昨日引用した小谷野敦(こやのあつし)の『夏目漱石を江戸から読む』の中で、なぜ坊っちゃんが江戸っ子らしくないかという例の一つとして、お金の問題を取り上げています。 江戸っ子は「宵越しの金は持たない」と言うように、お金に執着しないものだという俗説があります。しかし、『坊っちゃん』を読んでみると、主人公の坊っちゃんはけっこうお金に細かいんじゃないかと言うのです。

それは、坊っちゃんが清からもらった3円を高架(トイレ)に落としてしまったところから始まります。これが江戸っ子だったら、「厠(かわや)に落とした臭い金なんか使えるか」と、すっぱり諦めてしまうのではないかと思うのですが、坊っちゃんはわざわざ清を呼んで竹の棒で拾ってもらい、井戸端で洗って火鉢で乾かしてもらい、さらにそれを銀貨に引き換えてもらっています。そして、清にいつか返すといいながら結局返していないのです。

当時の3円が今のいくらに当るか断定はできないのですが、物価を比較してみると、明治38年頃の1円はだいたい今の1万円くらいだと考えていいでしょう。そうすると、トイレに落ちたとはいえ、3万円は子供にとって大金ですから、執着するのも当たり前かもしれません。

次に両親がなくなって、遺産分けとして兄から600円もらいます。上の計算でいくと今の600万円相当です。これを坊っちゃんは江戸っ子らしく一晩でパーッと使ってしまうどころか、慎重に「六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出来る」と考えて、自己投資することに決めます。そして物理学校(現在の東京理科大学へ入学します。これは無鉄砲どころか、非常に堅実な生き方ではないでしょうか。

東京理科大

           坊っちゃんは今では東京理科大の広告塔になっている

卒業して月給40円で四国の中学校へ数学教師として赴任した坊っちゃんは、赴任先の校長から教師としての心得を説かれ「生徒の模範になれ」などと言われ、「そんなえらい人が月給四十円で遥々(はるばる)こんな田舎へくるもんか」と心の中で思います。

これだけ読むと、月給40円がいかにも安月給のように聞えますが、当時の給与相場と比べてみてどうなのでしょうか。「コインの散歩道」というサイト(管理人:しらかわただひこ)で『坊っちゃん』に出て来る金銭の現代相場変換をすでにやってくれていますので、それを参考にしながら話を進めていきます。

それによると、学歴や就職先の学校の場所や種類によってかなりの格差があったことがわかります。帝大出身とその他の大学出身では倍くらい差があります。おおまかに計算すると、帝大以外の大学出身教員が地方の学校へ赴任した場合の初任給は、だいたい25円(今の25万円くらい)だったようです。

ということは、物理学校出身の坊っちゃんの月給40円(明治38年)はかなりいい給与だったと言えます。その十年前(明治28年)松山の中学に赴任した作者の夏目漱石は、実はこの倍の80円もらっています(しかも、そのときの校長先生の給与は60円だったそうです)。これは漱石が帝大卒の学士だったからです。登場人物で言うと教頭の赤シャツの学歴と同じです。

漱石の80円の月給がどんなに破格であったかは、後に有名になった他の文化人の月給と比較すれば一目瞭然です。たとえば、漱石の松山赴任の一年後(明治29年)に東北学院教師となった明治学院卒の島崎藤村の月給は25円でした。石川啄木などはさらに悲惨で、中学中退なので渋民尋常高等小学校に代用教員として働いた時(明治39年)の月給はわずか8円でした。今のアニメーターよりも低い給料です。しかも、啄木は妻と母を養わなければならなかったのです。

これほどの差があったことを知ると、

はたらけど はたらけど猶 わが生活( くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る

と詠んだ啄木の気持ちが解るような気がします。

独身の坊っちゃんが40円の月給に不平を言っているのですから、お金にこだわらないとは言えないですね。



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