1964年東京五輪。6歳。

 

母に連れられ御所の前で聖火リレーを見ました。しばらく聖木をもって走る聖火ごっこをよくしてました。

 

同じ年阪神が優勝したんですが僕の記憶にはないんですが。東京五輪はけっこう覚えています。

 

 

体操競技の遠藤幸雄さん。東洋の魔女といいわれた女子バレー。大松監督。水泳は木原光知子さん。ショランダー

そして柔道でへーシングでっかい怪物のようなオランダの。小さな神永さんが立ち向かう。

それにマラソンのアベベ。銅メダルをかちとった円谷幸吉さん。円谷さんは後にメダル後のさまざまな期待のなかで自死された。

 

メダルへの期待とプレッシャー 世界の最高峰である競技会。それにかけるアスリート。

 

たかがスポーツ されどスポーツ。

 

僕は幼いころから 野球だけでなくスポーツの魅力に魅せられた。

相撲は大鵬の時代から 千代の富士  北の湖  魁傑  貴乃花  輪島 …

ラグビーも伏見工 同志社大学 神戸製鋼 と 正月は釘付けだった。

マラソン、陸上も  ゴルフも青木さんや尾崎さんの頃。ボクシングはファイティング原田 輪島功一さん そして村田諒太さん

 

そこには純粋に戦う人々の姿がいつもあった。

 

そして今回のパリ五輪。メダルよりもなによりも人としての「生きざま」…

絶頂のときまさかの病に侵された 池江さん。16歳のあのときの自分を越える 「これまでの努力は無駄だったんかな」

そして阿部詩さんの号泣 あれだけの号泣が大人が… けれども、それだけ賭けていたものが。

 

私も若い頃 卒業式でよく号泣した。(笑)

 

勝負事、競技には「勝ち」もあれば「負け」もある。

「負け」から学ぶこと。「負け」をのりこえてつかめるものもある。

 

敗者でしか感じられないものもある。人間として生きる「器」のようなもの。

 

そういう人間模様を感じながら  オリンピックに注目したい。