現実をいまを生きることはとても大切なことだ。けれどもそれ以上に未来をたしかなものに。

愛とロマンを胸に生きることは 「臭い」話かもしれないけど もっと大切なことだと思う。

 

 

 

 

時代は変わる。新たなる時代は必ずやってくる。

宮沢賢治の詩に「生徒諸君に寄せる」というのがある。マンさんはよくこの詩を引用されていた。

むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ

諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ

宙宇は絶えずわれらによって変化する
誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか

新たな詩人よ
雲から光から嵐から
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ

新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系を解き放て

衝動のやうにさへ行われる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ

新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変へよ

新しい時代のダーヴヰンよ
更に東洋風静観のキャレンジャーに載って
銀河系空間の外にも至り
透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ
おほよそ統計に従はば
諸君のなかには少なくとも千人の天才がなければならぬ
素質ある諸君はただにこれらを刻み出すべきである

 

 


潮や風……
あらゆる自然の力を用ひ尽くして
諸君は新たな自然を形成するのに努めねばならぬ

ああ諸君はいま
この颯爽たる諸君の未来圏から吹いて来る
透明な風を感じないのか

 

 

今に従順に生きている限り未来はやってこない。 教育いう仕事は「今はなんともならないけど、今のままで

あってはならない理不尽さやおかしさ」を子どもたちとともに悩み考えて 未来への光を感じ「よりよきもの」を

共にめざすことである。

 

それがロマンでなくして何だというのか。

 

よくそんなことをしていたら現実の社会のなかでは「生きていけないよ」

などと苦言を呈することがある。けれども、それは現実の社会のなかに順応して自分を見失うことにもなりかねない。

理不尽さを感じるならば反抗もよし。反逆もすればよい。反骨は気骨がある。

そして より人間らしさを身体全体のなかに沁みこませていくのだ。

 

 

 

 

だからこそ子どもと語らい応答しながら 今の時代のおかしさを纏っている自分自身のマントを解き放ち

こどもたちとともに 新たな自由な風を感じ  ここちよさのなかで エネルギーを 稲光させるのだ。