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自分構築に取り組んでいる皆様

こんにちは😃


第二回目の名古屋座談会。

今回もまた個々がベストなタイミングで

繋がったことを実感できる状態で、


天然石リーディングでは、

本人が思ってもみなかった角度から

石達のアドバイスが来ていたりして 


翻訳した私も、

めちゃくちゃ面白かった😂


集ってくれた皆様

本当にありがとうございました。

名古屋座談会の振り返りは

また後日に。


********************


前回の記事では


なぜ私は

「成功している自分」を

証明し続けたくなるのか。


その背景には、


安心を成果で得ようとする構造が

あるのではないか。


という話を書きました。


今日は、その続きです。


⟡.·*.··············································⟡.·*.


なぜ私は

「他者を見下したくなっていたのか」


昔のわたしは

誰かにマウントを取られると

「なんて嫌な人なんだろう」と感じる

と同時に、私も負けじとマウントを

取り返そうと必死になっていました。


でも、

そういう自分を観察し続けるうちに

どうしてそうなるのか。が

分かってきたんです。


自分の権威を見せつけたいから

誰かを見下したいのではなく、

これもまた「安心したいだけ」

だったんだな。と。


今日は、その記録です。


⟡.·*.··············································⟡.·*.


【私はなぜ上に立ちたいのか】


私は、自分が優越感を感じれば

自信がつくのではないか?と

思っていたことがあります。


これもまた、前回の記事同様に

「安心が欲しい」というだけでした。


「私は大丈夫」

「私は価値がある」

「私は間違っていない」


そう確認して、さらに

そう言ってくれそうな誰かを

周りに置いて安心したかったのです。


ところが、


私は幼い頃から、

何をやってもダメ出しされ続けたり、

何か一つできるようになれば、

次から次へと、まだできてないことを

頑張れ!と急かされた経験が多く


自分自身の価値を自分で感じられない

(見つけられない)状態のままになりました。


できるようにならなければ、

それまでにかかった努力や労力は、

評価されない。そう無意識に

自分自身に刷り込んでしまって、


他者との比較でしか

自分の価値を確認できなくなりました。


すると、他者と比べて自分が上か下か。

勝っているか、負けているか。

そこばかりが気になるようになります。


【比較は不安から生まれる】


本当に安心している人も

他者との比較はします。


でも、

比較した結果で、自分の価値まで

揺らぐことが少ないのです。


比較しなくても

自分の価値は消えない。

と分かっているから。


自分を信頼できる力が

自分の中に育っている場合は

他者と比較する意味がないんです。


ところが、私は

自分の価値が不安定すぎて

自分自身を信頼できなかったので

比較を繰り返し続けました。


・学歴

・年収

・ルッキズム

・スタイル

・フォロワー数

・資格

・売り上げ

・知識量


などなど、

比較する材料は多岐に渡りました。


沢山の「比較」をすることで

「私は、ここ、勝ってるよね?」

と確認しようとしていました。


しかも、上には上がいるので、

そこを見るのはキツイわけです。


すると

自分より下に見える相手を

かき集めるようになります。


だから、

見下しの感情の奥には


優越感よりも、

自分自身の不安が隠れていること

の方が圧倒的に多いんです。


【正しさに執着する理由】


比較が進むと

次は「正しさ」が始まります。


正しい側に立てば

他者の悪口を言っているようには

聞こえませんから、安心できる。


SNSでもこれは良く起こります。


・あの人は間違ってる

・それはレベルが低い

・そんな考え方だからダメなんだ

・私の方が達観している


こうした発信は、自分が正論で

言えば言うほど「攻撃していない」

という免罪符になるから。


他者の揚げ足を取って

「私の方が、正しいですよ」

という確認作業をしていました。


他者を裁くことで

安心しようとしていたんです。


⟡.·*.··············································⟡.·*.


【なぜ、仲間や派閥を作るのか】


正論で他者を裁きはじめると、

私は一人では安心できなくなり

仲間を集めはじめました。


同じ意見

同じ価値観

同じ敵


なるべく、私の正論や理屈と

同じように考えてくれる他者と

徒党を組み始めたのです。

そうすれば、集団の中でも、

安心できたからです。


しかし、


この状態になると、


今度は、

私と意見や価値観の違う人を

排除したくなってきたのです。


なぜなら、

自分の価値観に賛同してくれる他者が

多ければ多いほど説得力がある。

と勘違いしてしまっていたからです。


自分と同じ意見の人が多いほど

安心できると勘違い。


⟡.·*.··············································⟡.·*.


【本当に強い人は比較しない】


私はたくさんの人を観察してきました。

その中で、感じることがあります。


本当に自信がある人ほど

実はマウントを取りません。


本当に実力がある人ほど

人を見下しません。


全ての領域で勝ってるから。とか

そんなことではありません。


自分がどこに自信があって、

どこに自信がないのか。


自信のある部分では他者を手助けし

自信のないところは、他者に

助けてもらえる自分だと


自分のことも他者のことも

信頼できているからです。


比較などしなくても

自分の価値が消えないからです。


⟡.·*.··············································⟡.·*.


