パンクロッカーたるもの「別に売れなくてもいい」というスタンスはダサい。


自分も長年(本当に2、3年くらい前まで)ずっとパンクロッカーは「売れなくてもカッコいい音楽をやってればいい」「認められなくても好きな事をやっていれればいい」と思っていた。
「別に金にならなくてもいい。金の為にやってねぇし」と強がっていた。
おかしな話である。音楽だけで食っていきたいクセに。

パンクロックには「清貧思想の呪縛」があると思っている。
清貧とは、富を求めず、正しい行いをしていて、貧しい事だ。
要するに、カッコいい事をやってれば別に食えなくてもいいという考えである。

だからパンクロッカーはお金の匂いのする事をすると嫌われる。
わかりやすく言えば、メジャーデビューしたり、売れ線に音楽性を変化させたりすると、「あいつら終わった」と囁かれる。
逆に、小さなライヴハウスでストイックに活動している方が「本物だ」と称えられる。
なぜこういう事になってしまうのか?
それはパンクロックの出自にも関係していると思う。

そもそもパンクロックは、70年代後半ロックが巨大化し、派手で難解な「ショウビズ化された音楽」になってしまったカウンターとして誕生した。
中心となったバンドのメンバーのほとんどは労働者階級で、楽器もロクに弾けないニイちゃんネエちゃん達ががむしゃらになって生み出した音楽が、若者を中心にムーブメントを巻き起こしたのだ。
「お金持ちのロックスター」の対抗軸として浮かび上がった「労働者・若者たちのリアルな声」がパンクロックであったのもあり、「お金のため」というスタンスにはアレルギー反応があり、今も根強く清貧思想が残るのだと思う。

しかし実際にはSEX PISTOLSもTHE CLASHも、メジャーなレコード会社と契約している。
THE CLASHは3枚組のLPを1枚分の値段でリリースしたという清貧思想を助長する有名なエピソードがあるが、別に食えていなかったわけではない。
SEX PISTOLSにはマルコム・マクラレーンという有名な仕掛け人がいて、SEX PISTOLSはマルコム・マクラレーンによって「戦略的に売り出された」バンドである。


そもそも、、、ある程度売れていなければ、広まらないし、残っていけない。
70年代後半のイギリスやアメリカの音楽が、日本の、しかも自分の地元島根県なんていう田舎まで届いていたのは、売れていてこそである。

もちろん、ある場所で局地的に支持を得て、純粋さを保ったままアンダーグラウンドとして消えていったパンクロッカーもたくさんいるだろう。
全然有名じゃないけど死ぬほどカッコいいバンドだって確実にいる。
別に、そんなアンダーグラウンドなパンクロックを否定しているわけではない。
それもパンクロックの一つのあり方である。
しかし、それだけがパンクロックの正しいあり方ではない、ということに気づいたのだ。


「別に売れなくてもいい」というのは一つの逃げである。
テスト前に「オレ昨日全然勉強してねぇよー」って言うのと、マラソン前に「オレ今日本気で走らないから」と言うのと同じだ。

ただ保険をかけているだけである。


だから自分はもう保険をかけるのはやめた。
売れたいし、これで死ぬまで食っていきたい。

ライヴにはたくさん人が来て欲しいし、音源も色んな人に聴いてもらいたい。
海外でもライヴしたいし、自分の音楽が50年後も残っていて欲しい。

しかし、パンクロッカーだから、ダサいことはしたくない。
あくまでも、やりたいようにやって売れたい。
それに挑戦したい。


こんな当たり前な事をはっきりと公言出来るようになるまで、10年以上かかった。
やっとパンクロックが持つ清貧思想の呪縛から解き放たれたのだ。

多分そんな心境の変化がライヴや作品に反映されてきていると思う。


自分はやっぱりパンクロックで売れたい。
それがパンクロックに対して、きっと恩返しになるはずだ。