6月23日 生きたくて死にたくなくて  かけがえのない命を奪われた その御霊そして その家族、友人に思いをよせて

共に祈り 平和を希求したい。ちむぐりさ そして 命ドゥ宝を。

 

沖縄タイムズ今日の社説

[社説]きょう慰霊の日 平和創造の次の一歩を

 

 県内各地に慰霊塔や慰霊碑があり、地域や団体による慰霊祭が、6月23日の「慰霊の日」前後に執り行われる。

 この日に合わせて、企画展や芝居の上演、講演会、講座など平和を考える催しもめじろ押しだ。

 沖縄戦体験は、沖縄にとって地域アイデンティティーの核である。

 広島・長崎の被爆体験や東京・大阪などの空襲体験と、住民を巻き込んだ沖縄の地上戦体験は、多くの民間人が犠牲になったという点では共通するが、その質は異なる。

 米国の2人のジャーナリストの証言を紹介したい。

 80年前の1944年6月、サイパン戦を取材した米誌タイムのシャーロッド記者は従軍日誌に書き記した。

 「サイパン島戦こそ、あらゆる戦争中でもっとも残忍なものであった」

 日本軍にとってサイパン戦は多数の民間人を巻き込んだ最初の地上戦だった。沖縄県人の戦没者だけでも約6200人に上る。

 沖縄戦を取材した米紙ニューヨーク・タイムズのボールドウィン記者は指摘する。

 「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」

 2人の文章が同じような表現になっているのは、サイパンでも沖縄でも、目を覆いたくなるような惨劇が起き、多くの民間人が犠牲になったからだ。

 サイパン戦や沖縄戦で表面化した「戦争と民間人保護」の問題は、ウクライナやガザの戦争にもつながる現代の課題でもある。

■    ■

 多くの民間人が犠牲になっただけではない。

 沖縄戦のもう一つの特徴は、子どもや親きょうだい友人を死なせ自分が生き残ったことに罪責感を抱き、心身の不調を来す人が多かったことである。

 心の傷、心的外傷のことをトラウマという。住民を巻き込んだ激烈な地上戦は、生き残った人々の中に深い心の傷を残した。

 学童疎開船「対馬丸」の引率教員だった新崎美津子さんは「多くの教え子を死なせ、自分は生き残った」と自責の念にとらわれ、生前、「私は生きるべき人間ではなかった」と語っていたという(上野かずこ著「蕾のままに散りゆけり」)。

 蟻塚亮二医師らの研究によると、生活の場が戦場になり、戦後、基地と隣り合わせの生活をしている人が、米軍の事件事故などに接すると、戦争のつらい記憶が呼び覚まされ、ストレス症状が表れたりするという。

■    ■

 慰霊の日のきょう、糸満市摩文仁で沖縄全戦没者追悼式が開かれる。

 慰霊の日は県条例によって「平和を希求し、戦没者の霊を慰める」日だと定められている。

 戦争で生き残り、米軍統治下の沖縄で新たな苦難に直面し、それでも希望を失わず、語り部として平和の尊さを若い世代に伝え続け人生を全うした人々に対しても、慰霊の日に感謝の気持ちをささげたい。

 平和創造の次の一歩を踏み出す誓いを込めて。

 

琉球新報社説

<社説>沖縄戦79年「慰霊の日」

        「戦争準備」拒み平和築け

戦世(いくさゆ)の足音に危機感を抱きながら私たちは戦争犠牲者を悼み、平和を求める日を迎えた。きょうは沖縄戦から79年の「慰霊の日」である。

 年を追うごとに戦争体験者は減っている。しかし、沖縄戦体験を継承する意義が薄れることはない。

 むしろ「新しい戦前」と呼ばれる状況に抗(あらが)うため、戦争自体と、そこに至った経緯を検証する作業が強く求められている。沖縄戦の実相と向き合い、体験を語り継ぐことで平和を創造する県民の歩みを続けよう。

 日本は「戦争ができる国」づくりから「戦争準備」へ大きく踏み出したのではないか、私たちは危惧する。

 集団的自衛権の行使を可能とする憲法の解釈変更、敵基地攻撃を可能とする安全保障3文書の閣議決定によって日本の防衛政策は大転換した。それに続く「特定利用空港・港湾」指定、米軍基地や自衛隊基地周辺を対象とした土地利用規制法、地方に対する国の指示権を拡大する改正地方自治法なども警戒すべき動きだ。

 これらは国家総動員法や軍機保護法などと重なる。言論の自由を制限し、人的・物的資源を国に集中する法制度が戦時体制を支えたのである。

 沖縄の島々では自衛隊増強と米軍基地の機能強化が進んでいる。ミサイル攻撃を想定した住民参加の避難訓練も実施された。この動きも戦前期の沖縄と重なる。

 1941年に中城湾、西表・船浮で臨時要塞(ようさい)が築かれる。44年3月の32軍創設以後、飛行場整備や陣地構築が急速に進み、沖縄が本土防衛の防波堤に位置付けられた。今日の軍備増強も沖縄を中国の脅威に対する防波堤として想定しているのではないか。


