おはようございます
心と身体の美容家
カウンセラーの十川千惠美です
以下の記事&画像はお借りしたものです
【 生きることの大切さ 】
ガンダム芸人の若井おさむさん。
彼は幼い頃から日常的に、
兄と母親から相当な虐待を受けていました。
それは彼が20代前半の頃まで
ずっと続きました。
それに耐えかねた若井は自宅を離れ、
小さな居酒屋を始めることにします。
開店費用は父親が出資してくれました。
気の小さい父親だったそうですが、
父親は若井の味方でした。
実は若井がずっと家を出るのを躊躇していたのは、
この父親のことを気にしていたからなのです。
心配ではあった彼ですが、
生家を離れて新しい生活を始めることが出来ました。
そして
「早く離婚して自分のように離れた方がいい」
と父親に強く伝えました。
※
それから数年後のことです。
若井は、父親が兄と母親から
暴力を振るわれているということを耳にします。
案の定、若井が居なくなったことで
虐待する対象がなくなったため、
父親に標的を移したという訳です。
若井はすぐ、一刻も早くあの場から
離れた方が良いと勧めます。
前から言ってはいたのですが、
なかなか決断できない父親に対し
「本当にいい加減に離婚した方がいい」
と強く言ったのです。
それから数日後、
父親が若井の元を訪ねて来て、
ついに「離婚することに決めた」
と報告をします。
安堵した若井ですが、
その日の夜の出来事でした。
その父親が首を吊って亡くなってしまったのです。
彼に報告して来た後、
自ら命を絶ってしまいました。
※
父親の葬儀、親戚などが居る前で、
若井は兄と母親に
「お前らが父さんを殺したんや!!」
と訴えました。
しかし母親方の親族達には
全く取り合ってもらえず、
何も理解されないまま
葬儀はただ終わって行きます。
※
その後の遺産相続のことなどあったのですが、
若井はもう関わりたくもない
と思ったのでしょうか。
自分から父親の財産相続等の全てを
放棄する旨を念書に書き、
母親らに渡します。
相続は自ら放棄した若井だったのですが、
居酒屋の件が残っていました。
ここで追い打ちをかけるように、
あの居酒屋さえも母親方に奪われてしまいます。
あの居酒屋の出資者は父親であったため、
権利は父親名義のままだったのです。
その頃にはかなり繁盛していた
店だったにも関わらず、
若井は全てを失ってしまいました。
若井は途方に暮れて、絶望します。
※
その後、若井おさむは、
東南アジアの方に一人旅を始めます。
リュックの中にはロープを入れて。
彼は最後に、
死に場所を探すための旅に出たのです。
※
約数ヶ月間、放浪した後、
現地で日本人観光客と出会います。
少し話などをして、何となくふと
「今、日本では何が流行ってるんですか」
と聞いたそうです。
すると、
「うーん、そうですねー。
あ、ダウンタウンの松本人志さんが
ドラマに出てますね」
「…え?」
若井は驚きました。
彼は熱心な松本ファンで、
テレビ、ラジオ、本などは
欠かさずチェックしているほど大好きだったのです。
だからこそ、松本が以前から
「ドラマや映画などは絶対にやらない。笑い一本」
ということを知っていたので、
とても信じられない情報でした。
もう死ぬことは決めていたのですが、
そのことが気になった若井は一旦日本へ帰り、
本当かどうかだけ確認しに行くことにしました。
『松本さんがドラマをやるはずがない』
またすぐ戻るつもりで、
取り敢えず松本さんのドラマの件だけは
確かめておこうと、一旦日本に帰国しました。
※
帰国してすぐにテレビを点け、
ドラマが放送する時間を待ちます。
すると『伝説の教師』
というドラマが放送されていました。
あの観光客が言った通り、
松本人志が主演で、
中居正広と一緒にドラマに出ていたのです。
『本当だった!』
と驚く若井はドラマに見入っていたのですが、
この放送が第8話。
奇しくも、
自殺をテーマにした話だったのです。
『自殺は絶対にしてはいけない』
というメッセージを込めた話を
たまたま会った観光客から聞いて、
帰って来てすぐ見た回が偶然、
自殺の回だったのです。
若井おさむはテレビの前で一人号泣し、
自殺を思い留まったそうです。
その後、松本人志に憧れてお笑いの道を志し、
NSC(吉本お笑い養成所)に入り、
芸人になりました。
あなたにとって・・・
今日も幸せに満ちあふれた一日となりますように
お返事はできるだけ早くいたしますが、
難病を抱えておりますので、お待ちいただくこともあります。
ご了承くださいませ。
十川 千惠美
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