鳥谷敬  待望の人である。岡田監督の後輩として阪神タイガースでショート13シーズン連続全試合出場。1939試合

連続出場という金字塔を自らものにした。

 

 

 

 

彼のヒッティングマーチ

 

 

いずれ阪神の監督に彼の新しさとこだわりが新しい阪神タイガースの糧になってほしい。

 

 

言われたことをそのままやるのでなく、なぜそれをやるべきなのかを正しく理解し、それに伴う自分へのメリットと

デメリットを把握したうえで選択することが重要だと思う。

 

 

 

 

監督のできることといえば、負けを受け入れることしかない。担当コーチから意見を聞いて、自分でオーダーを決めるのだから

負けたら自分の責任でしかない。勝ったら、選手を推薦してくれるコーチ、頑張ってくれた選手のおかげ、負けたら監督の責任それでいいと思う。

マスコミには、チーム状態が悪くて負けているときは、そのなかで起こったいいことをかいてもらう。チーム状態がよくて買っているときは、そのなかで起こった悪いことを書いてもらうようお願いしてみるのがいいかもしれない。

      ※ これいま阪神に必要やな。鳥谷監督のときはよろしく頼んまっせ。

 

 

 

 

自分に誇れるものがあるとすれば、、入団してからやめるまで。準備を大切にし続け毎日同じことを積み重ねたこと。野球の技術とか精神力とかでなく、その一点に関しては一流だったのかなと思う。

 

 

 

 

怒るのは無駄。感情をコントロールするということも、長年意識してきたことのひとつだ。阪神のユニフォームを脱ぐにあたった経緯を人に話すと、「もっと怒っていいのでは?」という反応も多かった。ただ怒っても結果が変わらないのであれば、怒る時間がもったいない。

 

他の人が言うことを気にする必要はまったくない。応援してくれる人は、たとえ失敗しても応援してくれる。応援してくれない人はたとえ成功しても叩こうとする。そういうものだと思っている。

 

「上の人にこう言われたんですれども、従った方がいいですか?」と聞かれても、そんなのはほおっておけばいいと思っている。何か相手が気にいるいい返事をしようとするから疲れるだけで、いわれっぱなしで従わなくても問題ないのではないだろうか。これは「人と違う」対応かもしれないし、普通の人は嫌がることかもしれない。自分にとっては「人と違う」は最高の褒め言葉だ。

 

自分が思っているふつうはけして普通じゃない。勝手に自分たちが不通と思っているだけだ。日本では絶対に違うということが、普通だったりする国もあるだろう。限られた価値観でしか世界を見ていないのに、何を勝手に自分で普通だと思っているんだろう…自分でみているものはほんとうに普通なのかということを、常に疑問をもって生活をするようにしている

 

年齢を重ねると、だんだんと意見を言ってくれる人が少なくなってきた。何を言っても同意するような人と一緒にいても、よくなることがないので、できるだけ意見交換ができる人とつきあうようにしている。

 

この鳥谷さんの本を読んでいると 鳥谷さんは自分の意志をしっかりもって幅広い視野のなかで考えて納得して「生きる」人だということがよくわかる。だからセコくて拙い阪神球団は本人の意志を考えずに「戦力外」にしたのだろう。阪神という球団はそういう「せこさ」と「拙さ」が同居している球団である。選手がではない。経営陣がである。

 

大阪商法じゃないが、廉価でもうけをという魂胆である。

関西の中小私鉄でかつては阪神阪急南海近鉄他地域でも西鉄などがあったが、いまそれらで生き残っているのは阪神だけだ。

阪神タイガース、そして「甲子園」という価値に感謝しなければいずれ球団経営がままならない時期も来るかもしれない。

 

そうなる前に「鳥谷監督」で阪神の一大転換期をつくってほしい。

岡田さんは偉大な監督である。けれども、やはり「昭和」の人である。かくいう私ももちろん昭和である。

時代は変化して着実に選手像も変化している。それにあわせるか。もしくはその時代にふさわしい監督を組織人をリーダーとするか。 それはどの組織にも重要な選択である。