ルイ・ヴィトン、グッチなど、

数々のブランドのプレスを歴任された

齋藤牧里さんが亡くなって数ヶ月が経った。


その日は、あまりにも突然だった。

仲良しのプレスが教えてくれたんだが、

何が起きたのか、どうしたらいいのか、わからなかった。

親父が死んだ時と似ていた。


最後にお会いしたのは約3年前、

牧里さんの誕生日祝いを七鳥目でやった時だった。

それからは、コロナもあって

SNSだけのお付き合いになっていた。

5年くらい前から癌を患っていたそうだ……

飲んだ時もいつも通りの牧里さんだったのにな。

ルイナールをいつも通りに……

違和感などまったくなかった。

甲高い笑い声もいつもの牧里さんだった。


訃報から数日後、知らせてくれたプレスと献杯した。

「絶対に泣かないでよね」と言ったプレスと

寿司屋のカウンターで号泣してしまった。



20代後半だったか、名刺交換したと思う。

平部員だった戸賀が仕事をするような人じゃなかった。

牧里さんは、業界で一番のプレスだった。

牧里さんと向き合う自信がなかったのだ。


33で編集長になって、

やっと向き合って、仕事ができるようになった。

34の時にメニエールを患っていた俺は、

牧里さんと、ジ・オークドアで会食中、

メニエールが悪化、ぶっ倒れてしまった。

1時間半くらい個室で横になったままで動けなかった。

店員さんに「先に食べてもらって帰ってもらうように」

と言っていたのだが、

フラフラでテーブルに戻ると、まだ待っていてくれた。

笑顔で待っていてくれたのだ(涙)

そんな事件が、

それまでよりも向き合えるようにさせてくれた。



MEN'S CLUBに行ってからは、本当の修羅場だった。

付き合いがほぼゼロだったメディアと、

巨星LVとの関係構築は、生半可じゃなかった。

代理店を巻き込んで、

ドラマのようなことが毎月のように起きた。

MEN'S CLUBだけのエクスクルーシブな海外取材、

スペシャルな誌面、特別なイベント!と、

数年かけてそれらを成し得ることができた!

いや、それらはすべて牧里さんのお陰だった。

代理店と作戦を練って、本国承認を取ってくれたのだ。

もちろん、年単位の話だ。

「すべて牧里さん自身がメールされていましたよ」

当時ADKマインドシェアの伊藤ちゃんが

泣きながら教えてくれた。

「僕は牧里さんがいたから

皆さんに伊藤って言ってもらえたんです」

もらい泣きしてしまった戸賀自身も同じ思いだった。


ルイ・ヴィトンが決まると、

業界全体が動くと言っても過言ではなかった。

部員もみな頑張ったが、牧里さんの笑顔の裏で、

本国との交渉、折衝の結果が大きかった。

それからMEN'S CLUBは破竹の勢いで売上を更新、

編集長就任10年で、3倍近い売上を得るまでになった。


コレクションは立ち見からの、フロントローへ。

ヘリに、プライベートジェット、

ファーストクラスに、大型クルーザー。

LVとの蜜月もすべてそれからのことだ。


それらがすべて今の戸賀敬城の原動力になっている。

なかなか経験できることじゃないし、

歴史あるMEN'S CLUBの飛躍こそが、

今の戸賀を支えてくれている。



牧里さんには信念があった。

ブランドのために何ができるか、

どうあるべきか、強いものを感じさせた。

その信念にラグジュアリーとは何か、

そんなことまで教わることになる。

正直、その信念に負けそうになったこともあった。

しかし、牧里さんが裏切るようなことはなかったし、

一度も聞いたことがなかった。

それまでのプレスにはない姿勢と仕事、

今のプレスよりも分厚いものがあった。

牧里さんは、プロフェッショナルだった。



そんな牧里さんも病には勝てなかった……

牧里さんがいなくなってしまったことを

伏せたままにしようと思っていた数ヶ月だった。

とにかく信じられなかった。

俺の中では牧里さんのままだった。

親父が死んでも生きているように、

牧里もどこか遠くで生きているような気がしていた。


今夜の送る会には、欠席しようと思っていた。

しかし、どうしても御礼が言いたかった。

手を合わせれば、御礼は伝わるとも思ったが、

どうしても整理のような、けじめをつけたかった。


「笑顔で送りましょう」

そうだ、牧里さんはいつも笑顔だった。

たまに怒っていたが、俺の前ではいつも笑顔だった。

会場には思っていた写真が飾られていた。

会う人会う人、牧里さんが亡くなったことが

いまだに信じられないと言っていた。

笑顔で送る会だったのに、泣いている人もいた。

本当にいい会だった。


気持ちの整理がついたかもしれない。

有志の皆さん、お声掛けありがとうございました。

お疲れ様でした。



「マクラーレンに乗ってみたい!」

3年前に七鳥目で言っていた牧里さんのために、

偲ぶ会にはFで行って、

会場から一番遠いところに駐めた。

だから、ジンジャエールしか飲めなかった。

帰り道に、牧里さんとよく打ち合わせをした

表参道のONEの横を走った。

懐かしい!俺の牧里さんはいつもここにいる(涙)


牧里さん、本当にありがとうございました。