【見下しの反対側にあるもの】


人は誰でも比較をします。

誰でも優越感を求めます。

誰でもマウントを取ることがあります。


優越感やマウントは刺激的な感覚で

自分を鼓舞する時のエネルギーにも

なります。


だから、

それ自体が悪い訳ではありません。


ただ、その感情の奥には


傷つきたくない

認められたい

安心したい


そんな人間らしい願いが

隠れていることがほとんどです。


そして、そんな自分の弱さすら

自分の愛おしいエネルギーだと

素直に受け入れられたとき


自分の価値を無理矢理

証明しなくてもいい。


誰かを押しのけて

無理してマウントを取るより


今の自分を自分が認めていこう。

そう、少しでも

思えるようになったとき


比較の世界から少しずつ

自由になります。


比較とは、

勝ち負けを決めるためではなく、


「自分が担当する場所」を

見つけるためにあるんです。


長年、

人間観察から構造を解いていく

実験を繰り返してきて


人は、どうやって

自分の価値を

外側に預けるようになるのか。


そこに、人間の弱さも愛らしさも

両方みえてくる瞬間が

私は好きなんだとおもいます。


安心が

人との比較ではなく

自分の内側にあると

だんだん分かってきたから。


だから、

人を見下したくなったときは

「あの人より上に立ちたい!!」


ではなく、


「私は何に不安を感じてるんだろう」

「あの人より上になったら、

どんな安心が手に入ると思ってる?」


と自分に問いかけてみると

見えてくる景色が変わってくるのです。


自分を振り返るタイミングに来た方は

是非、振り返りチェックをしてみてね。



では、また。


⟡.·*.··············································⟡.·*.



【メモ】

ちょっと気になったので

記録しておきます。


明日6月29日は、東京へ帰ります。

名古屋のとある土地のエネルギーを

見てきましたが、


関西と関東で、

エネルギー的なズレが起こっていて

バランスが悪いな…と感じています。


これは、両極のエネルギーを

繋げたい私が、少し真剣に

取り組む部分だと感じたので


今月、来月は、また

土地との交流を密にしようと

感じています。


地盤から感じるエネルギーも

少しアンバランスですし、


台風通過後で河川の氾濫や

土砂崩れなどが起こっている場所も

多くあるようです。


防災グッズの再点検なども

やってみてね。


私自身はそのように感じましたが、

予言ということではなく

科学的な根拠を示すものではありません。

過度に反応するのではなく、日々の生活の中で

防災に関しても見直してみてね。










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今の私の状態を記録しているものです。

私以外の他者へ向けて、
何かを発信しているのではなく
全て、過去と未来の私自身へ向けて
「今の私」の言葉を紡いでいます。

※本ブログの内容や表現、またマクラメ作品を
作者本人の意図を超えて、解釈・代弁・世界観や
思想の1部として、公に引用する事はお控え下さい。
使用する場合は、1度、私へ確認をお願いします。

また、個人の経験の記録ですので、科学的証明の
出ていない現象なども
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自分構築に取り組んでいる皆様

こんにちは😃


私は、山並みを見るのが好き。

美しいねぇ。

今度、上高地にも行ってみたいなぁ。


さて、

前回の記事では、

なぜ人は安息できなくなるのか。


その背景にある

「成果価値で自分を測る癖」

について記録しました。


これは、幼少期からそう癖付いていた

私自身を振り返る記録であります。


今回は、その続きの記録です。

なぜ人は、
「成功している自分」を
証明し続けたくなるのでしょうか。

なぜ、SNSで実績を見せたくなるのか。

なぜ、評価されると安心して
評価されないと不安になるのか。

今日は、その構造を私の体験と
照らし合わせながら、少し
深掘りしてみようと思います。

⟡.·*.··············································⟡.·*.

私は、成功を証明したくなるのは、
「認められたい」という承認欲求から
起こる感覚なのだろう。と
ずっと思っていました。
※私は「承認欲求」は悪いモノとして見ていません。
私の中にもここまで労力をかけてきた分野は
承認されたい欲求があります。


「成功してる様に見せること」は

周りからの承認を得るには

手っ取り早い証拠だと思っていました。


でも、最近、

少し違うように感じています。


もちろん、私の個人的な感覚なので

全員に当てはまる訳では無いと

思いますが、私と似たような体感が

ある人は、少なくないと思っています。


半世紀を生きてきてみると、

本当に欲しかったのは、

「周りに認められること」では

無かったな。と


- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

私には、価値がある

成果を出しても出さなくても

ここにいていい。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 


その感覚を確認したかったのだな。

私は「安心したかったのだな」

と感じたのです。


私の幼少期を振り返ってみると


・頑張ったから認められた

・成果を出したら認められた

・期待に応えたら愛された


という経験が積み重なって


「安心を得る方法」が

「成果を出したとき」に限定され、

偏り過ぎていたのだな。と


だから、私は自分の挑戦を

自分にとって楽しいものにしたいから

「成功したい」というよりも


他者に“成功”を証明しないと

安心感が得られない。

という偏り過ぎた癖付けが

強くなってしまっていたのです。


⟡.·*.··············································⟡.·*.


