(駄)老後資金200万円で乗り切る方法 ① | 60歳からの移り変わり

60歳からの移り変わり

世間で言う”老後生活”の入り口に立ちました。これからいろいろ変化していく衣食住&お金について綴っていこうと思います。
アメンバーは、ブログを開設されている方とさせてもらいます。
また東海地方の方は身元が不明な方はご遠慮願います。(身バレ防止のため)

(駄)です。(駄)ですからね(;^_^A

先に謝っておきます。すみません。。。。<(_ _)>

 

お国の”老後資金は2000万円”発言。

いまだに尾を引いていますね。

でも、実際に2000万円必要か???人それぞれですから、国民全員に必要とは限りません

そんな中、実際に貯金200万円ほどで完全老後生活に突入しちゃった人の話です。

(私の両親ですけどね)(;^_^A

信じてマネしちゃ~いけませんよ。ちょっとした条件がありますからね。

ではでは~

 

小さな町工場をやっていました。でも、バブルがはじけ、日本経済は右肩下がり・・・

たった2名の従業員が高齢になっても、3K(キツイ・汚い・給料安い)の工場に努めてくれる奇特な人はおりません。

経営が成り立たなくなり、後継者もそっぽを向き(息子)、家屋敷を担保にしていた借入金も限度に達し・・・

廃業となり、銀行に担保を差し出し清算してもらうと・・・残ったのは夫婦で200万円のみ

住むところもありません。(息子は出ていきました)

 

年金は国民年金のみ。夫婦で月に10万円そこそこ・・・

アパート借りて二人で暮らすにも、お金は足りませんし、母は持病を抱え家事などできない状態です。

 

あの時の両親ってね、思考停止状態ですね。ぼ~としてどうすればいいか?なんて考えられない状態でしたね。今考えると、恐ろしい状況でしたよ。┐(´д`)┌ヤレヤレ

 

優しい(ここ重要)娘夫婦が一緒に暮らす提案をしてくれて路頭に迷わずに済みました。

 

ちっちゃなお山の大将だった父は、人が変わったように小さくなり、母も・・・

娘夫婦の家とはいえ遠慮のカタマリです。

狭い部屋に押し込められて肩寄せ合い、自分でできることで娘を助け、文句ひとつ言わず・・

(母は洗濯物を畳んだり、お米を研いだり、二人の昼食のラーメン作ったり。。。)

(父は、お風呂掃除と朝のクイックルワイパー、自分たちのごみをまとめる、コンビニでおやつの買い出し)

3食は保証されていましたし、洗濯や掃除もやってもらえたし、いる物は娘に買いに行ってもらいましたし、寝る所も確保できました。もちろん冷暖房完備。

 

娘夫婦の世話になることで、国民年金だけで足ります。

食費として一か月2万円。年金が振り込まれると一人4万円・夫婦で8万円を娘に渡します。

残りは一人あたり月約3万円ほどです。

母は、一か月に一回の通院と孫へのお駄賃(コンビニでお菓子を買ってきてもらう)

父は、通院とお菓子そしてパチンコ。。。

実家を処分していますし、両親は娘の家から出れません。

実質、娘の家が実家となり、弟家族が帰省するのは娘の家となります。

盆・正月・GW、何かと費用が掛かりますから娘に気持ちだけですが1万円渡してくれました。

 

母の体の状態もありますが、旅行なんて思いもよりません。

正直、娘から見ても・・・「これで良いのかな?」と疑問と後悔が入り混じる状態でした。

 

そんな平和な生活がいつまでも続くはずがありません。なんせ老後なんですからね。

父は心筋梗塞を昔やっています。シャントも入っています。でも、徐々に血管が詰まってくるのでしょうね。動くとすぐに肩で息をし、歩ける距離が短くなります。。。。

母は、病状が進みます。(パーキンソン病でした)目も白内障が進んできて新聞も読めなくなり

テレビもしかり・・・

 

娘の介護生活への決断理由の一つが発令です。

「自分の身を綺麗に保つことができなくなったら、デイサービスを利用する」

お風呂で体を洗うことはもちろん、シャンプーができないことも重要です。

デイサービスでお風呂に入れてもらうためです。きちゃないBBAは困ります。

 

そして介護の始まりです。。。

(つづく)