庚子年回顧 | 松山兎月庵 文化歴史館

松山兎月庵 文化歴史館

野育ちなれど格高し・・・・

私がこの干支年に興味を持ち、歴史を紐解いたのが昨年11月の初め。
日本は無論の事、世界の歴史を陰暦、明治5年の新暦を元に遡っていくと様々な事象に出会う。
一つ一つ羅列することもできるが、古いところは万国共通の暦がなく、典拠も乏しいので個人のSNS等でそれとなく投稿したのが今年の1月4日。

戦々恐々としながら迎えた令和二年、人間の善人仮面は剥がれ、世界のライフスタイルそのものが否定された年となった。

歴史は過去のものにあらず、歴史は人が生き抜き未来及び子孫に繋ぎゆく貴重なデータである。
常々私は弟子たちにそんな含蓄を施すが一般大衆は「古い考えや教育は壊して新しきを求める」そんな思考が今禍中でも蔓延る。

過去のデータや事象に最も学ばなければならない政治家も同じ轍を何度も踏むが、責任はそれを何となくとか、仕方なくとか選んできた我々陳情形大衆にあり。

先日、私が個展を三度プロデュースし、造詣に関する相談や意見交換をしてきた砥部焼の作家から伝統工芸作家としての大賞受賞報告を受けた。
そこでポロリと独り言のように言った陶芸作家の言葉。
「最近、ずっとおっしゃられていた[衒い]というものが少しずつ分かってきました。」と。




実父の初七日を終えて意気消沈のさらに底にあった私の気持ちが一気に吹き飛んだ。
受賞報告はもちろん祝福すべき事ではあるが、私にはその言葉のほうがよほど嬉しい。
7年の歳月を必要としたが、やっと愛媛にもそこを理解する作家が生まれた事、今年一年の鬱憤晴らしにこれ以上のものは無し。

宗教や哲学を含めた歴史をデータとするなら来年(令和三年辛丑)は淘汰されつくしたものが整いを成す年、恐らくは口八丁や自己顕示、上っ面パフォーマンスだけでは世間に通用しない時代が来るのだと思う。

本当に日々を頑張る人々が大いに報われる時代の再来を祈念しながら年越しに入る。

今年は最後まで荒天模様、くれぐれも力を蓄えて佳い新年をお迎えください。