【証明ゲームの始まり】


このような思考の癖付けは

私の人生に少々、問題を起こしました。


それは、


成果によって得られる安心(のようなもの)

は、長続きしなかったからです。


例えば、


・資格をとる

・昇進する

・フォロワーが増える

・売上げが上がる

・講座が満席になる


最初は嬉しいし、良しこの調子で

頑張ろう💪とも思うんです


が……


数日経つと、その喜びは

どんどん薄れて行ったのです。


そして、心の奥で

「次は?」が始まります。


なぜなら、


私が本当に欲しかったのは、

「成果ではなく安心」だったから。


成果とは、そのときの動き(行動)の

結果として参考にするもの。


つまりは、自分の未来への投資を

精査するための資料というだけなのに、


このときの私は、

成果から安心を得ようとしていたため


ほら!私、これだけ結果出したよ!

だから、認めて!安心させて欲しい!

という「証明書」として使ってしまい、


次の成果、さらにその次の成果を

追いかけ続けることになりました。


これは、自分が思ってる以上に

“執着”という沼に沈むんです。


これが【証明ゲーム】です。


終わりがありません。

ゴールがないんです。


⟡.·*.··············································⟡.·*.


【SNSが苦しくなる理由】


SNSはこの心理的な構造を

非常に強く刺激します。


・誰かの実績がみえる

・誰かの成功がみえる

・誰かの幸せがみえる


すると、無意識に

「わたしはどうだろう?」

という比較が始まります。


本当は比較したい訳じゃないんです。

安心したいだけ。でも、当時の私は

安心の材料を「成果」にしているため


他人の成果が

自分の価値を脅かしているように

見えてしまっていました。


他人(ひと)の幸せは

自分の不幸みたいに見えてしまう。


だから


・発信をやめるのも不安

・投稿が伸びないのも不安

・反応が少ないのも不安


本当は、成果が欲しいのではなく

安心が欲しいだけなのに、


安心を“成果”から得ようとしているため

終わらない比較が始まってしまうのです。


そんな状態に陥っていた期間が

とても長くありました。


私の20代の頃は、SNSが今ほど

生活インフラになっていませんでしたが


それでも、チャットや口コミの威力は

当時でも、すごい威力がありました。


⟡.·*.··············································⟡.·*.


【安息を取り戻す方法】


では、

本来、欲しかった安息を得るには

どうすればいいのでしょうか?


それは、

成果を捨てることではありません。

成果を目指さないことでもありません。


大切なのは

【成果】と【価値】を

切り離せるようになることです。


・成果が出ても価値はある。

・成果が出なくても価値はある。

・役立っても価値はある。

・役立たなくても価値はある。

・頑張っても価値はある。

・休んでいても価値はある。


この感覚を少しずつ

身体に覚えさせていくことです。


だって、人は本来、

何かを証明しなくても

存在していいから。


「成果なんか、出さなくても良い」

という乱暴な意味ではありません。


成果以外の価値を受け取る感覚が

育っていないだけだから、

そこを育ててみようという提案です。


このトレーニングは

私のように半世紀も成果主義として

癖付けした人は、慣れるまでに

時間がかかるので😂


新しい価値観として何度も

繰り返し上書きしていかないと

なかなかアップデートできないため

焦りは禁物です。


⟡.·*.··············································⟡.·*.


【私は何を追いかけているのか】


私は、ここまで、

成功を追いかけているようで

本当は“安心”を追いかけていました。


・お金も

・実績も

・評価も

・影響力も


全部、その先にある

「私は大丈夫、存在してていい」

を手に入れたかった。


でも、最近気づいたのは


その“安心”の種は、

最初から私の中にあった!

ということ。


皮肉なことに「成果」を

証明し続けてきた人生を経験して

「証明しなくても、すでにあった」

ことに気づいた🤣


あー。人間ってそんなもんです。

「必死過ぎて可愛いかよ!」ってことね。


そこに気づいたのがコロナの頃。


そこまで続けて来た成果が世界規模で

全て停止したときだったんです。


ほんと、つい最近🤣🤣🤣


成功は、

自分の価値を証明するための道具ではなく

純粋に自分の挑戦を楽しむための道標

みたいなもの。


ようやく「成果を出すこと」は、

楽しむための挑戦の記録の一種なんだ。

という認識に変わっていきました。


そしたら、

「安心」という感覚は、いつでも、

自分の内側に見つけられるもので


その構造を使えるようになった今は

「成果」に囚われることが

激減したんです。


面白いことに、執着が外れると

成果が向こうから歩いてくるの🤣


しかも、自分だけの成果…ではなく

私から繋がる仲間たちのあちこちで

成果が生まれ出す。


若者たちの成果がメキメキ見えて来て

3年単位でのスポンサー契約に繋がったり

量より質の繋がりになってきて、


そして、これらの成果が起きなくても

今の自分の価値は揺らがないことも

すごく体感できるようになりました🥰


わたしは今、

何を証明しようとしているのか。


そして、

その証明の先に期待している

本当に欲しいものは何なのか。


そこを丁寧に見つめていくと


人生の景色が

少しずつ変わっていくかも知れません。


⟡.·*.··············································⟡.·*.


