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辺縁前置胎盤の記録 退院

入院102日目。
出産から5日目。退院した。

新型コロナウイルスの影響で極力短期の入院期間を勧められた。これだけ長期の入院患者にそれを言われてもいまいちピンと来なかったが、赤ちゃんへの感染リスクを減らすためだろう。
何よりも一刻も早く退院して息子に会いたかったので、5日目を選択した。金曜日だったのでキリも都合も良かった。

同室だった妊婦さん達とは戦友の様な気持ちだった。代わる代わる産まれた我が子を抱っこしに来てくれた。
みんな「可愛いー」とか「癒される〜」と言ってくれて嬉しかった。
長い入院生活で少しでも癒しになればとも思うし、みんなの赤ちゃんを私も楽しみに待っている。

相変わらず新生児育児は寝不足だが、娘はたくましいらしく、ちょっとした音では起きない。それどころか、授乳の時間を過ぎても起きない。寝過ごすと体重が減ってしまうので、頑張って起きて授乳した。息子の時はひたすら泣いていたので全く眠れなかったのを思い出す。
お腹に居る時一緒に頑張ったから、強い子になったのかな?とか思いつつ、これから夜泣きの時期が来るのかもとも思い、今のうちに寝ておくのがいいだろう。

退院の日は、同室の妊婦さん達(未来のママ友)と看護師さん達に見送られて、また泣いてしまった。旦那さんが病院のロビーで待っていた。
久しぶりに見る旦那さんはちょっとだけ痩せたように思った。
2か月ぶりに外の風を浴びると、湿気と暑さで、南の方のアジアに旅行にでも来た気持ちになった。
駐車場に止めてある車まで歩くだけでも、しんどい。産後の浮腫と鈍った身体のせいだろう。

やっと息子に会える。会ったらまず抱っこしようと思っていたが、この身体では危険かもしれないと思った。

辺縁前置胎盤の記録 出産

麻酔はスイッチを渡されて、痛いと感じたら押してくださいと言われた。
押して10分ほどすると麻酔が効き始める。
事前に説明を受けていた。
背中の管を入れたときも腰に重いような違和感を感じただけで痛みは全くなかった。ただ頭で考えて想像するとちょっとゾッとする。

目が覚めると朝6時だった。
昨夜の陣痛の痛みは薄れたままだった。
7時なると、看護師さんが「眠れましたか?」と声をかけてくれた。「麻酔も押して居ないし、今ならトイレ歩いて行けますが行きますか?」とのこと。
麻酔を流し始めると歩行出来なくなるので、排尿は管を入れてするらしい。
はじめ緊急搬送された時にそれを経験していて、かなり不快だったので、あまりしたくなかった。
このタイミングでトイレに行ける事に喜びつつ、
パパッと済ませて診察へ。
左右のベッド向かいのベッドに次々に産気づいた人や、分娩予定の妊婦さんが移動してくる。
左隣のベッドの担当の助産師さんが、わたしが入院中散々話を聞いてくれた担当の助産師さんだった。

7時半、診察してもらうと、3.5センチ開いていた。閉じていなくて嬉しかった。
8時から30μg促進剤開始。
子宮収縮薬には、オキシトシン、プロスタグランジンF2α、プロスタグランジンE2の3種類があるらしいが、私はプロスタグランジンF2αだったと思う。

それと同時に、朝食。
無痛の麻酔は飲食後1時間以上あけなくてはいけない。なので痛くなる前に朝食を急ぎ目で食べた。食べた方が力が出るだろうから。
その後、9時に促進剤増やしたり、もう一度痛くなる前にトイレに行ったりしているうちに、どんどん陣痛が強くなっていった。
トイレから戻り一度目のスイッチを押した。
スイッチは15分経たないともう一度押せない。
10時〜11時は麻酔のスイッチを押す間隔よりも、陣痛の進みの方が早くて、かなり痛かった。
例えるなら生理痛MAXをちょっと越えるくらい。病院のベッドの手すりを握りしめるくらいだ。

