湯守人。
如何にも訝しげなタイトルを付けてしまったが、景勝地や温泉地に於いての世話人や観光的ガイドだけを指すのではない。
町が寂れていく大きな要因に先ずは経済、そして自然の蠢きによる負荷が代表的であるが、温泉地における寂れは少し異なる。
温泉観光地に限っては経済という大きな構造体ではなく一軒一軒の商店の繁栄に帰する処が大いにあり、共同体として地元との関わりもある意味大きい。
明治2〜10年、徳川幕府という時代から大変遷して間もない時代、町民による経営というものはこれまで庇護されてきた所も町村で補わなければならない背景があり、どうしても経営という視点から臨まなければならず、平等という名の元にその原資で苦難を強いられていく。
私の住む松山道後エリアも例外ではなくその苦労が原泉社資料から読み取れる。
様々な事情で消えた方々もたとえ瞬きの間であったとしても湯守としてその責を担った時があり、これもまた湯守人であろうと考える。
日本人はヒーローが大好きな民族ではあるが名も知られざる人々の名も頭の片隅に残していただきたいと心から願っている。
愛媛松山道後においての湯守人はその最古の歴史の深さ故に数え切れぬ程の人に守られてきた経緯あり。
これを支える為に最も必要なのはやはり個々の旅館や商店の経営努力と強い意志。
目立たずともしっかりその地で今を生き、己の家業に黙々と向かっている方々こそが湯守を果たしている人に見えてくる。
売名こそビジネスという今の時代の流れとは逆である。
明治27年に大改築された道後温泉本館、さらなる歴史の繋がりとして令和の大改修工事が本年7月に終わる。
それを前に古今湯守人達への賛として綴らせていただいた。