 防衛省・自衛隊の動きも気になる。沖縄の陸自第15旅団は公式ホームページに牛島満32軍司令官の「辞世の句」を載せ、問題視されている。今年1月には陸上自衛隊幹部ら数十人が靖国神社を集団参拝した。日本軍との連続性を疑わざるを得ず、平和憲法の精神にそぐわない。

 教育の分野では皇国史観に偏重した令和書籍の中学校歴史教科書が検定に合格した。沖縄戦に関して旧制中学校・師範学校生の戦場動員を「志願というかたち」、特攻隊員の戦死を「散華」と記述している。子どもたちに軍国主義を植え付けた戦前の国定教科書をほうふつとさせる。

 政治家の発言に驚かされる。中国を念頭に抑止力向上を主張した昨年8月の麻生太郎元首相の「戦う覚悟」発言は波紋を広げた。県内でも糸数健一与那国町長が今年5月の講演で「一戦を交える覚悟」を説いた。

 私たちに求められているのは「戦う覚悟」を拒み平和を築く意思と行動だ。

 新たな戦争犠牲者を出す事態を回避できるか。私たちは時代の分岐点に差し掛かっていることを戦後79年の「慰霊の日」に確認したい。

平和祈念式典  「平和の詩」

沖縄全戦没者追悼式で「平和の詩」を朗読する仲間友佑さん (youtube.com)

「これから」

短い命を知ってか知らずか
蝉が懸命に鳴いている
冬を知らない叫びの中で
僕はまた天を仰いだ

あの日から七十九年の月日が
流れたという
今年十八になった僕の
祖父母も戦後生まれだ
それだけの時が
流れたというのに

あの日
短い命を知るはずもなく
少年少女たちは
誰かが始めた争いで
大きな未来とともに散って逝った
大切な人は突然
誰かが始めた争いで
夏の初めにいなくなった

泣く我が子を殺すしかなかった
一家で死ぬしかなかった
誰かが始めた争いで
常緑の島は色を失くした

誰のための誰の戦争なのだろう
会いたい、帰りたい
話したい、笑いたい
そういくら繰り返そうと
誰かが始めた争いが
そのすべてを奪い去る

心に落ちた
暗い暗い闇はあの戦争の副作用だ
微かな光さえも届かぬような
絶望すらもないような
怒りも嘆きも
    失くしてしまいそうな
深い深い奥底で
懸命に生きてくれた人々が
今日を創った
今日を繋ぎ留めた
両親の命も
僕の命も
友の命も
大切な君の命も
すべて


心に落ちた
あの戦争の副作用は
人々の口を固く閉ざした
まるで
戦争が悪いことだと
言ってはいけないのだと
口止めするように
思い出したくもないほどの
あの惨劇がそうさせた

僕は再び天を仰いだ
抜けるような青空を
飛行機が横切る
僕にとってあれは
恐れおののくものではない
僕らは雨のように打ちつける
爆弾の怖さも
戦争の「せ」の字も知らない
けれど、常緑の平和を知っている
あの日も
海は青く
同じように太陽が照りつけていた
そういう普遍の中にただ
平和が欠けることの怖さ
僕たちは知っている

人は過ちを繰り返すから
時は無情にも流れていくから
今日まで人々は
恒久の平和を祈り続けた
小さな島で起きた
あまりに大きすぎる悲しみを
手を繋ぐように
受け継いできた

それでも世界はまだ繰り返してる
七十九年の祈りでさえも
まだ足りないというのなら
それでも変わらないというのなら
もっともっとこれからも
僕らが祈りを繋ぎ続けよう
限りない平和のために
僕ら自身のために
紡ぐ平和が
いつか世界のためになる

そう信じて

今年もこの六月二十三日を
平和のために生きている
その素晴らしさを噛みしめながら

 

玉城デニー沖縄県知事の言葉

<全文>玉城デニー知事による平和宣言 慰霊の日 沖縄戦から79年

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#平和宣言#慰霊の日#沖縄全戦没者追悼式#玉城デニー

<全文>玉城デニー知事による平和宣言 慰霊の日 沖縄戦から79年沖縄全戦没者追悼式であいさつする玉城デニー知事=23日午後、糸満市摩文仁の平和祈念公園(小川昌宏撮影)

平和宣言

あの忌まわしい悲惨な戦争が、かつて、この美しい島で繰り広げられました。

鉄の暴風といわれるおびただしい数の砲弾による空襲や艦砲射撃により、私たちの島は、戦火に焼き尽くされ、多くの尊い命が失われました。

私たちは、あの悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さ、平和の大切さという教訓を学びました。

