戦争を絶対おこすようなことがあってはならない。

 

朝ドラをみているとその戦争に関係するさまざまな場面に 心が痛くなる。

 

 

再放送でやっているオードリー (BS7:15~)  今日は、ベトナム戦争に従軍していたリチャード

 

これは美月の従兄弟。京都にやってきて休暇を楽しんでいたのだが、休暇が過ぎて 沖縄に(沖縄はベトナム戦争の出撃・補給基地になっていた)

"We just can't get along without Okinawa."
 沖縄なくして(ベトナム戦争は)続けられない。
(アメリカ太平洋軍 グラント・シャープ総司令官 1965年)

ベトナム戦争が泥沼化した1960年代、沖縄は前線基地として利用されていた。タバコやトイレットペーパーから武器や弾薬まで、沖縄経由で送られていたのだ。

 

戻る夜に、戦争の悪夢にうなされて 大声で叫ぶ。

 

戦場を体験した兵士が心に傷を抱えることは、今ではよく知られている。

 米国では1960年代以降、ベトナム戦争の帰還兵の間で悪夢や不安感といった後遺症が広がって社会問題化。研究が進んだ。米ブラウン大学ワトソン研究所の一昨年の報告書によると、米同時多発テロ後20年間の対テロ戦争では、米軍の死者が約7千人だったのに対し、自殺した現役・退役軍人は約3万人に上った。

 

ここに残酷な悲惨な戦争の断面がある。

 

そして 虎に翼でも…かつての戦時下での様子が描かれている。『虎に翼』上川周作“直道”の出征シーン 

 

■耳元で「絶対帰ってきてね」

 

花江は直道に召集令状が届いたことをはる(石田ゆり子)に知らせ、2人で涙を流す。出征前に家族が揃った食事の席で、直道は「俺には分かる。日本はこの戦争に勝って、子供たちにとってもっともっといい国になっていくって」などと笑顔で語る。

出征の日の朝も明るく振る舞っていた直道だったが、花江を抱き締めると、涙をこぼしながら「俺、寝られるかな。花江ちゃんが隣にいなくて」と弱音をこぼす。花江は「大好きよ、直道さん。絶対帰ってきてね」と耳元でささやいた。

■「望んではいけなかった」

この当時、出征の際には家族や近隣の人が集まって盛大に見送るのが慣習となっていた。劇中でも、抱き合う直道と花江をとがめようとする近所の人もいた。

 

そんな中での夫婦の会話に、Xでは「この頃、出征する人に生きて帰ることを望んではいけなかった。お国のために死んでこい、と送り出さねばならなかった。だから花江ちゃんは、誰にも聞こえない小さな声で言うしかなかった」

弁護士の轟も赤紙が来る

終盤、寅子、轟、よね(土居志央梨さん)が昼食を食べている場面で、轟が「赤紙が来た」と唐突に報告。続けて「法曹の道を究めたいところだが致し方ない。佐賀に帰る」と伝えた。

そこで寅子は「おめでとうございます」

しかし。

 よねは「死ぬなよ、轟」と真剣な面持ちで声をかけた。轟は「俺を誰だと思ってるんだ」と笑い、「じゃあ、また会おう!」と言い、去っていった。

明日は優三にも赤紙が来るらしい。

 

戦争というのは 無残にも かくも 人の 幸せを 引き裂き 地獄へ引き起こす。

心が痛くなる。 辛くなる。悲しくなる。