)、みんなの気持ちを代弁することになり、共感を得られることで、結果的に笑いになるのです。






「ものまねでうまく笑いがとれない(笑)」




「ものまねがスランプだ(笑)」




という人は、ぜひその点をもう一度見直してみてください。




きっと、大爆笑を得られるはずです。



昨日、イロモネアが放送されていたので、思わず見てしまった。




この番組、お笑い芸人たちが、5つのお題(ショートコント、ものまね、モノボケ、一発ギャグ、サイレントだったかな?)をこなし、見事観客を笑わせたら100万円、という番組だ。




色々な芸人が出ている中、どちらかというと異色?な芸人として、有吉さんが出ていた。




有吉さんといえば、的確なニックネーム(品川祐を「おしゃべりくそ野郎」など)をつけることで有名だが、




その有吉さんが、どのように5つのお題を使って観客を笑わせるのか?が非常に興味深々だった。




で、実際に使ったのは、なんと




「これからやろうとすることを想像させる」




というやり方。




例えば、ものまねで言えば、いきなりモノマネをするのではなく、




「これからモノマネします」




といってから、モノマネをする前の不安げな表情、焦り、などの行動を行うことで、観客に




「早くモノマネやってよ」




と思わせ、それでもやらないというギャップを作り出すことで、笑いを作り出していたのだ。






「間の使い方が絶妙にうまい!!!」




思わず、そう叫んでしまった。




なぜ、間の使い方がうまいのかといえば、笑いをとる為の前準備の時点で観客に落ち(結果)を想像させるのだが、中々落ちにはいかず、観客をじらしまくる。




笑うことをじらされた観客は、だんだんと「早く笑いたい」衝動にかられ、落ちに行く前の行動で、




「思わず笑ってしまう」




という状態にはまっていった。




さすがに、ファイナルでは5人全員(観客を5人全員笑わせないとクリアにならない)を笑わせることは出来なかったが、それでも有吉さんが作り出した世界は、他の芸人とは異質のものであったことは今回、大きな発見であった。






そう、




「笑いたいのに笑えない」




という状況を作り出すことで、結果的に笑いを生む、というやり方は、実に「間」を活かした、いや、「間」を活かさないと、そして人をよく観察していないと、こういった笑いで笑わせる事はできない、実に有吉さんの観察力が発揮された大会であった。






ただ、1つだけ注意したいのは、




何度もやると、飽きられてしまう可能性が高い、




ということです。







ゲームセンターCXの番組の影響を受けて以来、子供たちはファミコンのカセットをセットするときに、呪文を唱える。




「ゲームセンターしーえーっくす!!!」




「かちょー、おーん!!!」




と。




もちろん、それを実行する自称課長(?)は3人いるので、3回繰り返す(笑)




DSのソフトですら、認識しないとみるや、




「ふーっ、ふーっ」




と端子部分に息を吹きかける(ほんとはやっちゃだめだよ!!!)。






子供にとっての面白さは、何より単純で真似しやすいこと。




だから、ゲームセンターCXの有野課長の行動は、子供にはわかりやすく、そして面白い、ということだ。




なので、いまだに長男坊は、超魔界村をやっている(笑)。




「最後まであきらめない」




と言いながら。





まさにその通りッ!!!






だから、親が子供に注意することは、実は親が無意識にやっていることです。




つまり、親の癖を子供は見て学び、それを正しいものとして実行します。




そして、親に怒られる。




「そんなやり方しちゃいけません」






「なんでそんなことするの」






「その言葉遣い、やめなさい」






全部、親が普段やってることです。




特に、子供が親に注意されたときに、すぐにその行為をやめた場合はいいんですが、やめなかった場合は注意が必要です。




それは、




「だって、お母さん(お父さん)がいつもやってるじゃん」




って、子供が思っているからです。




自分が正しいと思っていることを、怒られることほど、不条理(自分にとって)なことはありません。




ましてや、自分の親がやってることなら、なお更です。






それを、




「親として自分がやってることだから、自分からやめよう」




と反省し、親自身がやめられるのか、




「なんだその目は!!! 親に反抗する気か!!!」




と怒鳴りちらして自分の感情だけを撒き散らすのか、




ここが親としての成長するかしないかの分かれ道です。






空手の型もそうですが、親子でやっていたりすると、自然とその親の型の動きを、子供が真似します。




その結果、子供の型は親に似た物になるのですが、




そこで親が子供に向かって、




「その型はおかしいから直しなさい」




というと、子供は混乱するわけです。




つまり、親が注意をした時点で、親が自分で




「注意した点は、実は自分自身が無意識にやってしまっている癖ではないか?」




と疑問を持ち、それを直すにはどうするのか、を素直に認めなければなりません。




そうやって、常に子供は自分の鏡として存在いることを認識し、その上で注意をし、直さなければならないところは直す、ということを繰り返していくことで、成長が出来るのです。