あの戦争から79年の月日が経った今日、私たちの祖先(うやふぁーふじ)は、今の沖縄を、そして世界を、どのように見つめているのでしょうか。

広大な米軍基地の存在、米軍人等による事件・事故、米軍基地から派生する環境問題など過重な基地負担が、今なお、この沖縄では続いています。

加えて、いわゆる、安保3文書により、自衛隊の急激な配備拡張が進められており、悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、私たち沖縄県民は、強い不安を抱いています。

今の沖縄の現状は、無念の思いを残して犠牲になられた御霊を慰めることになっているのでしょうか。

かつて、沖縄の本土復帰にあたり、日本政府は、「沖縄を平和の島とし、わが国とアジア大陸、東南アジア、さらにひろく太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い生命を捧げられた多くの方々の霊を慰める道であり、沖縄の祖国復帰を祝うわれわれ国民の誓いでなければならない。」との声明を出しました。

この声明を想い起こし、沖縄県民が願う、平和の島の実現のため、在沖米軍基地の整理・縮小、普天間飛行場の一日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念など、基地問題の早期解決を図るべきです。

世界に目を向けると、今なお、争いは絶えることなく、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ情勢など、戦争という過ちを繰り返し続けています。

東アジアでは、米中対立や中国の軍事力の強化、台湾や朝鮮半島を巡る問題など、自国の軍事増強により、抑止力の強化がかえって地域の緊張を高めている一方、経済面での緊密な結びつきが併存するなど、安全保障環境が複雑化しています。

世界の平和と安定に向けて、各国・各地域に求められているのは、それぞれの価値観の違いを認め合い、多様性を受け入れる包摂性と寛容性に基づく平和的外交・対話などのプロセスを通した問題解決です。

私たち沖縄県民は、万国津梁の精神で、近隣諸国との交流により、信頼関係を築いてきた歴史があり、また、「命どぅ宝」「ユイマール」「チムグクル」など多様な価値観の受容、相互扶助といった精神文化を継承しています。

「新たな建議書」「平和の礎」「沖縄平和賞」は、人類普遍の価値である平和を願う「沖縄のこころ」の表れであり、世界の恒久平和は、沖縄県民の切なる願いです。

私は、沖縄が国際平和創造拠点となり、万国津梁の精神をもって、「沖縄のこころ」を国内外に発信し、世界の平和構築や相互発展、国際的課題の解決に向け地域外交を展開していくことが、地域の緊張緩和と信頼醸成に貢献し、世界の恒久平和に繋がっていくものと確信しています。

国連ピース・メッセンジャーであり、自然保護や人道問題へ取り組む世界的な環境活動家でもあるジェーン・グドールさんは、「私たちの行動は、毎日必ず何かしらの影響を世界に与えています。どんな行動を取るかが“違い”を生み、どのような“違い”を生み出したいのかを決めなければなりません。」と語っています。

一人ひとりの思いや行動は、たとえ微力でも、確実に世の中を変えていく力があると、勇気を与えてくれる言葉です。

今こそ、私たち一人ひとりに求められるのは、不条理な現状を諦めるのではなく、微力でも声をあげ、立ち上がる勇気、そして、行動することです。

先人から受け継いだ精神文化をもって、他者を尊敬し、思いやり溢れる社会を造り上げ、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向けて、共に絶え間ない努力を続けてまいりましょう。

わったー元祖(ぐゎんす)んかい 誇(ちむふくい)ないる沖縄(うちなー)あらんとーないびらん。

わったーや近隣(けーとぅない)ぬ諸国(くにぐに)とぅ交流(とぅぃふぃれー)っしちゃるたみ、信頼関係(どぅしびれー)ぬ仲(なか)までぃ積(ち)み上(あ)ぎてぃちゃる歴史(でー)ぬあいびーん。

わったーや平和(ゆがふーゆー)大切(てーしち)にする精神(たまし)ぬあいびーん。

わったーや価値観(ありましくりまし)ぬ違(ち)げーぬあてぃん 互(たげー) に容認(ちむ) 合(あーし) ぬないる精神文化(ちむだまし)ぬ 継承(ふぃちちじ)さっとーいびーん。

沖縄県(わったーしま)が世界(しけー)ぬ恒久平和(ながゆがふーゆー)ぬ架橋(はしわたし)ないるぐとぅ一緒(まじゅん)っし目標(みやてぃ)んかい向(ん)かてぃいちゃびらな。

We strive to make Okinawa an island we and our ancestors are proud of.
We have a history of trust that has been established through exchanges with our neighboring countries.
We bear hearts that cherish peace.
We carry on the spirit of accepting diverse values.
We, the people of Okinawa, shall together aim to be the bridge to world peace for all time.


本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、戦争に繫がる一切の行為を否定し、人間の尊厳を重く見る「人間の安全保障」を含めた、より高次の平和を願い続け、この島が世界の恒久平和に貢献する国際平和創造拠点となるよう、全身全霊で取り組んでいくことをここに宣言します。

令和 6 年(2024年)6 月 23 日
沖縄県知事 玉城 デニー