沖縄の約束 | 波瀾万丈のカウンセラー カウンセリングル-ム ウェルカム 名古屋

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半世紀以上の私の人生をあからさまに書いた
カウンセラーらしくないブログですが、
波瀾万丈な私の人生が
みなさまの生きるヒントや気づきにれば幸いです♪

 

おはようございます

 

心と身体の美容家

カウンセラーの十川千惠美です赤薔薇

 

 

 

 

 

 

 

注意以下の記事&画像はお借りしたものです注意

 

 

 

 

沖縄の約束

 

 

母から突然の電話。

「沖縄に行かない?」と彼女は言った。

 

当時の私は大学三年生で、

忙しく疲れる就職活動の真っ只中だった。

 

「今は忙しい」と断る私に、

母は困ったように反論してきた。

 

「本当にダメ?」と再度尋ねられ、

「就職が決まったら行く」と私は言った。

 

母の声には、ほのかながらも

残念そうな色合いが感じられた。

 

 

 

その電話の後、

半年も経たないうちに、

母は亡くなった。

 

驚くべきことに、彼女は癌で、

すでに余命が半年しかない

と告知されていたのだ。

 

そして私が心配するだろうと予想し、

その事実を私に知らせないように

との母の意向を、

医者や親戚は尊重していた。

 

 

家族は私を中心に、父、そして母の三人。

 

しかし中学の頃、

父は交通事故でこの世を去り、

母はパートをしながら

私を大学まで進学させるために

尽力してくれた。

 

母の「沖縄に行きたい」という言葉は、

私のために生きてきた彼女の初めての、

そして最後の願いだったのだ。

 

 

 

母の死後、

叔母から私に渡されたものがあった。

 

それは、

小学生の頃の私の絵日記だった。

 

日記をめくると、ある日の思い出が

綴られたページに写真が挟まれていた。

 

「沖縄の海はきらきらしていて、

雲も綺麗で、すごく楽しかった」

との記述があった。

 

 

その記憶を思い出すことができた。

 

 

私はあの時、大きくなったらお金を貯めて

父と母を沖縄に連れて行くと言ったのだ。

 

 

写真の中には、

砂浜で笑顔を向け合う

私たち三人の姿が写っていた。

 

 

あの日の電話を思い出し、

母の願いを叶えることができなかった

自分を深く悔やんだ。

 

 

そして、

彼女にもう感謝の言葉を

伝えることができないと思うと、

涙が溢れて止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたにとって・・・

今日も幸せに満ちあふれた一日となりますようにラブラブ  

 

 

 

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難病を抱えておりますので、お待ちいただくこともあります。  

 

ご了承くださいませ。  

 

 
 

 

 

 

                       十川 千惠美薔薇 
 

 

 

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