この“愛” あなたはどう思いますか? | 波瀾万丈のカウンセラー カウンセリングル-ム ウェルカム 名古屋

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半世紀以上の私の人生をあからさまに書いた
カウンセラーらしくないブログですが、
波瀾万丈な私の人生が
みなさまの生きるヒントや気づきにれば幸いです♪


おはようございます


難病を乗り越え人生を謳歌するカウンセラー

十川 千惠美ですブーケ1







以前、NNNドキュメントで放送していた

晩秋~認知症の彼女と結婚した理由~という番組テレビ


思うところがあって今日まで記事にできませんでした。

が、ようやく今日UPすることに。。。


本日も長くなりますが

最後まで読んでいただけたら幸いです。






新潟出身の二人は知人の紹介で出会った。

芦田さん 34歳・・・

節子さん 32歳・・・


芦田さんは大手コンピューター会社勤務。

節子さんは笑顔の可愛い控えめな女性でOLをしていた。


同郷ということもあり、

二人はたまに会ってお茶をのむ友達付き合いから始まった。


6年後の芦田さん40歳の時、

芦田さんは節子さんを自分の部屋によんで同棲を始めた。


同居を誘われた時、節子さんは38歳。

ですから当然結婚もすると思っていました。


ですが、一緒に生活はしてもいいけど、

結婚をするまでの気持ちにはならなかった芦田さん。

それは心の中で「もう少し背の高い人がいいな」

「もう少し綺麗な人がいいな」と思っていたから。

ルームメイトとして一緒に住むのはいいけど、

結婚するほど好きじゃない。

そもそも結婚にも子どもにも興味なし。

芦田さんはそんな考えだったのです。


そうとは知らない節子さん。

結婚もしたいし子どもも欲しいと願っていました。


そんな節子さんの気持ちに

芦田さんは向き合おうともせず

節子さんは三度ほど怒ったことがありました。


二人の思いはすれ違ったままで

子どもをつくることも入籍することもありませんでした。




同棲から15年・・・

節子さん53歳の時・・・

節子さんにアルツハイマーの兆候があらわれたのです。


病気になる前は銀行で努めていた節子さん。

そろばん1級

簿記2級

生け花の資格までありました。



若年性認知症の診断がでて

初めて節子さんの病気を知った芦田さん。


結婚しなかった相手・・・

そのまま別れる選択もありました。


でも、今まで長い同棲生活だったことと、

最後は面倒をみなくては・・・と考え、

夫婦の方が看護手続きがスムースだということもあり、

婚姻届けを出したのです。

それが芦田さんなりの責任の取り方でした・・・。


病気になって初めて気遣った節子さんの人生。


ちゃんと結婚して、子どもをつくって、子どもを育てて、

その過程での喜びを・・・

そういうことを経験させれなかった後悔・・・

どんなに悔やんでも時計の針を戻すことはできません。

ならば、せめて残りの人生を共に・・・

そう芦田さんは考えたのでした。


でもそれは苦難の連続でした。


今まで、掃除・洗濯・料理など

したこともなかった芦田さんにとっては、

会社に勤めながら、家事や節子さんの介護をするのは

とても大変なことでした。


そして芦田さんは、定年まで後1年というなか

勤続41年働いた会社を辞めました。



2008年11月

新規一転、芦田さんは第二の人生をスタートすべく

介護ヘルパー2級の資格をとり施設でパートで働くことに。


どんどん進む節子さんの認知症・・・

服の前後ろも分らない・・・

前歯がどれかも分らない・・・

階段の段差も分らない・・・


介護のプロになった芦田さん・・・

その芦田さんにもどうにもならなかったことが・・・

それは節子さんの心・・・


2009年9月 入籍から4年

節子さんは昼夜逆転に・・・

そして節子さんは芦田さんに怯えるようになったのです。


節子さんには入籍=結婚したという記憶もありません。

(新しい記憶は覚えられないこともあり)


それどころか、

芦田さんが「怖い・・・」と思いながらも、

「芦田さんにはよくしてもらっているから・・・」と、

関係が壊れるのが怖くて何も言うことができない・・・。


節子さんには結婚(入籍)の記憶がないため、

昔のままの同棲関係と思っていることもあるようでした。



2014年

結婚(入籍)から9年が経った時。


節子さんは、自宅で全身が痙攣して意識不明となり

救急搬送された・・・。


「このままだと死んでしまう・・・」

初めて節子さんの死を意識した芦田さんは

節子さんの存在の大きさに気づきました。


介護する相手がいるからこそ、

食事も作るし 掃除もするし、

そうやって一生懸命やることによって

自分の生活が充実してる・・・

と芦田さん。



節子さんは要介護5に。


自分で食べることも 話すこともできない節子さん。

最後に残ったものは「笑顔」でした・・・。



義務としてはじめた介護・・・

でもそれは節子さんという一人の女性に

正面から向き合うことでもありました。


人生の晩年に芦田さんが見つけたもの・・・

それは「思いやり」でした。

芦田さんは「介助は愛情の表れのひとつ」だと。。。




人生の晩年期に待っていたものは?

「結婚」とはなにか?

「愛」とはなにか?  



この“愛” あなたはどう思いましたか?


















今日も幸せに満ちあふれた一日となりますようにドキドキ


仮認定 特定非営利活動法人

脳脊髄液減少症患者・家族支援会

★関心のある方は覘いてみてくださいね★



最後まで読んでくださり感謝いたします。

あなたの幸福を心よりお祈りしております。

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難病を乗り越え人生を謳歌するカウンセラー

十川 千惠美合格

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