西村 佳哲/自分の仕事をつくる

目の前の机も、その上のコップも、耳に届く音楽も、ペンも紙も、すべて誰かがつくったものだ。街路樹のような自然物でさえ、人の仕事の結果としてそこに生えている。

教育機関卒業後の私たちは、生きている時間の大半をなんらかの形で仕事に費やし、その累積が社会を形成している。
私たちは、数えきれない他人の「仕事」に囲まれて日々生きているわけだが、ではそれらの仕事は私たちに何を与え、伝えているのだろう。

たとえば安売り家具屋の店頭に並ぶ、カラーボックスのような本棚。
化粧板の仕上げは側面まで、裏面はベニア貼りの彼らは、「裏は見えないからいいでしょ?」というメッセージを、語るともなく語っている。…
…また一方に、丁寧に時間と心がかけられた仕事がある。
素材の旨味を引き出そうと、手間を惜しまずつくられる料理。
表には見えない細部にまで手の入った工芸品。
一流のスポーツ選手の素晴らしいプレイに、「こんなもんで」という力の出し惜しみはない。
このような仕事に触れるとき、私たちは嬉しそうな表情をする。
なぜ嬉しいのだろう。

人間は
「あなたは大切な存在で、生きている価値がある」
というメッセージを、つねに探し求めている生き物だと思う。
そして、それが足りなくなると、どんどん元気がなくなり、時には精神のバランスを崩してしまう。「こんなものでいい」と思いながらつくられたものは、それを手にする人の存在を否定する。…

…しかし、結果としての仕事に働き方の内実が含まれるのなら、「働き方」が変わることから、世界が変わる可能性もあるのではないか。
この世界は一人一人の小さな「仕事」の累積なのだから、世界が変わる方法はどこか余所ではなく、じつは一人一人の手元にある。
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「まえがき」より。
グッと心に響きます。