わたしのように、


安心を得る手法が

「成功や成果」だった人は


実はもう1つ、

引っかかるポイントが出てきます。


それは、

「相手を見下したくなる気持ち」

つまり、マウントポジションを

取りたくなる状態になるんです。


ここも、観察していくと

非常に面白いエネルギー構造が

見えてきます。


次回は

「なぜ私は、

 相手を見下したくなっていたのか」

という心理構造を記録しようと思います。



続きはコチラ










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過去と未来の私自身へ向けて
今の私の状態を記録しているものです。

私以外の他者へ向けて、
何かを発信しているのではなく
全て、過去と未来の私自身へ向けて
「今の私」の言葉を紡いでいます。

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作者本人の意図を超えて、解釈・代弁・世界観や
思想の1部として、公に引用する事はお控え下さい。
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また、個人の経験の記録ですので、科学的証明の
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自分構築に取り組んでいる皆様

こんにちは😃


名古屋で単身赴任中の夫と

電話での会話が増えて、


離れてみないと、気づけなかった

夫の心の内側や、あーそれって、

こういう種類の優しさだったのかー♩

という新たな発見が多くあって、

新鮮な感動を覚えています。


単身赴任って、こんな効果があるのね!

とビックリ(いや、多分違うw)

あ。はい。ノロケですよ。


⟡.·*.··············································⟡.·*.


さて。ここから本題です。


先日、ある大学のゼミに呼ばれて

学生たちと座談会をしてきました。


その場には“一人っ子”の学生さんが

4人いたんです。


私は普段から、人がどんな役割や

価値観の中で育ってきたのかを観察

することが好きなのですが、


今回、

複数の一人っ子育ちの学生さんたちと

じっくり関わる中で、ある共通点に

気づきました。


それは、

「一人っ子は、わがまま」


という昔からのイメージとは

少し違う姿でした。


むしろ


親の期待や不安を敏感に感じ取り

「親の空気を読む達人」になってる子が、

多いのかも知れない。


そして、その構造を辿っていくと

「自分で決められない大人」が

どのように生まれるのか。も

見えてきました。


もちろん、

一人っ子だから全員がそうなる

という話ではありません。


家庭環境も親子関係も本当に様々です。


ただ、親の関心や期待が、

一点に集まりやすい環境だからこそ、


きょうだいがいる家庭とは、

また違う形で、親子の影響が

濃く出る場合があるのではないか?


そう感じたのです。


そして、その様子を見ているうちに

気づいたことがあります。


これは、

一人っ子だけの話ではない。


長女でも、長男でも、

親の期待を強く受けながら育った人なら

誰にでも起こり得る話だな。と


今日は、その気づきの記録です。


【第一章】

一人っ子は、なぜ誤解されるのか。


私の世代は、そもそも、

一人っ子が珍しい時代でした。


そのため、

「一人っ子は、わがまま」

というイメージが当たり前のように

存在していました。


正直に言うと、

3人きょうだいの長女だった私自身も

どこかで、そんな先入観を

持っていた気がします。


でも、今回、

複数の一人っ子育ちの学生さんをみていて

そのイメージは、かなり変わりました。


なぜなら、わがままどころか、

「相手に合わせる力」が

非常に高かったからです。


相手の期待を察する。

空気を読む。

求められている役割を演じる。


そんな能力が高い子が

多いように感じました。


もちろん、全員ではありません。


でも、

「親の期待が一点集中する」

という環境は、


子供に独特な影響を

与えるのかも知れない。


そう、感じたのです。


つまり、一人っ子でも、兄弟がいても

その子、その子に何か集中的に

どんな役割を期待するか。


という親側の関わり方の匙加減で

子供の役割が固定されていくんだな。

と感じたわけです。


・お姉ちゃんなんだから

・お兄ちゃんを見習って

・あなたはまだ小さいんだから


などなどね。


だから、親がダメだとか。そういう話では

ありませんので。構造として、そうなってるな。

という仕組みのことね。


一人っ子は…と観察してみた結果、

えー!一人っ子…とかいうくくり

では、収まりきらない構造だったのか!

という驚きがありました(笑)


