昨日は、京都シネマで 「骨を掘る男」そして、そのあと12時から「関心領域」映画といえども2連チャンは

少々疲れるのでどうしようかな?  と迷ったが。 すぐにチケットを買ってみることにしました。

「関心領域」えらいけったいな名前やな。と。けどねいろんな方がこの映画をみたとSNSにあげておられたので

なんとなく「見てみたい」と。ただ一般鑑賞券が2000円となっており、互助の割引チケット(1080円)で見れるのかなあ

と思ったら「行けますよ」ということだったので続けて鑑賞しました。

 

うーん。空腹と 睡魔がおそって。字幕スーパーがところどころ 読めなかったけど…

 

率直な感想は「うーん」アカデミー賞で「音響賞」というのを受賞しているとかで、いやにいろんな音が耳についてきた。

 

「アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた」これがモチーフ。

アウシュビッツは

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(アウシュヴィッツ ビルケナウ きょうせいしゅうようじょ、ドイツ語: Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau、ポーランド語: Obóz Koncentracyjny Auschwitz-Birkenau)は、ナチス・ドイツ第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所である。収容者の90%がユダヤ人アシュケナジム)であった。

おぞましい。ユダヤ人が次から次へと殺された。毒ガス室は一度に2000人余りのユダヤ人を一度に殺した。

 

アウシュビッツ | ホロコースト百科事典 (ushmm.org)

以下 SNSよの抜粋

 

この映画はその隣に暮らす人々の暮らしが淡々と描かれている。

アウシュビッツ強制収容所と壁ひとつ隔てた家に住む、収容所所長のドイツ人家族。壁の向こうで起きていることは一切描かれず、ただし最初からずっと、銃声や悲鳴、ユダヤ人たちを運んできた列車の音が、穏やかな一家の日常の背景に、BGMのように流れ続けます。 

 

冒頭の真っ暗闇のシーンは、ガス室に閉じ込められたユダヤ人たちのことを想像させて、とても怖い。何も映っていないし、まだ何も始まっていないのに。「終始何も起こらなくて退屈だった」との評も散見されますが、私はすべてのシーンが怖くてたまらなかったです。ドイツ人の妻たちは処刑されたユダヤ人が着ていた豪華な衣服を平然と分け合い、子どもたちはユダヤ人の歯で遊び、庭の美しい花にはユダヤ人の遺灰が肥料として撒かれる。――すべてが淡々として描かれ、これみよがしな表現は一切ない。だからこそ、ゾッとさせられる。     彼らにはユダヤ人たちの遺体が焼かれる焼却炉の煙の匂いも舞い散る灰も、銃声のBGMも届かず、そんな異様な環境に建つ家での生活を楽園のように感じて謳歌している。剥ぎ取られた衣服がどこから来たものなのか、知っていても無関心なのか、それとも見て見ぬふりをしているのか。

「関心領域」(2023) 写真:Everett Collection/アフロ

70万人のユダヤ人をハンガリーからアウシュビッツに移送し処刑する計画に、自分の名が冠されたことを誇らしげに妻に報告する所長も怖かったな……。戦争とは狂気だということを、改めて思い知らされました。

 

 何がいちばん怖いって、彼らは決して特殊な家族ではなくて、きっとこれが「自分たちは優れている」と信じて疑わない人間の、一般的な振る舞いなんだろうなというところ。 ナチスがいかにユダヤ人を効率的にガス室に送り「焼却」するか議論するとき、彼らはユダヤ人のことを同じ人間として認識していない。上司に命じられた任務を遂行しているだけで、お上が決めた「計画」に従うのみ。権威主義の下では、人命など庭園に生える雑草と化してしまう。 そして、夫が転勤を命じられても、美しい家と自分の生活を守り、変えたくないと主張するザンドラ・ヒュラー演じる妻の利己的な振る舞いに腹が立ったけれど、自分は彼女とは違うと果たして言えるのだろうか。 人間は戦争という異常な事態にも順応して、そこで自分が快適に暮らせる権利のためならば、わりと簡単に人道的モラルなんて手放せるのではないか。 スマホで毎日のように流れてくるガザの人々の惨状が、私たちにとって、この一家の壁の向こうから聞こえるアウシュビッツの音のように、当たり前の「生活音」になってしまっていないか。 

                                            終わり

絶賛上映中『関心領域』特別映像 _監督らが明かす“本編に込めた希望” (youtube.com)

そういう無自覚な無関心というのは…

 

 

無自覚な無関心…本当は身の回りで起こっている自分が生きる世界で起こっているおかしなことに耳を澄まし目を凝らし

 それに対して何か声をあげたり、動かなければならないのだが…

 

 世の中の理不尽さや偽善はあまりに多い。疲れ果てたほどだ。

 

たとえば子どもたちの学校という中での苦しみ、大人からの虐待。 

毎日のように起こる鉄道の人身事故。それは 悲鳴。

8時間労働であるにも関わらず長時間それがあたりまえのように残業させられて過労死であったり精神的な闇と病み。

それらの延長線上に 沖縄があり、ガザがあり、戦争がある。

 

この映画の中でも描かれているが、

アウシュビッツでの毒ガス室計画が議論され、そしてそれを遂行することが栄誉となり、昇進のひとつの材料になる。

おかしいと思っていても、自らの幸せのためならば他のことは顧みないというか。見て見ぬふり。己の栄華のためには

関係ない。

人は「今だけ  金抱け  自分だけ」の刹那な幸せのなかに埋没して  日常を過ごすことのほうが多い。

 

ほんとうはどうあるべきか。自分自身の「関心領域」の立ち位置はどうあるべきか。

 

少なくとも知ること。そして知ったことはたとえ、0.1%の微力であっても 何かしら 意志を(石)を投じたい

そういう生き方がしたい…