笑いの話として、武道・武術家の日野晃氏
が興味深いことを書いている。
「大阪とノリと東京のノリは違う」
と。
なるほど、と思う。
確かに、イメージとして、
・東京は建前を大事にし、人に本音を言わないイメージ
・大阪は本音を大事にし、かつ、思ったことを面白く言うイメージ
があります。
もちろん、これはとうちゃんが感じたことであって、人によって違うことがあるとは思います。
だからこそ、「大阪のおばちゃん」というキャラクターは「大阪人のイメージを象徴」しているのだし、
東京には「スカした兄ちゃん」的なイメージくらいしかないのだと思う。
実際によく考えてみると、東京に一番多く住んでいるのは東京人ではなく、ほとんどがそれ以外のところから
来た人で形成されている。
つまり、東京人はほんとにごく少数で、ほとんどが東京以外の人で成り立っているのが東京なのだ。
クラスに生徒が30人いたとしたら、東京人は2人くらいしかいないイメージだ。
だからこそ、他人行儀になりやすいし、会話もどこかよそよそしくなってしまうことが多い。
だからといって、東京人が全てよそよそしくなる訳ではなく、地域の中で見れば、田舎の人と同じように、
お互いを助け合い、お互いを尊重しあいながら生きている。
ということを考えると、単に、他から人が沢山入り込んでくるので、ついつい身体の免疫反応のように、
反応してしまっているだけなのだ。
話はかなり脱線してしまったので、笑いの話、ノリの話に戻そう。
日野晃氏は、続けて、
・大阪のツッコミは、強烈で、人を見なければ成立しない
といっている。
これも、なるほど、と思う。
普段から強烈なツッコミによって心が鍛えられていることで、投げかけられる言葉に耐性が生まれ、
強くなっていくのだとすると、言葉による投げかけはあくまで言葉のやりとりの一環でしかないため、
中途半端ないじめは起こりにくい。
確かに、自分がボケて(もちろん狙ってボケた場合は別)それを的確に狙い打ったツッコミをもらうと、
思わず
「やられたぁ!!!」
って感じがする。
でも、そこにあるのは、本質を見抜かれた気恥ずかしさもあるが、何より、自分の言葉の真意を見抜いてくれた
という信頼感や繋がったという意識から、妙にすっきりする、爽快感を覚えることがある。
つまり、どんなに強烈なツッコミであっても、意図せぬツッコミであっても、
「本質をついたことツッコミ」
であれば、そこには
「相手と繋がっている。本当の自分を相手に理解されている」
という感覚が生まれ、
爽快感が生まれるのだと思う。
そんな日野晃氏が、最後に気になることを言っていた。
・最近、大阪の子には強烈なツッコミを入れられず、東京の子には入れられる
と。
吉本興業しかり、関西から東京に来る人が多いので、日野晃氏の教室に来る人も東京人は少ないのでは?
と思ったりもするが、もしそうでないとすれば、
「東京人にも、本質をツッコミされた時の爽快感を味わう感覚がついている」
ということだろうか。
なんとも気になることである。