その2
雅楽は
単なる音楽芸術であるだけではなく、
そこには
哲学 や 宇宙観 が
深く関わっている。
メインである3種類の管楽器の中の
笙 の音色は
天からの光を、
その姿は
鳳凰が化身
篳篥 は、
地上の音
龍笛 は
天と地の間を行き交う 龍の声、つまり空間
を象徴しているから
合奏することが、
天・地・空 を合わせる
つまり
宇宙を創ることになる。
その音楽の成り立ちにはさらに奥深い
陰陽道
が織り込められているのだ。
天文の動きを何百年、あるいは何千年かかけて計り得た統計学に基づいて
構築されたものだからこそ、
自然(宇宙)と人間との調和などが考えぬかれた芸術ということになる。
例えば、
「ソ」の音は、東を向いていて、青や緑と順応していて、青龍の加護を受け、季節は春、流水と対応し、肝臓や目と波動が合う。
また、
木(ソ)は火(ラ)を生じ、土(レ)に勝つ・・・・
など 際限なく陰陽五行説が関係している。
そういう音楽だから植物や動物も、
そして、人の細胞 に響くものなのだとされる。
いつだったかフランスの農場で誰もいないところで
笙を吹いたとたん、
遠くから
何十頭もの 牛 が集まって来て
僕の目の前でぴたりと停まり、演奏の間中じっとこちらを向いていた。
演奏を終えると、みんなすーっと帰って行った。
ハワイの沖でクルーザーの先端で
篳篥 を吹いていたら
凄い数の イルカ が集まって来た・・・。
ということがあった。
おなかの中の赤ちゃんが嬉しそうに動く・・・
などの体験も多い。
千年以上もの昔の人たちのそういう鋭敏な感覚は計り知れない。
機械文明に慣れてしまっている僕ら現代人にはとても解明出来ない科学が昔から存在しているのだ。僕らは頭では学問として証明出来ないけれど、
からだは、とりわけ 細胞 はそれをちゃんと知っているのだと思う。
だから雅楽の音の渦に身を置くと(本物のいい演奏であるならば)なんだかわからなくても浄化されたような感覚になることがあるのだ。
不思議でしょ?
僕はそんな古典の雅楽にはいつでも敬意を持っていて、
いつでも古典の正統な表現をおろそかにしてはいけないと思っている。
そして誰よりも古典雅楽を愛していると胸を張っている。
それは演奏だけでない、
古代の哲学や美学、
陰陽道的見識 も含めて
雅楽と向き合っている、
それでこそ雅楽師、
と自負しているから。
続く
今回もまじめさ
雅楽は
単なる音楽芸術であるだけではなく、
そこには
哲学 や 宇宙観 が
深く関わっている。
メインである3種類の管楽器の中の
笙 の音色は
天からの光を、
その姿は
鳳凰が化身
篳篥 は、
地上の音
龍笛 は
天と地の間を行き交う 龍の声、つまり空間
を象徴しているから
合奏することが、
天・地・空 を合わせる
つまり
宇宙を創ることになる。
その音楽の成り立ちにはさらに奥深い
陰陽道
が織り込められているのだ。
天文の動きを何百年、あるいは何千年かかけて計り得た統計学に基づいて
構築されたものだからこそ、
自然(宇宙)と人間との調和などが考えぬかれた芸術ということになる。
例えば、
「ソ」の音は、東を向いていて、青や緑と順応していて、青龍の加護を受け、季節は春、流水と対応し、肝臓や目と波動が合う。
また、
木(ソ)は火(ラ)を生じ、土(レ)に勝つ・・・・
など 際限なく陰陽五行説が関係している。
そういう音楽だから植物や動物も、
そして、人の細胞 に響くものなのだとされる。
いつだったかフランスの農場で誰もいないところで
笙を吹いたとたん、
遠くから
何十頭もの 牛 が集まって来て
僕の目の前でぴたりと停まり、演奏の間中じっとこちらを向いていた。
演奏を終えると、みんなすーっと帰って行った。
ハワイの沖でクルーザーの先端で
篳篥 を吹いていたら
凄い数の イルカ が集まって来た・・・。
ということがあった。
おなかの中の赤ちゃんが嬉しそうに動く・・・
などの体験も多い。
千年以上もの昔の人たちのそういう鋭敏な感覚は計り知れない。
機械文明に慣れてしまっている僕ら現代人にはとても解明出来ない科学が昔から存在しているのだ。僕らは頭では学問として証明出来ないけれど、
からだは、とりわけ 細胞 はそれをちゃんと知っているのだと思う。
だから雅楽の音の渦に身を置くと(本物のいい演奏であるならば)なんだかわからなくても浄化されたような感覚になることがあるのだ。
不思議でしょ?
僕はそんな古典の雅楽にはいつでも敬意を持っていて、
いつでも古典の正統な表現をおろそかにしてはいけないと思っている。
そして誰よりも古典雅楽を愛していると胸を張っている。
それは演奏だけでない、
古代の哲学や美学、
陰陽道的見識 も含めて
雅楽と向き合っている、
それでこそ雅楽師、
と自負しているから。
続く
今回もまじめさ