11時半、診察で5センチ開。
この頃には痛みより麻酔が優っていた。冷や汗や悪寒はあるが、痛みは無い。

左隣隣の妊婦さんはすでに破水しているらしく、8センチ開いているので、分娩室へ行きましょうと話している。私より先に出産するようだ。分娩室に入ってから20分くらい?「おぎゃあ」という泣き声とみんなの歓声が聞こえた。
「おめでとうございます!!!」
無痛のおかげか、それを聞いて感動して泣いてしまった。そのくらい余裕だった。音は鳴らさず拍手をした。

12時半、診察で8センチ開。
時々麻酔のスイッチを押す、1人目の自然分娩を思い出して、麻酔の効き目に驚く。
いきみたい感じが徐々におしりの方に降りてくる。波がある。
助産師さんにそれを伝えると、先ほど左隣の妊婦さんの赤ちゃんを取りあげた担当の助産師さんがわたしの赤ちゃんも取りあげてくれる事になった。たまたまだが安心感があったし、母子手帳に名前が載るからなんだか嬉しい。
13時9.5センチ開。分娩台へ。
分娩台に乗って直後に診察するとすでに全開だった。私を見て先生も看護師さんも助産師さんも「さすが無痛…」とか「無痛すごいなぁ」と言っている。わたしも同じ意見だった。
1人目を産んだ時とあまりにも違う全開まで。
え?これ、いきんで良いの?全開だもんね?いきんで良いよね?陣痛の波でいきみたい感じはあったが、これ麻酔なしだと絶叫するレベルのやつだと思う。少しいきんだらオナラが出て笑ってしまいそうになった。自然ならそんな余裕は全く無い。

先生に「いきんで良いですよ」と言われ、助産師さんが「フーッといきんで、その時お腹をのぞくような感じ、いきんだときは目を開いて息を止めてください。」
その通りにしたら「もう力抜いてください!」と言われた。力を抜くと泣き声が聞こえた。


13時43分 出産
その姿を見た時やっぱり泣いた。



辺縁前置胎盤の記録 無痛分娩

37w3d。入院99日目。

2480gの小さめだけど元気な女の子を出産した。
産声を聞いた時、涙が止まらなかった。

身体は小さいけど、力強くて大きくて可愛い泣き声を聞かせてくれた。ふっくらとしていて、成熟の証である鼻の白いプツプツがたっぷりと付いていた。

初めての無痛分娩で不安もあったが、それを御守り替わりに経膣分娩までの長い入院生活を耐えてきた。

出産を終えて、続いていた出血は早期胎盤剥離が原因だと思われるとのこと。
辺縁前置胎盤と慢性早期胎盤剥離の併発ということ?


無痛分娩前日。
15時内診とバルーンを入れる処置をしてもらった。子宮口はほぼ開いていないがバルーンを入れる隙間はあったようだ。
その日は普通に入浴し、食事をし、歯を磨いて、就寝した。

20時頃から前駆陣痛のような弱い痛みがあり、膣から飛び出るバルーンの一部が気になって眠れたのは23時を過ぎていたと思う。
深夜1時頃、陣痛の痛みで目が覚めると、いつもの出血の感覚がありナースコール。
それまで40分から20分間隔だった陣痛らしき痛みが、そこからいっきに狭まっていく、10分間隔から3分間隔になるまで1時間も掛からなかった。
痛みも強くなるが、まだ生理痛レベルだった。怖かったのは、お腹が張るたびにいつもの出血がある事だった。

助産師さんの判断で、分娩室の隣、待機室に移動する事に。すぐ診察し、3センチほど子宮口開いていた。
経産婦で無痛分娩希望だったので、麻酔科の先生に連絡してくれた。まだ深夜2時前だったと思う。
その後何度か陣痛らしき痛みに耐えている間に、子宮口は4センチになり、バルーンが取れた。
ところが、このバルーンが取れてから、痛みの強さも間隔も徐々に落ち着いていってしまった。
その後、麻酔科の先生から、無痛分娩のための麻酔の管を入れてもらい、麻酔の準備を完了してもらったが、その時はそのまま眠ってしまった。