【第2章】

親の期待が作る役割


親は子供を愛しています。

だからこそ、


失敗しないように守りたい。

困らないように助けたい。

苦労させたくない。


そう思います。


例えば、


・何でも先回りして助ける

・本人が困る前に手を出す

・失敗しないように守る

・常に正解を教える


こうした行動は、親からすると

「大切だから」こその愛情です。


ところが、子供側は、


・「私一人では、危ないんだ」

・「私は自分で決めてはダメなんだ」


というメッセージとして

受け取ることがあります。


また、


・「いい子だね」

・「頑張ってるね」

・「偉いね」


という言葉も

一見、すごく良い声かけに見えますが


でも、その言葉が

何に対して向けられているか。

で、意味が変わってきます。


その子の“存在そのもの”に対してなのか。

それとも“出した成果”に対してなのか。


もし、


・勉強ができたときだけ

・親を喜ばせたときだけ

・場の空気読んでお利口にしたときだけ

・親の期待に応えたときだけ


そんなタイミングで褒められることが

多かった場合、


子供は「頑張る私には価値がある」

と学習していきます。


すると、

「役に立つ良い子でいれば愛される」

という感覚が強くなって


「役に立つ私」が

自分の役割になっていくのです。


【第3章】

奪われる「自分で決める筋力」


私は最近、自己肯定感よりも、

「自分で決める筋力」という言葉の方が

しっくり来るようになりました。


なぜなら、

生きづらさを抱えている人の多くが


自分を嫌っているというより、

自分で決める経験が少なかったから

決められない自分に嫌悪する。

というパターンになっていると

わかったからです。


・何を食べたいのか

・どんな服を着たいのか

・誰と付き合いたいのか

・どこに行きたいのか


小さな決定を積み重ねることで

「私はこうしたい」

という感覚は育っていきます。


しかし、

自分の希望を出すたびに


・説得される

・修正される

・否定される

・悲観的な感情を出される


そんな経験が続くと

人は次第に

「自分で決めるのをやめよう」

となります。


この感覚を無意識に持ったまま

大人になると、実家に帰ったり、

親を旅行に連れて行ったりしたとき、

不思議な葛藤が生まれます。


「親孝行できて嬉しい」という気持ちの反面

「自分の大事な時間が削られた」

「親の手前、頑張り過ぎて疲れた」

という気持ちが強くなることが多いのです。


これは、「親のため」と「自分のため」が

ずっと天秤に乗ってる状態です。


幼少期から、他者(親)を意識する癖が

強くなり過ぎて、自分のための行動や

決断がいつも後回しになっている。


親の【愛情】と【期待】つまり、

「大切にされた」と「期待された」が

ごちゃ混ぜになって、身動きが

取れないエネルギー状態なのです。


自分の欲求を常に抑えて

親の期待を優先し続けると、

心のエネルギーの出口が

失われます。


その結果、長年蓄積した不満が

爆発する形で現れたり、逆に

何かへ強烈に依存をする形で

現れたりすることがあります。


こういう時の優先順位は


1.親の意見

2.周囲の意見

3.先生の意見

4.世間の意見

5.好きな人の意見

6.自分の意見


になってしまっています。


すると、

「今日何食べたい?」

という質問ですら、

困るようになります。


「え?いい大人なのに

自分の好きなものも言えないの?」と

不思議に思う人もいるかも知れませんが


「私はどうしたい?」

「どんな欲求がある?」を決める筋力が

育っていなかった人にとっては、


大人になってからそこを修正するのは、

めちゃくちゃ大変なことなのです。


我慢している自覚もない。

でも、自分の感覚も分からない。

私って何が好きなんでしょうか?…


そんな状態になってしまうのです。


【第四章】

なぜ安息できなくなるのか


このような状態で大人になると

不思議な現象が起きます。


何もしていないと落ち着かない。

成果を出していないと不安。

役に立ってないと苦しい。

休んでいても休まらない。


なぜなら


存在価値よりも成果価値で

自分を測る癖がついているからです。


「私はこのままで価値がある」

ではなく、

「何かを成し遂げた私には価値がある」

になっている。


だから、安息できない。

だから、頑張り続けてしまう。

だから、疲れていても止まれない。

だから、見栄を張りたくなる


そして、限界が来ると

爆発するか、何かに依存するか、

心や身体が動かなくなるか。


どこかで

帳尻を合わせようとする

出来事が起こるのです。


知識よりも先に必要なもの


今年、若者たちと関わる中で、


私は考え方を変えました。

知識を与えることよりも、

本人の感覚を翻訳すること。


「その感覚で大丈夫だよ」と

伴走しながら、伝えること


なぜなら、

今の若い世代には、知識よりも、

「自分の感覚を感じられない」

という問題の方が多いと感じたから。


だから、私は


答えを教えるよりも

感覚を回復する伴走者でいたいと

思っています。


あなたは、

本当は何を感じているのでしょうか?

本当は何を望んでいるのでしょうか?


そして、


なぜ、安息できないのでしょうか?


そこを見つめていくと

「成果を出さなければ価値がない」

という古い思い込みが

隠れているかもしれません。


なぜ人は、

「成功している自分」を

証明し続けたくなるのか。


なぜ、SNSで実績や成果を

見せ続けないと不安になるのか。


私たちは、本当に

成果がないと価値がないのでしょうか。


それとも、

そう、信じ込まされてきただけ

なのでしょうか。


次回は、

なぜ人は安息を失い、

「成功している自分」を

証明し続けたくなるのか。


その構造について

解説してみようと思います。


続きはコチラ




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作品と活動と私の取説

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私のこのブログは、
過去と未来の私自身へ向けて
今の私の状態を記録しているものです。

私以外の他者へ向けて、
何かを発信しているのではなく
全て、過去と未来の私自身へ向けて
「今の私」の言葉を紡いでいます。

※本ブログの内容や表現、またマクラメ作品を
作者本人の意図を超えて、解釈・代弁・世界観や
思想の1部として、公に引用する事はお控え下さい。
使用する場合は、1度、私へ確認をお願いします。

また、個人の経験の記録ですので、科学的証明の
出ていない現象なども
多く記録しています、
内容の無断使用、商業利用はおやめください。

*:.*.:*:。∞︎。:*:.*.:*:。∞︎。:*:.*.:* 


自分構築に取り組んでいる皆様

こんにちは😃


昨日、継続セッションを受けている

学生のクライアントさんから


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

ネットを見ていたら

【夏至の時にやってはいけないこと】

【夏至の時にやったほうがいいこと】

という投稿が流れてきました!

操さんはどう感じますか?

