先週の報道特集で

学校はブラック職場? 先生に密着…“不登校や外国人”追われる対応、教育現場のリアル【報道特集】

 
 
私自身は、6年前に定年退職しましたが、教師生活の前半と後半はずいぶん働き方を変えました。
 
前半は朝7時すぎから夜ははやくて7時そしていろんな課題があるときは9時くらいまでおよそ一日12~14時間働いていました。
前半は、土曜日も授業がありましたが、日曜日は月に2~3回部活動(野球、ソフトボールなど)の練習や練習試合などがはいりました。でも、好きな仕事だったし、やりたいことをやらせてもらったし、ゆっくりする時間はあまりなかったけど、よく遊んだし勉強もしたし、体力もあったし、充実していました。
 
後半40代の半ばからは、朝はたしかに早く学校へ行きましたが、放課後は、特別な生徒指導や会議がないかぎり週の3~4日は生徒の最終下校とともに「さいなら~」と言って帰りました。
およそ一日それでも9時間〜11時間。
それはひとつは40代前半障碍児学級を担任して、こどもたちがひとりひとり自分のペースで懸命に生きている姿に感動して、別に人生あくせくしなくても十分値打ちのある生き方ができるんだ。とこどもたちから教えてもらったこと。それとか少し結婚がおそかったのですが、40になって結婚し、大切にしなければならないことは「家庭」にもある。とそれを大事にしなくては、学校のこどもたちも本当の意味で大事にできない。と感じたからです。それとやはり年齢を重ねると視野も広がり(笑) 職員室からだれかがはやく退室せず「帰りたい」人(子育てや保育所迎えなど他にも)先生が帰りにくい・。そこそこの年齢で実践もがんばっている(一応学校の中枢のつもり)教師が 「さいなら~」と言って帰ったら帰りやすくなると思ったのもそのひとつです。
早く帰り部活途中にも退勤することもありますが、気になる生徒などがいたら声かけなど家庭訪問もさっと回ることもありました。
 
今の先生はじめ若い世代の先生は、基本的に上の人の言うことに忠実で、空気をおもんばかる傾向が強いですが、私はほとんどそういう資質がない人間なので、
 
しいていえば「奴隷にはならない」=人からいわれて納得できないことはしない。いいなりにならない。が私の生き方のひとつの指針でしたので。周囲のまなざしなどほとんど気になりませんでした。(笑)
 
昭和生まれの教師は多かれ少なかれそういう気風をもっていたのではないでしょうか。けど、生徒に対して淡々としていたかというとそうではなく大事な関り(勉強が苦手な生徒や生徒指導上課題をもった生徒など)はトコトン時間を割いて関わり関係づくりをしていたと思います。保護者ともそうです。保護者も熱心な教師をここちよく歓迎してくれました。
 
私はとりあえず 小学校の先生でいえばか働き方改革のいくつかの視点は
①意味のないノート点検などは、学期に一度程度で 教科ごとに週に1度で十分です。授業のなかでの関りを大事にする。                                              (25分×5削減)
②テストなども単元ごとのテストは授業の一貫としておこない、評価の対象としない。生徒同士で〇つけ答え合わせをすればよ   
 い。無駄な採点は省く             (30分×2同)
③宿題については、毎日習慣づけてだすということをやめる。できる子は簡単にするができない子にとっては宿題は苦痛です。
 学力向上につながらないといっても過言ではありません。 (20分×4同)
④教師があれこれ指示的にクラスをつくるのでなく、話し合いやリーダー会などで子どもたちの自主的な友達関係を日常に広げる
これだけで週に4~5時間の意味のない仕事の削減はできると思います。
本当の学力とは点検やテストでつくものでは断じてないからです。
それと 
⑤まわりの先生とことさら進み具合や授業のスタイルをあわせない。それぞれの個性で授業づくりをすることも大切です。
あわせようとすれば無駄な打ち合わせや統一事項の打ち合わせをしなければなりません。大事なことは確認することわからないことは聞くことが大事ですが、若い先生であっても自分から悩み自分のスタイルを確立しなければ将来の自分自身の教師としての育ちはなかなか気開くことはできません。
 これだけでも週に1~2時間時間がういてくると思います。
 
では、もう少しグローバルな視点で次からは「働き方について」考えていきたいと思います。