日本評論社   康潤伊  鈴木宏子   丹野清人 編著 205P

 

 

 

 

3月に「アリラン ラプソディ」の映画をみて この本を借りた。

 

 

私が生まれ育った太秦にも在日朝鮮人の人々が暮らす地域があった。こどもの頃、キムチの匂いが漂っていたという記憶がある。

私が通っていた小学校にも在日の女の子が通っていた、おてんばで男勝りの彼女だったが…氏名印が二つあるの不思議に感じていた。大人になって歴史を学んでその理由を知って本当に恥ずかしくなった。

 

埋め込まれた日本人の在日の人々への潜在的な差別意識 これを克服して ほんとうのことを知ることの大切さを学びつながること

今は身に沁みてそのことを感じている。

日本は日清・日露戦争を通して朝鮮半島を足場に大陸への侵出を意図し、1910年韓国朝鮮併合で総督府をおき、植民地化をおこなった。

朝鮮人は大日本帝国の一員であった。

日本の敗戦で朝鮮人は植民地支配から解放されたが、外国人登録令やサンフランシスコ講和条約によって、一方的に「日本人」から除外された。在日コリアンがつくられた。

在日コリアンは、日本国民でないとして、社会の最下層におかれ、行政的にも、社会的文化的な恩恵からも遠ざけけられ、社会の

周辺に固定化され、民族差別と階級差別がまじりあった差別構造がつくられる。

 

 

 

 

「私ずっと勉強したかったのよ」鉛筆をもつことさえなかったハルモ二たちが、自分の名前を書き、住所を書き、ため息をつきながら。言い訳のように「勉強できなかった理由」を語る。

その川崎の桜本に2004年「ウリハッキョ」(私たちの学校)という識字学級が開設され、2015年ウリマダン(私たちの広場)につながっていくのである。

 

この本にはそこで語られ書かれたハルモ二たちの気持ちが記されている。

書くことは、言葉を「いま・ここ」でない空間へと拡張させていくことなのである。

しかし、その言葉の背景には「途方もない」余白がある。 その余白こそ私たちは真摯に学び受け止めなければならない。