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

という質問がきました。


内容は↓↓↓

【夏至の時にやってはいけないこと】

★情報や知識を詰め込む

   (この日は入れるより抜く方がいい)

★大きな決断を急いでする

   (火が極まって燃えすぎる日)

★衝動買いをする

   (要らないものまで欲しくなる)

★夜遅くまでダラダラと起きてる

   (早めに体を休ませて整える)

★予定をたくさん入れる

   (動き過ぎると軽くならない)



いや…これ…



別に、夏至じゃなくても

普段から注意した方がいい事

じゃない?(笑)



【夏至の日にやった方がいいこと】

★朝日を浴びる

★やりたいことを紙に書く

★感謝をする

★自然の中で過ごす

★部屋を片付ける

★スマホを見る時間を減らす

★自分の未来を具体的に想像する

★人を応援する

★すぐ行動する



いや…だから…これもさ(笑)

夏至とか関係なく、普段から

気をつけた方がいいこと…

のような気がするんだけどな😅


まぁ。

「何かしらの意味づけ(ストーリー化)を

すれば、その気になるから動ける」


というプラセボ効果はありそうだから

そういう意味では活用できそう

ではあるけれど…😅


なんでも、今日の夏至は

「60年に1度の凄い夏至」だそうで。


そのネットの投稿には

「こんな凄い日にやれば一発逆転!

最強の引き寄せ日!」とか書かれて

いたそうですが。


でもね。

「良いことが起こる!」と盲目的に信じて

この日に乗っかろうとしているなら…


そもそも

「60年に一度のラッキーデー!」にしか

動けない自分なんだ。と無意識に

自分に刷り込むことになるので、


この先、もっと動けなくなりそうだぞ。

と思うわけです。


一発逆転って、

そこまで継続してきた“何か”が

ある人にしか起きない。


だって、何の実績もないなら、

どの基準からのどんな逆転なんだ??

ってことになりませんか?


外側の特別な日や

スピリチュアルなイベントに依存して

一発逆転を狙うのをやめる。


毎年、毎年、夏至だ!冬至だ!

ライオンズゲートだ!ってやってくる度

アワアワするつもり?


それよりも、自分が日々積み重ねてきた

日常の現実や自分の内側にある感覚を

信じて健全に等身大で生きていく。


その日々の積み重ねに

意識を向けている人なら

夏至や冬至は意味があるとおもうよ。

と伝えたら


.....∑ヾ(;゚□゚)ノギャアアーー!!

ヤバい!一発逆転狙ってました。

でも、何をどう一発逆転??

って言われたら…


😂思い浮かばない。

宝くじ◯億円とか?


あーそれじゃ棚ぼた狙ってるだけだから

自分のエネルギーが拡大するわけじゃ

ないのが、今わかりました。


ってなってました。


いや、良いのよ。棚ぼた狙っても。

でも、棚ぼたをさ、ずーーーーっと

狙ってる間に、自分のエネルギーも

拡大させた方が良くない?

って伝えたいだけ😆




実はこれ、

私がいつもお伝えしている

「天然石との付き合い方」の本質と

全く同じなんです。


✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼


さて。一体、その本質とは。


ここからは、現実をガッツリ生きて

ご自身の土台を積み重ねている方々のお話。


先日、

名古屋座談会の募集を締め切りました。

ご参加下さる皆様、お会いできるのを

楽しみにしています。


名古屋座談会は3名の方のご参加なので

個々のセッションも充分に時間が

取れそうなので今から楽しみです。


そして、驚いたのは昨日、座談会ではなく

4名でのグループセッションのお申し込みが

入ったこと😳


座談会の日は、その後の予定もあるので

セッションは翌日になりますが、


昨日のブログを読んで、

パワーストーンを扱っている方々から


「自身の視野の拡大のために

意見を伺えたら…」という内容で


個人セッション料金で4人分を支払うので

知り合いの方4名でのグループセッション

をお願いしたい。というお申込みでした。


あー。やっぱり、

私と同じように、石と共に歩む。

というフィールドに行きたい方々も

多く居るんだな。と嬉しくなりました。


4名とも、大きな規模で天然石の

販売等に携わっている方々で、


ここまでの販売実績も

顧客実績も、かなりしっかりと

ある方々で、専属の研磨師さん

などもいらっしゃる方々でした。


私のエネルギーフィールドを

参考にしてもらえることに

心から感謝しています。


それにしても、ここ最近、

天然石との交流において

パワーストーンというくくりだけでなく

パワーストーンを癒す人たちも

多くなって来て、歓喜しています💕



私の作品を持っている方々からの

アウトプットも少しご紹介しますね

操さん!
我が家の天然石たちに
私もエネルギーをあげてるのか!
と思うようになってから

すごく素直に
「今日は疲れてるから助けてー」とか
「今日はメンテナンスしてあげるね」
とか、本当に対等な心友のように
接することができている自分が
とても好きになっています。



パワーストーンが疲れてる気がする。
と操さんに伝えたとき

「だったら、◯◯さんが元気づけてあげて」
といわれて、
「え?!私にはそんな力は無い…」
とお伝えしたら、

「ん?3人も子育てしてるのに?
ここまで育てて来たその過程が
◯◯さんのエネルギーでしょ?

ママありがとう!って1回も言われた
ことない?1回くらいあるでしょ?」

と言われてハッ!としました。
子供たちから、ママありがとう!
って言われてること沢山あった。

なのに、できてないとこばっかり
みて落ち込んで、天然石に癒して
もらおうとしてました。

子供たちとの交流みたいに
天然石とも交流します。
プンプンしたり沈んだりしてたら
子供たちも神妙に空気読むから。
天然石もそうだったかもなと。

私は可愛い天然石が好き
眺めてて癒される
キャ─(*ᵒ̴̶̷͈᷄ᗨᵒ̴̶̷͈᷅)─♡可愛い!!

