「いい加減やめなさいよ!」
電車の中に女の声が響き渡り、女は僕の手を掴んで上にあげた。
「この人、痴漢です!」
全員の視線が僕のほうに向いているのが分かった。
「勘違いです!僕はただ、この人の尻を15分間ほど揉んでいただけです!」
「つべこべ言うな!トマトは逆から読んでもトマトなんだ!それは私たちがどうこうできる話じゃない」後ろから右のもみあげだけがかかとぐらいまで伸びきった男性がそう言った。
「そうよ!私の尻が丸出しだったからってよくも触ろうと思ったわね!このフランスパン野郎!」女は僕の手を離し、僕の耳たぶを全力でビンタしてそう言った。
すると後ろから、デンマークとサウジアラビアのハーフ風の男性が出てきてこう言った。
「ヒラメトカレイ、ドンダケニトルネン!ワカリニクイワ!」
僕は、大変なことになったと思った。これは俗に言う冤罪ではないか。僕は尻を15分間揉みしだいていただけなのに。尻に敷かれるとは、まさにこのことだなと思った。


電車は次の駅に着いた。と同時に、女が、
「ここで話していてもラチがあかないわ。外に出ましょう」
と言い、僕を無理やり外に連れ出した。デンマークとサウジアラビアのハーフ風の男も一緒について来た。
「あなた、痴漢したわよね?」
女は再びホームで僕に問い詰めた。
「誤解だ。僕は君の尻を揉みしだいただけだ。」
「ラチがあかないわ。喫煙室に行きましょう。話はそこでゆっくり聞かせてもらうわ。」
「やばい」と思った。喫煙室に行ってしまっては負けだ。もう返してもらえなくなる。でもここで逃げては罪を認めたも同然になってしまう。行くしかない。くそ、このまま僕は逮捕されてしまうのか。飼っている3匹の犬と2匹のヤドカリの顔が頭に浮かんだ。彼らは僕の言うことを信じてくれるだろうか。それとも家族にさえも見放されるのだろうか。僕の心は不安に満ち溢れた。


喫煙室に着くと、女による僕の事情聴取が始まった。
「あんた、名前は?」
「エドワード吉久です」
「ウエストはいくつ?」
「76です」
「そう、ならジーンズのサイズは30ぐらいね」
女はそのあと、僕の財布からテレフォンカード、コンドーム、3年前のABCマートのレシートなど、私の情報が分かるものをじっくりと見た。それから、彼女自身についても語り始めた。彼女の名は浦名ヨシ恵といい、歳は54歳だそうだ。好きな食べ物はチーズバーガーで、好きな歌手はback numberらしい。
一通り話すと、急に女の怒りの矛先が私ではなくデンマークとサウジアラビアのハーフ風の男に向かった。
「あんた、さっきから知恵の輪ばっかりしてるんじゃないよ。気にくわないんだよ。そうだ、あんたが犯人だね。ついて来なさい!」
デンマークとサウジアラビアのハーフ風の男、略してデンマは、
「オジャルマルヲロクガシトイテクダサーイ!」
とだけ言い残して、女に連れられて行った。


翌日、ニュースを見ていると昨日のあの駅が映った。どうやらデンマは痴漢容疑で逮捕され、またあの女も尻を出していたため公然わいせつ容疑で逮捕されたようだ。
僕はそれを聞いた瞬間、デンマへの申し訳なさを感じ、無性に味噌汁がすすりたくなった。なんなら味噌汁の味噌抜きでもよかった。そしてそれ以降、僕は鬱になってしまった。それまでしていた囲碁教室の清掃の仕事も辞めてしまった。


仕事に行かなくなってから、本当に家を出る機会が少なくなった。唯一の楽しみと言えば、マラカスを焼肉のタレで炒めることと、テレビの野球中継を見ることぐらいだった。それまでは野球には興味が無かったが、家にばかりいるとつまらないので野球を見始めたところ、ハマってしまった。


ある日、無性に生で野球観戦がしたくなったので、日本くるぶし第2球場にプロ野球の試合を観に行った。球場に着くころは、まだ試合開始の1時間ほど前だった。どうせなので良い席をと思い、バックネット裏の席にした。試合開始10分前になると、スタンドはほぼ満席だった。そして試合開始時刻になった。守備側が守りに着き、攻撃側がバッターボックスに着いた時、前の席の、近鉄バッファローズの帽子を被ったおじさんが、
「プレイボール!!!」
と叫んだ。どうやら、球場では名物のおじさんらしく、周りの人たちの中には、「またか…」と呆れ笑いしてる人もいた。少し変わった人なのか、審判になりきっているのだなと思った。
試合は11回まで続いた末、幕を閉じた。


試合が終わり、外に出るとあたりはとても暗かった。行きと違って少し肌寒かったので、羽織に腕を通した。電車はなんとかあったので、電車に乗り地元へと向かった。電車で向かい側にレオナルド・ディカプリオと鈴木福が座っていたが、あえて話しかけなかった。地元の駅に着くと、歩いて家の方面へと向かった。途中にある公園に人影が見えたので、一瞬そっちに目をやると、カップルがベンチに座っていた。少し見てやろうと思い、木の陰に隠れて覗き見していた。すると、僕の予想通り、2人の唇は重なり、彼氏は彼女のボタンに手をかけ、外し始めた。とうとう行為が始まりそうになった瞬間、砂場の辺りから見覚えのある近鉄バッファローズの帽子が見えた。
「プレイボール!!!」
著者 尾田謙真 「冤罪」より