チャップリンのモダンタイムズ

「モダン・タイムス」における歯車の象徴

「モダン・タイムス」における歯車の象徴は、映画史においても非常に強烈なイメージとして記憶されています。このシーンでは、主人公であるチャップリンが文字通り巨大な歯車の中に巻き込まれてしまいます。このビジュアルは、20世紀初頭の工業化が進む社会における、人間と機械との関係性を巧みに象徴しています。

歯車に巻き込まれるシーンは、その直接的なコミカルさとは裏腹に、人間が機械化された生産システムに支配され、その一部に過ぎなくなってしまったという深刻なテーマを内包しています。ここで描かれているのは、フォード主義に代表されるベルトコンベアー式の生産ラインが、人間の労働者を単なる部品の一つとして扱い、個人の人間性や創造性を奪ってしまうという批判です。

 

教師が人間的に個性や創造性を発揮しなければよ教育などできるはずがない。スタンダードでみんなが同じようにというシステム化された今日の教育状況はなかば悲喜劇である。

 

「デンマーク人はなぜ4時に帰っても成果を出せるのか」

針貝有佳著 ここにはさまざまなヒントがある。

 

 
 

 

 

もうすでに20年以上も前だろうか。「カロ―シ」(過労死)という社会現象が日本人の働き方の歪みとしてクローズアップされた時期から、能率も効率も悪い日本人、とりわけ教員の働き方は 「社会問題」であった。8時間働いてふつうに暮らせる国。いやもはや先進国では6時間 週休3日などという働き方となっている国もある。

 

日本人の働き方は国民を「奴隷」として疲れ果てて 不満や国の政治のありように対して文句や愚痴ることさえはく奪させようとする支配政策なのだ。 だから知恵を働かせて 「いいかげん」=「適切な」働き方を探求しなければならない。

 

首都コペンハーゲンは緑豊かで、大きな公園がいくつもあり、春夏には人々が水着で寝転がって日光浴している。

快晴で暖かい平日の午後3時頃、運河沿いに並んで座っておしゃべりをしたり、寝そべったりしている人たちを眺めていると、どう見ても「ビジネスライク」には見えない。何かに追われる様子もなく、芝生やウオーターフロントにゴロンと寝そべっているデンマーク人の姿を目にすると「ああ、これが『幸せな国』なのだなあ。豊かだなあ」とつくづく思う。

 

コペンハーゲンに暮らす人々は、「ヒュッゲ(心地よさ)を大切にしている。自分や他人を大切にし、リラックスし、人生の喜びを感じることに時間を使っている。また職場もプライベートライフを尊重し、年間5週間の休暇とフレックスタイム制、夫婦合わせて52週間の育児休暇を提供している。

 

「人生で一番大切なのは仕事ではないよね」という前提がそこにはある。それでいて、国際競争力 ナンバーワンなのだから、不思議である。

デンマーク人は「ライフ」を大切にしているからこそ、フルに充電したエネルギーを使って「ワーク」に取り組めている。

 

人生に大切にしなければならないものことはいくつもあります。日本人の仕事第一で。ましてやほんとうに大切なことをこどもたちに伝える教員の働き方で「家庭も大事だよ」「子育ても大切なんだよ」「自分の人生を豊かに生きることも」ということを剥ぎ落してひたすら「学校で」「仕事を」「こどもたちのために」というのは、意味があるのでしょうか?

何もやりたくてそうしているんじゃない。そうせざるを得ないと言われると思います。

けど、おかしなこと理不尽なことは 声をあげてみんなで変えていくことが人間として大切なことでもあります。