この感覚が天然石にとっての
癒し(パワー注入)ですよ。と言われて
子供との関わり方にも通じるんだ。
とハッキリ分かりました。



​前に違う方から購入した天然石が
だいぶ前から、色がくすんで来てる
気がしてるんですが、
そろそろ手放した方が良いですか?

と操さんに相談したとき
「くすんだと感じてるのは誰?」
と聞かれて
「私です」と答えたら

うん。そうですよね?
くすんでる。と感じたあなたは
その“すくみ”を綺麗にしてあげること
をやらずに、だいぶ前から、
そのままにしてるってことだよね?

物理的にクリーニングや
メンテナンスをしても良いよね?

エネルギー的な“くすみ”に
みえるのなら、それを見てる自分を
メンテナンスした方が良いよね?

と、現実と思想に分けて解説して
もらって、めちゃくちゃ分かりやすかった

変に悪霊が!とか負のエネルギーが!
とかに思考が持って行かれそうに
なってたのをめちゃくちゃ反省しました。

本当にありがとうございます!



これ、有名なヒーラーさんから
購入したヒマラヤ水晶なんですけど…
と話した段階で

ん?水晶が好きで買ったんじゃなくて
「有名なヒーラーさんから買った」
が重要なのかな?

と聞かれた時、
あれ?私、なんでコレ買ったんだっけ?
となりビックリ。

天然石そのものが可愛い。好き!
だから欲しい。ではなかったんです。

効能…みたいなのがあれば
一石二鳥だし…天然石そのもの
ではなく「有名なヒーラー」さんとの
「接点」として購入してました。

そのヒーラーさんから
認めてもらうための購入…に
なってました。

操さんから「フックかけられてる
そのヒーラーさんも大変だね」
と軽快に諭してもらったおかげで

それに気づかせてもらってから、
そうやって購入してきた
天然石たちを並べてみたら

その子、そのものではなくて
その子の市場価値(希少性)や
有名なヒーラーさんとの繋がりという
特別感や目に見えない効能といった

「見返り」の部分だけが欲しくて
買っていたのだと分かりました。

私は自分がいつも都合よく使われて
損な役回りばかり負わされると
感じていて、そんな風に
扱われることが嫌で仕方なかったのに

私も無意識に同じことをやってました。

あれから、3年経ちましたが、
今では、本当に好きな石や可愛い!
と感じた作品たちに囲まれて、

みんなで、和気あいあいと
日々の生活に彩りのある形で
相互交流できるようになりました。

他者との交流も、対等な交流に変わり
有名なヒーラーさんから来た水晶も
今では、私のやらかしを知る旧友
のような関係になっています。

パワーストーンの再定義
本当にすごいです。
ありがとうございます

そして、これからも
よろしくお願いします😊


私は「パワーストーン」という扱い方も

必要な時期があるため、悪い扱いだとは

全く思っていません。


ただ、

そこから抜け出せなくなることが

天然石にとっても、持ち主様にとっても

あまり良い相乗効果にはならない。


だからこそ、時期が来たら、少しずつ

お互いに「親離れ・子離れ」して、

それぞれの世界を確立して欲しい。

と思っています。


「〇〇年に一度のラッキーデー」とか

「有名な誰それのパワー」という

外側のストーリーに

自分を明け渡すのではなく


自分がこれまで生きてきた現実や実績

自分の「可愛い!」「大好き!」という

ピュアな感覚を信頼して、


石とも、暦とも、人とも

対等に、心地良く循環していく


そんな風に、自分の足で立って、

世界を楽しみたい方々と、

名古屋でお会いできるのを

心から楽しみにしています。


もし、暦や占星術、風水などに

振り回されてしまいそうになっている時は

「ラッキーデーにしか動けないなんて…

おかしいわね🤔私はそんなに弱くないわ」

と唱えてみてね(笑)



今日は、

いつものようにマクラメを編んで

推し活(BEAVERの音楽鑑賞)に

勤しみたいと思います。


















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天然石との交流の仕方(操流)は

コチラ


私は共感覚という特性があり、
石達からエネルギーの線が出ている様に
見えたり、言葉を話しているように
聞こえたり、音に色や形、味がしたり
現代医学では、幻聴・幻覚と言われる
症状があります。

そのような現象をポジティブに捉え
マクラメデザインとして作品に
しております。

超能力者や霊能力者と間違われますが
私が扱うのは、音や振動、動植物の
トーラスなどのエネルギーそのものです。

背後霊や守護霊は見えませんし
霊視などのスピリチュアル領域は
担当していません。リアリストです😆
スピリチュアルな領域を否定しているのではなく、
その様な能力のある方は存在すると思っています。
ただ、私は想念や霊体などを視る担当ではないので
ここが、ごちゃ混ぜにならない様にしています。


*:.*.:*:。∞︎。:*:.*.:*:。∞︎。:*:.*.:* 


自分構築に取り組んでいる皆様

こんにちは😃


今年に入ってから

たくさんの学生さんたちと

交流する機会に恵まれています。


その中で感じているのは、

私たちの世代には

当たり前だったことが


若い世代には、

全く当たり前ではなかったりする。


逆に、若い世代にとって自然なことが

私たちには新鮮に映ったりもする。


世代が違うからこそ、見える景色があり

お互いの視点を交換することで、

新しい可能性が生まれるということです。


私は1974年生まれです。


私たちの世代は、のちに

「就職氷河期世代」と呼ばれる時代を

生きてきました。


もちろん、

全員が同じ経験をした訳ではありません。


それでも

「真面目に頑張れば報われる」と信じて

努力してきたのに、なかなか成果に

結びつかない現実を経験した人が

多かった世代だと思います。


上の世代から求められる役割と

下の世代との価値観の違い。


その狭間で踏ん張り続けて来た人も

多かったのではないでしょうか?


