三顧の礼 | 松山兎月庵 文化歴史館

松山兎月庵 文化歴史館

野育ちなれど格高し・・・・


今の日本における芸術家は自己顕示欲があまりに強く、作品より自分を売ろうとする者溢れウンザリしていた春先・・

「こちらの古砥部のブログを読んで訪ねさせていただきました。」

ちょうど息子ぐらいの歳の若者が四人・・

古砥部の古典中の古典である「北河毛窯」を再興するために我が庵を訪ねたとのことであった。
もはや砥部の人々さえ記憶から消えつつある「北河毛窯」、古民芸の最たるもので格別派手な主張もないが古の伊予の人々にとっては命を繋いできた器の数々である。





その後さらに二度訪ねてこられ、数時間かけて北河毛窯のノウハウを吸収する若者たち。

人から褒められるもの、売りやすいものを作るのではなく、己の造りたいものを学び、研究をして造る・・
そんな時代遅れで金にならないものに挑もうとする若者を見ていると妙に心が躍る。

過去の名工と呼ばれる作家たちに共通することは貧しても裕しても志を捨てないこと、目指す一朶の雲は果てしなく遠く漠然としたものだが、寄り道をしても必ず向かう雲はそこなのだ。

近々、一般社団法人を立ち上げる予定だが、第一候補の社名は「linkers」(リンカー)[繋ぐ人]・・

先人たちの良いものを謙虚に評価して繋ぎ造れば作家の名は自ずと評価される。名ばかり売れても作品がついてこなければ消える。

「作品は偽らないが人は色んなものに化ける。」

そういう作家たちはむしろ作品こそが自身の本来であるような気がしてならない。

令和元年、時代が変わり、思いがけず様々な若者たちの三顧の礼に力を貰う。


則天去私