神風連慕った三島由紀夫 | たけさんのブログ

たけさんのブログ

「人はなぜ治るのか」不調からの脱却

 自由人

作家、三島由紀夫が自ら結成した民間防衛組織「楯の会」の会員4人と陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に乗り込み、会員の森田必勝と(心中)自決した「三島事件」から45年がたった。三島は最後の長編「豊饒(ほうじょう)の海」の第2巻「奔馬」取材のため、1966年夏に恋人福島次郎のいる熊本を訪れた。


 奔馬は昭和初期に起きた血盟団事件をモチーフに、政財界や華族の腐敗を憤り、仲間とともに剣で国を浄化しようと考えた青年を描いた作品だ。青年は熊本で士族反乱を起こした「神風(しんぷう)連」に傾倒、ラストは三島自身の未来を予言するかのように鮮烈な切腹自決を遂げる。


 神風連は、肥後藩士だった神職らの一団で、明治新政府の急激な欧米化施策を「国本(こくほん)(=国の基礎)を危うくするもの」と憂いていた。ついに明治9年、廃刀令に抗して約170人が挙兵し、熊本鎮台を攻め、軍官要人を襲った。近代火砲の前に一夜にして敗れ、123人が戦死・自決した。


 「明治初期、他の地域でも士族の反乱は起きたが、神風連は神道の信仰心に篤い烈士による戦いであることが大きく異なる。彼らは日本刀や弓、やりなど、日本古来の武器のみで戦った。日本が築き上げてきた伝統や宗教、文化をかけた戦いでもあり、思想に殉じたといえるでしょう」

 神風連資料館常務理事の福島宏氏はこう述べた。


 三島は昭和41年8月27日から31日まで熊本を訪れた。学習院時代の恩師の紹介で、熊本を代表する文化人、荒木精之氏(故人)に会った。荒木氏は文化総合雑誌「日本談義」を主宰し、神風連研究の第一人者でもあった。

 荒木氏の案内を受けて熊本市内に点在する神風連関連遺跡を回ったという。荒木氏へのお礼の手紙の中で三島は「神風連の遺風を慕って訪れた熊本の地は、小生の心の故郷になりました。日本及(およ)び日本人がまだ生きてゐる土地として感じられました」と記した。


 三島が訪れた場所の1つが、神風連の烈士を祀(まつ)った桜山神社だ。熊本大近くに鎮座する神社は、大正2年に桜山祠堂(しどう)として創建された。

 事変直後、賊名をきせられた烈士らも、後に誠忠が認められ、名誉を回復し、同神社や護国神社に祀(まつ)られた。神社拝殿西側には、神風連123士らの墓碑が並ぶ。


 荒木氏は「神風連の変(乱)」から百年の節目に当たる昭和51年、大規模な顕彰事業に取り組み、53年に集大成として境内に財団法人「神風連資料館」を開設した。資料館では神風連に関する重要資料や遺品を公開している。


 館長補佐の笹原恵子氏は数年前の8月27日に起きた出来事が忘れられない。元自衛官の来館者が所望した資料を探そうと、普段入らない社務所へ入り、三島揮毫(きごう)と見られる扁額を発見した。

 真贋(しんがん)、入手経路は不明だが、書かれていたのは「行動」の2文字だった。




                   ◇

 桜山神社・神風連資料館 熊本市中央区黒髪5の7の60。資料館の開館時間は午前10時~午後4時半。休館日は毎週火曜日と年末年始。入場料は大人300円、中・高校生200円、小学生100円。問い合わせは同資料館(電)096・343・5504。