当時は我慢している自覚すら、

なかったかも知れません。


「今は大変でも、いつか報われる」


そんな気持ちで前を向きながら

日々を積み重ねてきた人も

多かったと思います。


辛かった。

苦しかった。

悔しかった。


本当はそう感じていたのに


「みんな、頑張っているんだから」


「これくらい普通だから」


「いつかは報われるから」


そうやって、

自分を励ましながら

前に進んできた。


だからこそ、

今の自分がどんな状態であったとしても

ここまで人生を繋いできた自分自身を

認めてあげて欲しいのです。


悔しかったこともあった。


理不尽だと感じたこともあった。


「なんで、こんなに頑張っているのに」と

おもったこともあった。


そういう気持ちを

無理に否定する必要はありません。


それだけ、

真剣に生きてきた証だからです。


本当に、良く頑張ったと思う。


私は天然石を扱う仕事をしていますが、

長年、お客様と関わる中で、

感じていることがあります。


それは、

天然石が好きな人たちの中には

とても真面目で責任感が強い人が

多いということ。


誰かに迷惑をかけるくらいなら

自分が我慢する。


誰かに弱音を吐くくらいなら

自分で何とかしようとする。


そんな人たちです。


だから、私は時々思うんです。


もしかしたら、

石に惹かれる理由のひとつは

「安心して想いを預けられる存在」

だからではないかと。


人には言えない願い。


人には見せられない不安。


人には話せない苦しさ。


そういうものを石にそっと預ける。


石は否定しません。

説教もしません。

ただ、静かにそこに在る。


誰にも頼れなかった世代だからこそ

石に想いを託した。


誰にも弱音を吐けなかった世代だからこそ

石が話し相手になった。


誰にも認めてもらえなかった世代だからこそ

石だけは静かにそこに居てくれた。


だから、

救われた人も少なくないと思うんです。


でも私は、

これまで石たちから聞いてきた

言葉のエネルギーに触れてみて、


もうひとつの見方もできる!と

思っています。


多くの人は、

「石からパワーをもらっている」

と思っています。


もちろん、それもあるでしょう。


でも、私は、

「人が石にパワーを与えている」

という側面もあると思うんです。


願いを込める。


祈りを込める。


覚悟を込める。


希望を込める。


その瞬間、人は自分のエネルギーを

石に映し出しています。


長年我慢しながら生き抜いてきた人たちは

石から力をもらうだけでなく、


石に自分の願いや祈りや覚悟を込める力も

同時に持っています。


石が魔法をおこしているというよりも

石を通して自分自身の力を引き出している。


そんな風に感じることがあります。


だから私は、

天然石とは単なるお守りや

パワーストーンではなく、


自分の内側にある力を映し出す

鏡のような存在だと思っています。


そして、ここからが

面白いところなんです。


学生さんたちと話していると、

若い世代には若い世代の素晴らしさ

があります。


柔軟さ。

行動力。

情報を扱う速さ。

変化への適応力。


私たちの世代にはなかった強みを

たくさん持っています。


一方で、

私たちの世代には長い年月をかけて

培ってきた経験や粘り強さがあります。


何度転んでも立ち上がる力。

すぐに結果が出なくても続ける力。

人との関係を大切にする力。


私たちは、

自分では当たり前だと思っているけど、

その力は決して、当たり前ではありません。


そしてそれは、古い価値観ではなく、

これからの時代にも、必要とされる力です。


だから私は、

世代同士が対立するのではなく

若い世代から学びながら、

自分たちの経験も次の世代へ手渡す。


お互いの良さを持ち寄れる関係性が

増えたらいいなと思っています。


これは、石との関係とも似ていて

石から力をもらうだけではなく、

自分の中に眠る力を思い出すこと。


そして、

その力を誰かの未来へ繋いでいくこと。


そんな循環が、

これからの時代には、ますます

大切になるのかも知れません。


私たちがここまで生き抜いてきた時間は

決して無駄ではありません。


その人生そのものが、

次の世代へ渡せる大切な財産

なのだと感じています。


だから、

そろそろ、パワーストーンに

エネルギーを与えるフィールドで


次の世代の石たちとも

意思疎通しやすい接点が持てるように


石へ託した願いや祈りこそが

自分をここまで運んできた

エネルギーだったという側面も

あなたのフィールドに

書き加えて欲しいのです。


私が扱うフィールドは、

そういう観点からも、

パワーストーンの再定義を

オススメしています。



天然石をとおして

自分の在り方を観測する座談会は、

本日21:00で締切となります。



あなたのお越しをお待ちしております。



名古屋 座談会