時は自分の存在とは無関係に、永遠に同じリズムを刻んでいく。
果たして本当だろうか。
僕らは時間の概念を教わって、時間・分・秒という単位を認識する。
現在、1秒はセシウム133という原子の放射周期を基に定義されているらしい。
けれど、お風呂をあがる時や、かくれんぼの鬼になった時に、セシウムの放射周期を意識しながら数を数えることはないと思う。
時間の認知は個人の感覚に寄るところが大きい。
楽しい時間はあっという間だけど、辛い時間は長く感じる。
よく聞く意見だが、この感覚こそ、時間の正体ではないかと僕は思う。
時間は自分という存在とは無関係に流れていくと思う人も多いだろうけど、「時が流れた」と自分が認識しない限り、時が流れたことを確かめる術はない。
時の流れは人の認知と切って切り離せない関係にある。
深い眠りにある間、本当に時が流れているのか、実際のところはわからない。
僕らは朝起きて時計を見て、あるいは明るくなった窓の外を見て、時が流れたことを知るのだ。
僕がカーテンを開けた瞬間に止まっていた時が一気に流れるのだ、と言っても、「バカなこと言って」 と笑うことは、きっと誰もできないはずだ。