子供の通信簿の生活欄(生活態度などが書いてあるところ)を見てみると、




「子供の頃の自分と一緒だな」




と思うことが多々あります(笑)




親のいないところでは、子供は素の自分が出ます。




そこで、全て普段親が行動していることを子供なりに実践しています。




だから、先生に子供のことで注意されると、




「私も実は、そうなんです・・・」




なんていったりして、子供ではなく自分が注意されている感じになったりします(笑)






だからこそ、親は子供を常に鏡としてみていき、間違ったことや注意したいことがあったら、自分(親自身)から直すように心がけましょう。





型は空手だけでも、様々な流派があり、その流派ごとに10~20くらいはあります。




もちろん、型の動きだけを覚えるのでしたら、最近はDVDなどが売ってますので、それを購入してみれば覚えられると思います。




でも、ここで型の試合などに出たことがある人、もしくは見たことがある人は、ふと疑問を抱きます。




「空手の型って、流派ごとにあるのはわかる。でも、同じ流派なのになぜ動きが違うんだろう?」




と。




これには、いろんな理由があります。




1つは、型はやる人のレベル(技術、理解度、解釈など)によって、見え方が違います。




見え方が違う、というのは、もちろん見た目のことです。




例えば、




手をグーにして打つのか?




それとも手をパーにして打つのか?




といったところや、引き手を引くタイミングなどは、まさに人それぞれです。




その人のレベルによって型の解釈が変わってしまうから、結果的に同じ型でも、動きが変わってきてしまうのです。




型を覚える流れから、その理由を見ていきましょう。




<型を覚える流れ>


1.まずは、型(見本)の流れ、動きを覚える


2.型(見本)の流れ、動きを覚えたら、それがスムーズに出来るようにする


3.動きがスムーズに出来るようになったら、技として型を分解する


4.分解した型それぞれの技を自分なりの解釈で使えるようにする


5.自分なりの解釈を加えた上で、型を再構築する




基本的には型を覚えるのはこのような流れで覚えるのですが、ここに必ず大きな補正値が加わります。




それは、




「その型をやっている時点のレベルでの自分なりの癖」




です。




この「その時点でのレベルでの自分なりの癖」が、まさに曲者です(笑)




この癖は、本人から見たら癖ですから、まったく何がどうなっているかなんて気がつきません。




でも、師匠とかの前で型をやれば、師匠からダメだしされるとおもいます。




「お前は、動くときにどうしても右手が使えてないな」




「突きを出すときに肘が先に開いてしまってるよ」




などなど。




これが師匠に言われた時点できちんと直れば、補正値として加わることは少なくなりますが、それは中々難しいことです。




実際には、師匠に言われたとしても、




「そんなことはわかってるよ。わかってたら、とっくに直してるよ」




とか言いながら、結局癖は、癖のまま直さず進んでしまっているはずです。






つまり、どんなに優れた師匠の下で型を習ったとしても、自分自身の癖に気がつかなければ、一生その癖を持ったままやり続けることになります。




もう1つは、まだ型の全てを自分のものとしきれていない状態で指導員になったり、道場で教える立場になってしまった場合です。




これは非常に多いケースです。




この場合、型は全く違った解釈と、その人自身のレベルでの癖が加わった動きとなる為、本来の動きと全く異なり、下手をすれば何をしているか全く想像がつかない型になったりします。




「なぜここで突きを出す必要があるのか?」




それを考えてみても、そこに答えはありません。




なぜなら、その人自身が気づいていない癖が解釈として加わったまま、もはや新しい型(名前だけは原型と一緒)になってしまっているからです(笑)




それだけこういったことが多いのには、やはり、型を覚える、型を使いこなせるだけの技術習得がそれだけ難しいということです。




なぜ難しいのかといえば、身体で覚える、身体で感覚するしか出来ず、そして、本当に自分なりに自分の癖を理解し、そしてそれを型に当てはめて型を使えるようになる稽古体系が中々無いからなのです。




やはり、感覚的な世界ということもあり、それを言葉にしていくのは難しいです。




もしやるとすれば、とにかく基本的な型(サンチンなど)を繰り返しやりながら、




その動きで約束組手(力任せに受けをとるやり方ではなく、




相手に触れる程度のやわらかい動きでやる)を通して、サンチンの動きがどのように使えるかを、




何度も検証していくしかありません。




もちろん、自分の癖を加ないように、常に自分の癖を直しながらやるようにしてください。